第47話 Every Single Night(6)

(1) 


 コルクボードの上で留め具に固定させた何本もの刺繍糸を、捩じっては少しずつ編み込んでいく。ちょっとでも糸が寄れてしまう度にピンセットで引っ張り上げては修正を繰り返し、あと少しで完成まで近づいている。

 ここ数日、就寝前の自由時間を使い、ヤスミンは刺繍糸でのアンクレット作りに励んでいた。

 魔女であるヤスミンが作るからにはただのアンクレットではない。微量ながら魔力を織り交ぜ、護符の働きを齎す特殊なものを作っている。

 寝る間を惜しんでまでヤスミンがこのアンクレットを作る理由。それは、この間の件で色々と助けてくれたウォルフィへ、改めてお礼として贈るためだからだ。


「よし!できたぁ!!」


 最後の一編みをこまにしてきつめに結び、コルクボードから留め具を外す。

 黒一色の糸でやや太めの三つ編み状に編まれたアンクレットは、飾り気はないが男性用ならこれくらい簡素なものがいいと思う。長さに関しても、エドガーの足首を巻き尺で測ったものを参考にしたので、丁度良いサイズにはならないにせよ、極端に長さが違うという失敗は起きないだろう。


(問題は、受け取ってもらえるかどうか……、ううん、それ以前に迷惑に思われないかが心配よね……)


 あくまで彼は自分ではない他の魔女アストリッドの従僕。

 主以外の魔女と必要以上に関わりを持ち、あまつさえ贈り物を貰うなど余り感心されるべきではないことなのに。何かと理由をつけて彼と関わりを持ちたい、と思ってしまう自分がいた。

 この気持ちは決して仄かな憧れや淡い恋心という甘やかな感情ではないけれど、上手く説明できるようなものでもなく、ひどく曖昧で不確かな、それでいて温かな……、得体が知れないのに心地良い。

 そう、ウォルフィが傍に居ると、未だかつて感じたことのない大きな安心感を覚えるのだ。ただし、彼が自分と同じ想いを抱いているかは分からない訳であり――


「ごちゃごちゃ考えないで、イチかバチか当たって砕けろよね!いらないって言われたら、准尉にあげちゃえばいいんだし」


 さりげなくエドガーに失礼な発言をしつつ、前もって作っておいた小さな巾着袋にアンクレットを入れて部屋の扉を開ける。廊下に人がいないかよく確認し、音を立てないようにそろそろと部屋を抜け出す。ヤスミンを始め、ハイリガーの弟子達の各部屋は二階に設けられており、他の弟子達に見つかりでもすれば、揶揄われるのが目に見えている。

 ヤスミンの部屋は二階の一番南側に位置し、そこから北側へ向かって等間隔で十数部屋並んでいる。廊下を挟んで向かい側の壁も同様に。途中、各部屋が並ぶ中の真ん中ら辺にはトイレと洗面所、反対側に螺旋階段がある。

 各部屋の前を通り過ぎるのはまだいいとして、問題は階段だ。ウォルフィがいる客室は三階。階段を昇っている最中にトイレに用を足しにきた誰かに見咎められたら。


(こうなったら、転移でウォルフィさんの部屋の前に行っちゃえばいっか)


 などと考えながら、階段の前まで来たところで詠唱し――


「あっ!ヤスミン!!」


 舌足らずな幼い声と、こちらへ駆け寄ってくる音。

 ヤスミンよりも小柄な少女、ロミーだ。

 内心、うわぁ、見つかっちゃった……と焦ったものの、見つかった相手がロミーであったことにホッとする。そして、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ狡い思いつきが浮かんだ。


「ロミー、しーっ!夜も遅いから静かにしなきゃ」

「あっ」

 ロミーは慌てて両手で口を塞ぎ、「ヤスミン、ごめんね」とひそひそと小声で謝った。

「ねぇ、ロミー。私、ウォルフィさんに用事があってね。でも、一人で行くのが不安だからついてきてもらってもいい??」

「うん、いいよ!ロミーもウォルフィに会いたいし!!」


 無邪気にウォルフィに会いたいと言えるロミーが羨ましかったが、素直なロミーを変に羨むなんて……、と、ヤスミンは己に恥じ入りたくなった。自分に対してもロミーに対しても、もやもやする想いを誤魔化すように、ヤスミンはロミーと手を繋いで階段を昇っていった。




(2)


 部屋に備え付けのシャワールームから出てきた直後、控えめにノックする音が聞こえてきた。

 アストリッドであればノックもせずに無遠慮に扉を開け放し、勝手に入ってくるので明らかに別の誰かだ。アストリッド以外で自分の元に訪れる者と言えば、ハイリガーか。だが、彼女にしては扉を叩いた位置が随分と低い。

 ウォルフィは首を傾げながら眼帯を装着し、首に掛けたタオルで髪を拭きつつ扉を開ける。扉を開けた先には、薄茶色の長い髪とオレンジ色の短い巻き毛をした、二人の少女が立っていた。


「…………」


 予想もしなかった意外過ぎる訪問者の正体。扉を開け放したまま、髪を拭く手を止めるくらいには面喰ってしまった。

 ロミーはともかくとして、ウォルフィ同様、その場で固まっていたヤスミンは我に返った瞬間、白い頬に朱が差し込み――、「きゃあぁぁ!!」と悲鳴を上げた。 少女の甲高い悲鳴に顔を顰めるも、その理由にすぐに気付く。

 ズボンこそ穿いているが、上半身はまだ何も着ていなかったことを思い出したのだ。


「……悪いな。すぐに服を着るから待っていてくれ」


 ヤスミンは、真っ赤な顔でこくこくこくと小刻みに何度も頷いてみせる。

 ロミーは、何故ヤスミンが悲鳴を上げたのかさっぱり分かっておらず、「ヤスミン、さっきロミーに大きな声出しちゃダメって言ってたのにー」と不満げな口振りで話しかけている。その間にも、長袖Tシャツを着たウォルフィが再び扉を開けて顔を見せる。


「で、二人共、用件は何なんだ」

「えーっとね、ロミーはね、『ウォルフィに用事があるからついてきて』ってヤスミンに言われて来ただけなの」

「ちょっ……」

「…………」

 ウォルフィの鋭い視線がヤスミンに一点集中する。

「あのですね……」

 ヤスミンは後ろ手で背に隠していた巾着袋を、思い切ってウォルフィに差し出した。

「こ、この間、助けてもらったお礼です!ご迷惑でなければ、受け取ってください!!」

「……は??」


 またもや面喰ったウォルフィは、普段は決して出さない間の抜けた声を思わず発してしまった。


「……あの程度のことのために、わざわざ礼など必要ないと思うが」


 ウォルフィは困惑しきりと言った体で眉を寄せ、受け取るべきか断るべきか激しく迷っていた。 

 もしも、あの件がきっかけでヤスミンが自分に恋心を抱いてしまったのであれば、変に期待を持たせる訳にはいかない。しかし、言葉通り、単に純粋な気持ちでお礼をしたいだけかもしれない。

 本人はそんなつもりはないが、険しい顔で考え込むウォルフィの姿に、やはり迷惑だったかと、ヤスミンはシュンと肩を落として項垂れた。酷く落ち込むヤスミンの姿に、ウォルフィの胸の奥が何故かじくりと疼き、痛み始める。


「折角の厚意を無下にするのは失礼に当たる。有り難く受け取らせてもらおう」

 途端に、ヤスミンの顔がぱぁっ!と輝き、「ありがとうございます!!」と明るい笑顔に切り替わった。案外現金な娘だな、と呆れるも、「ただし、あんたから礼を受け取ったとアストリッドに報告させてもらうが、それでも構わなければ」と、一応の釘は刺しておく。

「そんなの全然構いませんよー。むしろ報告して頂ける方が私も気分的に楽ですし!」

「なら、遠慮なくそうさせてもらう」

「はい!どうぞどうぞ!!」


 ヤスミンの様子からウォルフィの懸念は全くの杞憂であると分かり、ウォルフィはようやく巾着袋を受け取った。袋を開き、黒い刺繍糸で編み込まれた装飾品を手に取ってみせる。


「これは――」

「アンクレットです。足首に付ける装飾品で、護符代わりにもなるようにちょっと手を入れてみました」

「あんたが作ったのか??よくこんな細かい物を……、凄いな」


 滅多に人を褒めない質の筈が、ヤスミンに対しては自然に褒め言葉がするりと口をついて出てくる。 調子を狂わされてばかりのウォルフィの気も知らずに、褒められたヤスミンは相当気を良くしたらしい。


「もし良かったら、一度付けてみますかー??って、あ、そうだ!!長さが本当に合うのか確認がてら、私が付けちゃってもいいですかー??」


 ヤスミンはウォルフィの掌からアンクレットを奪い、許可なくズボンの裾を捲って勝手にアンクレットを足首に装着し始めている。ウォルフィは、ヤスミンの有無を言わさぬ態度に呆気に取られつつ、結局彼女の好きなようにさせることにした。


(この強引で強気な態度……、誰かに似ている気が……)



『嫌よ。私は、今すぐ、がいいの』

『リザ、頼むから俺の言うことを聞くんだ』

『嫌。貴方こそ私に恥をかかせないで』

『私は今すぐここで貴方に抱いて欲しいの。最後の我が儘を聞いてくれないなら、私はこのままここに残る。貴方と逃げることなく、裁判という名の拷問を受けた後、大人しく炎の中に身を投じるわ』



(……何だって、今更あいつのことが……、……って……)



 この時、ウォルフィは魔女の塔での古い記憶と共に、リュヒェムで過ごした夜の記憶を思い出す。シュネーヴィトヘンが呟いた『ヤスミン』という寝言――




「それは有り得ない、筈、だろう……」

「え??何か言いました??」


 アンクレットを付けるため、足元にしゃがみ込んでいたヤスミンがきょとんとした顔で見上げてきた。どう見繕っても十二、三歳の少女だが、実際は二十五歳だとアストリッドから聞かされている。年齢を考えると――、否、まさか。

 一度意識し出すと全てをこじつけたくなってくるのか。

 今まで気にもしなかったのに、目元が自分によく似ている様な気がするし、髪も瞳の色までも同じである。

 再び、アンクレットを結ぶのに集中し出したヤスミンの頭頂部を見つめながら、『違う、有り得ない』と、ウォルフィは自らに言い聞かせるかのように繰り返し胸中で呟き続けた。


 二人のすぐ傍でロミーが心ここにあらず、と言った体で、黙って佇んでいることに気付く由もなく。

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