第45話 Every Single Night(4)

(1)


「えっ……、ディートリッヒ殿が……」

「はい、元帥を殺害しようと剣を向けたため、元帥ご自身の手で粛清されたとのことです」

「…………」


 城の裏手に設けられた旧闘技場にて、魔法の特訓を行っていたハイリガーとアストリッドの元へ、南方司令部から緊急報告の連絡が入った。何事かと急いで城に戻り、朱塗りの間で使いの者から詳細を聞くにつれ、二人の表情は緊迫したものに変化していく。


「アイス・ヘクセは今も尚消息不明で、ディートリッヒは粛清……。強力な守備者を失った北方司令部はさぞかし混乱しているでしょうねぇ」

「シュネーヴィトヘン殿の失踪も含め、北部だけでなく東部も現在不安定な状態です」

「軍の機能自体には直接影響が出ていない北部はともかくとして、問題は東部よねー。国境守備の魔女も軍の司令官も不在。緊急時、司令官がいなくてもある程度の守備態勢が取れるよう訓練されていても不安は拭えないわ」

「仰る通り、東部に隣接するヤンクロットは好戦的な国柄ゆえ、この機を逃さず攻撃を仕掛けてくるかもしれません。ですから、元帥は東部の守備状況を一刻も早く安定させるため、取り急ぎ後任の司令官を任命し、国境守備を任せられる魔女の候補を探しているとのことです」


 染み一つない、真っ白なテーブルクロスを敷いた長テーブルの上座にハイリガー、一つ下座の席に座るアストリッドに向けて、一番下座の席付近で立ち通しの使いの者は、ここでやや遠慮がちに言葉を続けた。


「実を言いますと……、東部の国境守備役候補の中にヤスミン殿の名が上がっている、と噂が」

「何ですってぇ?!あの子はまだ国家資格を取得していないわ!」

「そう仰られるとは思いましたが……。しかしながら、元帥からは来月に実施される国家試験をヤスミン殿に受験させるよう、命が下されました」


 リヒャルト直々の命令とあらば、ハイリガーにもヤスミンにも拒否権はない。

 分かっていながらも、ハイリガーはすぐに承諾の返事をできずに黙りこくっている。国家試験の受験自体は構わないのだが、試験の合格がきっかけで東部の国境守備を任命されたとしたら。

 アストリッドやハイリガーには及ばないとはいえ、確かにヤスミンの魔力は弟子達の中でも群を抜いて高い。けれど、ハイリガーの目から見ると高い能力を持て余し、いまいち上手く使いこなせていないようにも思うのだ。後は、国境守備なんて危険な役目をさせたくないという純粋な親心も含まれている。

 全ての報告が終わるやいなや、使いの者は敬礼し、速やかに部屋から退室した。

 重苦しい空気が流れる室内。いつもならばすぐに冗談を交わし合う二人なのに、互いに一言も言葉を発する気力を失っている。


 しかし、このもやもやと淀み切った空気を打ち破るように扉を叩く音が室内に響く。荷物を抱え、ヤスミンを背負ったウォルフィが中へ入ってきた。

 意外過ぎる組み合わせに思わず目が点になるアストリッドとハイリガーの傍へ、ウォルフィはつかつかと靴音を立てて歩み寄る。ウォルフィの広い肩にしっかりと捕まりながら背負われるヤスミンは、どことなく戸惑っているように見える。


「ウォ、ウォルフィってば、とうとう本気でロリコンに目覚めたんですか……って、うぎゃん!!」

 すかさず揶揄いにかかったアストリッドの頭頂部に、ウォルフィは容赦なく拳骨を落とす。

「あんた、他に言う事はないのか」

「だっ、だってぇー」

「まぁまぁ、二人共落ち着きなさいってばぁ。それよりも、何がどうなってヤスミンがウォル君におんぶしてもらっている訳??確か、ヤスミンは今日、食料の買い出し当番の筈よねぇ??ゲッペルス准尉はどうしたのよ??そこんとこ、ちゃーんと説明してくれるわよねぇー、ヤスミン??」


 にっこりと微笑むハイリガーだが、明らかに目は笑っていない。

 怒っている、と察したヤスミンは、思わず助けを乞うようにウォルフィの背にしがみつき、自分と同じ色の右眼を覗き込む。

 ウォルフィは後ろへ首を捻り、ヤスミンと視線を合わせながら、「帰路を辿る道中で俺に話したことを正直に言うべきだと思う」と、彼にしては珍しく穏やかに諭し、腰を落としてヤスミンを床へ降ろした。

 恐る恐る、ハイリガーの傍まで歩み寄るヤスミンの、左足を少し引きずるような歩き方に「何、もしかして、足を捻りでもした訳??一体何があったのよ??」と、ハイリガーは訝しげに問い質す。


「あっ、はい……。道端で躓いて転んでしまった時に、軽く捻っちゃったんです。それで、たまたま、ウォルフィさんに遭遇して」

「で、おんぶしてもらってここまで帰ってきたってことなのね」

「はい」

「そういうことねぇー。けど、どうしてゲッペルス准尉が傍にいなかったのよ??まさかと思うけど、護衛を付けずに勝手に一人で出掛けた訳じゃないでしょうね」

 途端にヤスミンは、うっと言葉を詰まらせて口を閉ざしてしまう。

「図星なのね」 


 ハイリガーの表情が険しいものに変わり、ヤスミンを厳しく叱責しようとした、丁度その時。扉を力一杯叩く音と「失礼します!!」と、酷く焦った男の声――、エドガーの声が聞こえてきたのだ。

「その声はゲッペルス准尉??どうぞ入って頂戴。貴方の探し人ならこの部屋にいるから」


 ヤスミンはビクッ!!と肩を震わせ、ハイリガーが許可するやいなや、慌てた様子でエドガーが室内に転がり込んできた。

 額や鼻筋が薄っすらと汗ばみ、黒縁眼鏡が鼻から少し下がっている。微かに上下する大きな肩、息が上がっていることから、ヤスミンの行方をずっと探し回っていたようだ。エドガーが初めて見せる必死な姿に、ヤスミンの心は罪悪感でチクチクと痛み出す。

 ヤスミンの姿を確認したエドガーは、はぁ、と大きなため息をつきながら彼女の元へ近づいて行く。だが、ここで思いも掛けない人物が彼とヤスミンの間に立ちはだかった。


「ゲッペルス准尉、とか言ったな」

「はっ!」

 軍籍から外されているとはいえ、かつては少尉だったウォルフィに対し、彼より下官のエドガーは畏まって敬礼した。エドガーも長身の部類であるが、彼より更に一〇㎝近く背が高いウォルフィは、どこか値踏みするようなに彼を見下ろした。

「この、ヤスミンとかいう娘、魔女に反感を持つ者から危うく危害を加えられそうになったと言っていた。足を痛めたのもそいつらから逃げる道中に転んだかららしい。あんたはヤスミンの護衛を担当しているのだろう??何故、彼女を街へ一人で行かせた。肝心な時に役に立てないなど、職務怠慢にも程がある」

「はっ……、シュライバー元少尉の仰る通り……」

「違うの!私が准尉に黙って勝手に出て行ったから悪いの!!」


 痛む足を庇いながら、今度はヤスミンがウォルフィとエドガーの間に滑り込んでエドガーを庇った。自分を嫌っている筈のヤスミンに庇われ、エドガーは呆気に取られた。


「ヤスミン、今の発言はどういうことかしらぁん??ちゃーんと説明してくれるでしょうねぇー」

 彼らのやり取りを静観していたハイリガーが、わざと抑揚をつけ、含みを持たせた物言いでヤスミンに問い掛ける。

「…………」


 遂に観念したヤスミンは、『買い出しに出掛ける程度の外出で護衛なんか必要ない』と独断で判断し、一人で出掛けたこと。市場で魔女に反感を抱く者達に絡まれたこと。寸でのところで逃げ出したけれど転んで足を痛めたこと等、正直にハイリガーに報告したのだった。


「ヤスミン」


 ハイリガーの声のトーンが普段より一段と低くなる。


「覚悟はいいわね??」


 はい、と、すでに半泣き状態のヤスミンが返事をするよりも早く、ハイリガーの手元が輝き、赤と黄色のビニール素材のハンマーがヤスミンの頭上に振り下ろされる。バシィン!!と中々に痛そうな音と、ピコン!という間抜けな音が同時に響く中、ヤスミンは俯きがちに歯を食いしばって『お仕置き』に耐えていた。


「マ、マドンナ様―。ヤスミンさんも反省しているみたいですしー、そろそろ勘弁してあげたらどうでしょうか??」


 ピコピコハンマーが何度か振り下ろされるのを見兼ねたアストリッドが、ハイリガーを止めにかかった。

『アスちゃんは黙っていて頂戴!』と言われるかと思いきや、ハイリガーはぴたりと動きを止めると考える素振りを見せ――、少し間を置いて、ふぅと軽く肩で息をついた。


「ヤスミン」

「は、はいぃ!!」

「これでよーく分かったでしょぉ??己の力を過信したり、事態を甘く見るとロクなことにならないって」

「はい……」

「本当に反省しているわね??」

「はい……」

「ならいいわ……。とにかく!……貴女が無事で、本当に、本当に良かったわぁ……。貴女の身に何かあったら……、アタシ、泣いちゃうんだからねっ!!」


 ハイリガーはピコピコハンマーを放り投げると、鼻をぐすっと啜ってヤスミンの小さな肩を両手で優しく掴んだ。


「御師様、大変申し訳ありませんでした……」

「いーい??以後は、どんな外出の際でも必ずゲッペルス准尉を護衛に付けること!!」

「はい」

「じゃ、これでお説教とお仕置きは終りよ!!買い出しの荷物はアタシが適当に片付けておくから、貴女は私室で挫いた足に治癒魔法をかけてきなさいな」


 先程とは打って変わり、優しげなハイリガーの微笑みに押されてヤスミンは扉へとゆっくり足を進める。


「俺も部屋へ戻るつもりだから、何ならついでに送って行こうか。痛めた足で階段を昇るのは少し辛いのでは」

「…………」


 普段はアストリッド以外の他人に対し、いっそ冷淡な程干渉しないどころか、一切の関心を持たないウォルフィが見せたヤスミンへの気遣い。当のヤスミンは勿論、エドガーもハイリガーもアストリッドも――、この場に集まった者達は驚きを隠せない。


「えっと、じゃあ……、お願いします!」

 ぺこっと頭を下げるヤスミンにウォルフィは無言で背を向け、腰を低く落とす。

 やはり遠慮がちながら、ヤスミンはウォルフィの背に再び乗りかかった。

「アストリッド、悪いがまた少し席を外す」 

「えぇ、どうぞどうぞー」


 ヤスミンを背負ったウォルフィはアストリッドに一声かけると、エドガーと共に朱塗りの間から出て行った。

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