第73話 Sullen Girl(14)

(1)


 一連の異常事態及び、軍の緊急出動要請等、元帥府への緊急連絡を終えると、フリーデリーケは素早く受話器を降ろした。

 不安と恐怖に苛まれる職員一同の視線を一身に浴びながら、『事態が収束、もしくはこちらから何らかの指示――、例えば緊急の避難勧告等が発令されない限りは、決して外へは出ないように』と強く念を押し、 音もなく静まり返る施設内を速やかに出ていく。

 誰もいない運動場を横切れば、生温かい風が吹き抜けていった。木製のブランコが不安定な動きでゆらゆらと揺れる。小さな砂場からは、細かい砂粒が風に乗って流されていく。

 頬を撫でる風と飛んでくる砂塵に目を瞬かせながら、入り口の鉄柵を出て、左へ――、駐車場内へと一気に駆け込む。


 そこで目にした光景に、フリーデリーケは切らしかけていた息を思わず止めることに。



  防御結界のお蔭で、敷地に停車する車のどれを見ても、破損どころか車体に目立った傷一つ残っていない、というのに。

  車の傍では、リヒャルトの側近や護衛達が、揃いも揃って正気を失っていたのだ。

 上半身を九の字に折り曲げては悶え苦しむ者。夢見心地の顔付きで地面に横たわる者。軍用車に凭れかかり、ぶつぶつと譫言を繰り返している者――

 心身共に頑強な筈である男達の尋常でない様子に戦慄しつつ、これはきっと幻惑術の類を仕掛けられたのか、と判断する。


(……まさか、元帥も……??)


 幻惑術を仕掛けられたら最後、解除するには術者が術を解くか、術に掛かった者自身が自力で解くか、しか方法はまずない。もしくは、術者の命を奪うか――

 更には、ここよりそう遠くない場所から、先程よりひしひしと肌で感じている嫌な違和感――、邪悪な気が流れてくる。


  フリーデリーケは姿勢を低め、腰に装着したホルスターから魔法銃に改良された拳銃を抜き取った。 地面の至る所に生えた雑草をブーツの靴底で踏みしめ、のたうつ男達を避け、車の影に身を隠しながら、ゆっくりと前進していく。

  一瞬でも気を抜けば、己にも幻惑術が降りかかってしまう。

  整然と一列に並ぶ車の内、最後の一台――、駐車場の入り口から一番奥まった場所に停められた軍用車まで辿り着くと、見慣れた広い背中が視界に映り込んだ。


 リヒャルトは胡坐座りで地に腰を下ろしていた。組ませた足の間、地面に魔法剣を突き刺し、凭れかかるように柄を右手で握っている。

 リヒャルトの無事をこの目で確認したフリーデリーケは、注意を払いながらも彼の元へと駆け寄った。


「少佐、無事だったか」

「はい。閣下も……」


 魔法銃をホルスターに戻しながら膝をつき、よくぞご無事で、と続けようとして言葉を詰まらせる。

 リヒャルトの額や頬、唇から流れた血で整った顔が汚れているだけでなく、軍服のところどころが汚れ、破れている。肩を激しく上下させて呼吸する様子から、明らかに満身創痍で疲弊しきっている。


「防御結界を発動させる際、光弾が少々掠ってね……。何、大した怪我じゃない。それよりも、君の力で結界を強化させてくれ」


 命令する傍から眉を顰めているではないか。

 大したことがないとは絶対嘘だろう、と思いながらも命令に従い、結界強化の詠唱を口にする。結界の輝きが一層強まる中、リヒャルトへの治癒回復を行うため、彼の上半身を胸に抱え込む。

 身体を動かした際リヒャルトは小さく呻き、無意識に右手で胸を抑え込んだ後、左腕を庇った。


「……左腕と肋骨を骨折した……」

「……どこが大したことないのですか……」


 無茶をするからだ、と、呆れと怒りと心配が心中で煮え滾る。

 内心の怒りを押し殺し、リヒャルトを抱えた状態で左腕に両手を添え、治癒回復の詠唱しようとしたフリーデリーケだった――が、途中で詠唱を止める。

 抱えていたリヒャルトをそっと身体から離して立ち上がると、猛禽類を思わせる鋭い視線で結界より更に外側を見据えた。

 その視線の先――、結界と同等の大きさを誇る巨大な黒い影が五体、施設へと近づいてくる。ガシャガシャと硬質で喧しい金属音と、鈍重でありながら重量感を持つ足音を響かせて。


 他の側近達は幻惑術に取り込まれ、リヒャルトは怪我と疲労で戦闘不能に近い状態。ならば、この場を守れるのは自分一人――



『あらあら、さすがはギュルトナー元帥の愛犬。随分と勇ましいですわね』

「その声は……、ナスターシャ殿ね」

『……賢い雌犬は大嫌いよ……!……』



 ナスターシャの声色が低く尖ったものに変化すると同時に。

 フリーデリーケの意識に、過去の――、主にリヒャルトとの間柄に関する数々の映像が流れ始めた――




(2)


 虹色の光が薄れゆく中、眼前の光景にアストリッドは目を疑った。

 全てが氷漬けの、廃屋と化した古い屋敷の一室には、子供達の行方を追っていた筈のヘドウィグが。ヘドウィグと少し距離を開けた隣には、行方不明だった筈のエヴァとズィルバーンが。三人と対峙する位置には、氷の床に転がる横笛とへたり込んでいるロミーが。


「……これは……」


 さすがのアストリッドも、思いも寄らぬ人物ばかりが揃っている状況に絶句する。混乱しそうな頭をどうにか落ち着かせ、状況を見極めようと回転させる。

 足元に転がっている笛や、氷の下からほんの微かに透けて見える魔法陣から、(認めたくはないが)魔笛を吹いて子供達を操作した犯人はロミーだろう。ヘドウィグも何らかの理由があって、この屋敷へと移動したに違いない。


(でも、エヴァ様達はなぜ……??)


 位置関係から見て、エヴァにとって仇のヘドウィグではなく、ロミーを討とうとしている(ように見える)辺り、(希望的観測ではあるが)イザーク側に回った訳ではなさそうだが。


(考えても仕方ないことですね……。それよりも……、ロミーを救い出した上で子供達を連れ戻さなければ……)


 魔笛の演奏が中断されれば、子供達も正気に返る。

 経過した時間と子供の狭い歩幅、歩調の速度からいって、今ならまだ王都を出て遠くに行ったりしてはいないだろう。けれど、近くに親兄弟がいないことで混乱し、それぞれが家族を探しに勝手に動き出してしまうかもしれない。


(まずは、ロミーを……)


 アストリッドはヘドウィグとエヴァ達の横を通り過ぎ、ロミーの傍へと近付いていく。

ロミーはアストリッドから逃げるようにして、座ったままズリズリと後ずさった。


「ロミー」

「いや、こないで……」

「ロミー……」

「どうせ、あたしを捕まえたら、軍に突き出すつもりなんでしょ……??あたし、知ってるもの。アストリッドは軍の狗だって……、きゃあ!」


 後ずさっている最中、ロミーはずるっと滑り、仰向けに床へとひっくり返った。

 すぐにアストリッドは助け起こそうと、手を差し出した、が。


「いや、触らないで!」


 自力で起き上がったロミーは、差し出された手をすげなく振り払う。

 益々困惑するアストリッドから視線を逸らし、再び座ったまま後退を始める。

 しかし、すぐに氷の壁に突き当たったせいで、ロミーの逃げ場はなくなってしまった。


「自分が軍の狗呼ばわりされるのに関しては否定しません。ですが、貴女の罪が免罪に、最悪、免罪とまではいかなくとも、なるべく軽く済むよう、最大限尽力します。だから……」

「いや、絶対信じないわ。ここで助かったところであたしは軍に捕まって、下手すれば死刑になるかもしれないんでしょ。だったら、ここで死んだって別に変わらないじゃない」

「ロミー……」

「あたしは好きでこんなことした訳じゃないし、何も悪くないわ!あいつらがあたしを唆したから、脅してきたから……!!何よ!!あたしを馬鹿にしたり利用したり……、あたしだって心があるのよ!!」

「ちょっと待ってください」

「何?!」


 泣き叫び、憎々し気に下から睨んでくるロミーに、アストリッドは努めて穏やかに語り出した。


「皆して、って言いますけど、少なくとも自分やウォルフィ、マドンナ様は、ロミーを馬鹿にしたことなんて一度もありませんし、大事に思っていました。自分達の思いだけでは足りませんか??ヤスミンさんだって、ロミーの身をずっと案じているでしょう……」

「ヤスミン??」


 ヤスミンの名を耳にするとロミーの目が吊り上がる。

 口角は益々引き下がり、一段とふてくされた表情へと変化していく。


「あの子はいい子ぶった優等生ってだけよ……、大っ嫌いだわ!!」

「本当にそう思っているのですか??」


 悲し気に眉を寄せるアストリッドの問いにロミーは、そっぽを向いて黙り込んでしまった。


 話に聞く耳を持ってくれないどころか、どんどん脱線していく。

 一向に埒が明かない、と、アストリッドは頭を抱えたくなってきた。


「死にたければ勝手に死ねばいい」


 アストリッドの背中に、ヘドウィグの冷淡な声が突き刺さった。


「ヘドウィグ様……」

 振り返り、ヘドウィグに非難がましげな視線を投げ掛ける。

 ヘドウィグは、その視線に臆することなく言葉を続けた。

「自らの罪を悔いもしなければ、全てを周囲の責任だと言い張る。全くもって救いようのない小娘だよ。アストリッド。この小娘にかまけるよりも、魔笛で操作されていた子供達の安否確認と救出の方が余程大事だ」

「ヘドウィグ様に言われなくても分かっています。ですが、助けられるものならば、自分はどちらも見捨てたくないんです」

「助けられるものならば、ねぇ……」


 反発するアストリッドに向けて、ヘドウィグはあしらうように鼻を鳴らした。

 横柄ともいえるヘドウィグの態度に、アストリッドも眉根を顰める。


「はん、脳内が花畑な半陰陽の魔女ですら機嫌を損ねるものなのか!」


 一連のやりとりを黙って眺めていたエヴァが、唐突にくつくつと笑い声を上げた、かと思いきや。

 ヘドウィグの隣からアストリッドの元へ――、ちょうどロミーに真っ直ぐ向かい合う場所まで歩みを進めていく。

 ズィルバーンは主の意外な行動に驚き、狼狽えるばかりで一歩も動けなかったが。


「おい、娘。ロミーとか言ったな!」


 乱暴な口調でエヴァに呼び掛けられ、ロミーはビクッと大仰に全身を震わせた。

 反射的に顔を上げれば、エヴァの山猫のような目と鋭い視線に絡めとられる。

 視線を逸らすことすらできず、ロミーはエヴァを見上げたまま固まり、打ち震えている。 


「お前、募り過ぎた寂しさを持て余しているだけだろう??」

「……!……」


 ロミーの身体の震えは止まり、エヴァを見つめる瞳から怯えの感情が少しずつ消え失せていく。


「寂しさは相当に厄介な感情だ。まずは我儘になる。理性を狂わせ、物事や人に対する正しき判断力をも奪っていく。今の貴様は正にその状態だ」

「……ち、ちが」

「違う、とは言わせないぞ。全てを周囲のせいにして、『どうせ』と言いながら優しさを跳ねつけるのは、『それでも誰かに自分の想いを分かって欲しいし、救って欲しい』という期待と甘えの裏返しさ!!」


 次々と言葉を畳みかけるエヴァに反論すら叶わないどころか、勢いに圧倒されたロミーは呆けたように口を半開きにさせている。


「だがな……、その甘えは身を滅ぼすだけだ」


 エヴァはロミーの前に膝をつき、彼女の肩にぽんと軽く左手を掛けた。


「ロミーとやら、私のこの手を見ろ。憎しみや寂しさに囚われる余り、そこにつけこんできた者に頼り、偽りの温情と気付いていながらも手放せずにいた私の愚かさの証だ」


 手首から先を失った右腕をロミーの眼前に突き出すと、ひっ、と小さく悲鳴を上げられたが、構わずエヴァは続ける。


「愚かな過ちを犯したからこそ、私はお前の気持ちが、全てとは言わないものの、まぁ、多少は、理解できなくもない。お前はただ、誰かに必要とされ愛されたかっただけ。その願いが思うように叶わず持て余した寂しさ、やるせなさに負け、誘惑に乗せられてしまった。もしくは誰かを憎み、害すことでどうにもならない気持ちを晴らしたかった。違うか??」

「…………」

「放浪の魔女だけでなく半陰陽の魔女まで現れた以上、お前も私も軍に投降するしか道はもう残されていない。お前一人だけはない、私も同じ道を行くのであれば、決して寂しくはないだろう??」

「ちょ、ちょっと、エヴァ様!!そんな奴のために、何もエヴァ様まで一緒に投降しなくてもいいじゃないっすか!?」


 今し方、エヴァが口にした発言を聞き捨てならないと、ズィルバーンが大声を張り上げて口を挟む。


「黙れ、ズィルバーン!別にこの娘のことがなくとも、私は投降するべきかどうか密かに考えていたんだ!祭りに出掛けたかったのも……、せめて一日くらいは全ての憂い事を忘れてみたかった、それだけだ!!」

「で、でも、放浪の魔女は俺達を逃がしてくれるかも……」

「逃げてどうするというんだ??ギュルトナーのことだ、もしかすると国外まで指名手配の範囲を拡げるやもしれん。我々が亡命できそうな国となれば、リントヴルムと友好な関係を築いているからな!有り得ないとは言い切れないぞ??」

「エヴァ様ぁ……」

「心配するな。お前だけは免罪されるように嘆願してみせる。放浪の魔女、半陰陽の魔女。私とズィルバーンはもう、逃げも隠れもせず大人しく軍に投降する。だが、その前に」


 立ち上がったエヴァは、アストリッド、ヘドウィグ、ズィルバーンの順に、一切の迷いのない、強い視線を投げ掛ける。


「貴様達と共に、魔笛に操作されていた子供達とやらの救出、暗黒の魔法使いどもの討伐を手伝おう。……何だ、その顔は!言っておくが、別に貴様らのためじゃない!ズィルバーンの免罪とロミーとやらの減罪のために動いてやるだけだからな!!」

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