第26話 Red Red Red(10)

(1)



 所変わって、南部ゾルタール。ハイリガーの居城にて。


 あの後――、フリーデリーケの緊急報告を受け、ウォルフィから渦中の人物、東の魔女シュネーヴィトヘンとの因縁を聞かされ――、それでもアストリッドとウォルフィは二人で至急中央へ戻ることになった。しかし、ここで一つ、問題が生じた。


「やだぁぁぁ!!アストリッドもウォルフィも行かないでよぅー!!!!」


 ハイリガーから二人が帰ってしまうと聞かされたロミーが広間に飛び込んできて、アストリッドとウォルフィ双方の身体をがっちりとホールドし、決して離そうとしないのだ。これには当人達は元より、ハイリガーもフリーデリーケも困惑しきりであった。


「ロミー、アストリッドと俺を放してくれ」

「やだぁ!!」

「ロミー、どうしても自分達は中央に戻らないといけないのですよー」

「やだやだぁ!ロミーを置いていっちゃやだぁ!!」

「ロミーちゃん。寂しい気持ちは分かるけど、アスちゃん達を困らせちゃダメよぉ」

「いーや!!!!」


 アストリッドはおろおろとロミーを宥めつつ、フリーデリーケの方をちらりと横目で見返す。

 アストリッドの視線の意味を汲み取るも、「申し訳ありませんが、彼女まで中央に連れていくことは承服致し兼ねます」と、フリーデリーケはきっぱりと答える。


「……ですよねぇ……」

 アストリッドは大きく嘆息すると、ロミーの両肩にそっと手を置く。彼女の目線の高さに合わせるよう腰を屈め、少し伸びてきたオレンジ色の髪を優しく撫でつけた。

「ロミー、自分もウォルフィも、本当はもっと貴女と一緒にここで過ごしたいのです。でもね、『大事なお仕事』に行かなきゃ、自分達はこの国で生きていけなくなるんです。そうなったら、ロミーとも二度と会う事はできなくなっちゃいます」

「えっ、アストリッドともう会えなくなっちゃうなんて、ロミーは嫌!!」

「そう思ってくれるなんて……、ありがとうございます。二度と会えなくなるのと、ちょっとの間だけ会えないのと、ロミーはどっちが嫌だと思います??」

「二度と会えない方に決まってるよ!!」

「ですよねぇ??だったら、寂しいかもしれませんが、少し我慢してもらってもいいですか??」

「…………」

「状況が落ち着いたら、またマドンナ様やロミーの元へウォルフィとお邪魔しますから。ね??」

「…………」


 ロミーは唇をへの字に曲げながらも、薄茶色の目でアストリッドの顔色を窺うように見上げていた。


「……分かった……」

 むすっ、とした顔で不承不承ながら、ようやくロミーは納得してくれたのだった。

「……絶対よ??絶対に、ロミーの所にまた来てね??」

「はい。確かに約束します」

「……嘘ついたら、魔法で燃やして、消し炭にしちゃうからねっ!!」


 今し方ロミーが口走った言葉に、この場に集う者全員が表情と舌を凍りつかせた。当のロミー自身は無意識に口をついて出たからか、呆然とする大人達を不思議そうに見回している。


「ほ、ほーらぁ、ロミーちゃん。納得したなら、もう二人から離れなさいねぇ??」

 口元が引き攣った、不自然な笑みを浮かべたハイリガーが、ロミーの肩を掴んでさり気なくアストリッド達から引き離す。

「マドンナ様……」


 アストリッドはロミーに気付かれないよう、『ロミーの動向から決して目を離さないように、お願いします』と、ハイリガーに目線で訴えかける。ハイリガーは一瞬真顔になり、無言で首肯した。

 緊迫した大人達の様子など露ほども気付いていないロミーは、「バイバーイ!!絶対、絶対!!またロミーに会いに来てね!!」と、半べそをかいてしきりにアストリッド達に手を振っていた。


「ポテンテ少佐。お待たせして申し訳ありませんでした」

「いえ。では、アストリッド殿、よろしくお願いします」


 アストリッドはウォルフィとフリーデリーケ、それぞれの手を固く握り締める。足元から天井に掛けて螺旋状の光が虹色に発光、三人の身体は光に完全に飲み込まれた後、跡形もなく広間から消失した。



コンコン――



 アストリッド達の姿が消えたと同時に、広間の扉をノックする音が。


「御師様。ヤスミンです」

「あぁ、ヤスミン。入っていいわよ」


 扉に背を向けたまま、ハイリガーは廊下で待つ人物に中へ入るよう促す。

 開いた扉から姿を見せたのは、薄茶色の長い髪をハーフアップに結い上げ、ゴシック風の黒いワンピースを着た真っ白な肌の少女――、ハイリガーの愛弟子ヤスミンだった。


「ロミーがアストリッド様達とのお別れでぐずっていないか、気になって様子を見に来たんですけど……、心配なさそうですねぇ」

「えぇ、アスちゃんがうまーく宥めてくれたから、大丈夫よ。ね??ロミーちゃん」

「うん!ロミー、もう泣いたり我が儘言ったりしないよ」

「へぇ、言ったわね、ロミー。じゃ、今日の夜、寂しいって絶対泣かないでよ??」

 ヤスミンはちょっとだけ意地悪っぽく笑い、ロミーを揶揄ってみせる。

「絶対しないもん!!」


 揶揄われたロミーはムッとした顔で唇を尖らせる。


「こらこら、ヤースミン。ロミーをいじめないのぉ」

「はーい、分かりました!」

「全くもう……。遊んでないで早くロミーと一緒に部屋に戻りなさいな。ザビーネの件で、連日軍からの事情聴取受けて疲れてるでしょ??」

「本当ですよ、御師様。あのエロ可哀想なザビーネってば色々やらかしてくれちゃってまぁ……」

「ちょっと、ヤスミン。ロミーの前で変なこと言わないの!」

「だって本当のことじゃないですか」

 

 切れ長の大きな青紫の瞳は、三白眼なのも相まって一見キツく見えがちである。だが、常に明るい笑みを絶やさないためか、少々の毒舌すらも彼女にとっては魅力の一つと成り得てしまう。

 朗らかに笑いながら、しれっと毒を吐く少女にハイリガーはつい苦笑を漏らしてしまう。

 

 そんなヤスミンだが、実はある事情により身体の成長が通常の人間より遅く、見た目こそ一〇代前半だが彼女の実年齢は二十五歳であった。少女の外見に似つかわしくない発言が、しばしば口から飛び出すのも頷ける。


「それに……、鉄壁のクール兄さんなウォルフィさんにちょっかい掛けること自体、そもそもの間違いなんですよねぇ」

「クール兄さんねぇ……」

 

 万年鉄面皮のウォルフィの顔と共に、彼から聞かされたシュネーヴィトヘンとの過去を思い出し、ハイリガーはしばし物思いに耽った。

 突然神妙な顔で黙り込んでしまったハイリガーを、ヤスミンは眉根を寄せて訝し気に見上げてみせる。

 

 その表情は、ウォルフィが時折見せるものとそっくりだった。 

 




(2)



 ハイリガーの居城から中央の元帥府、リヒャルトの執務室に転移すると、各々繋いでいた手を離す。

 虹色の残光を身に纏わせつつ三人は横一列に整列、眼前にて大窓を背に両手を組み、机に腰掛けるリヒャルトに敬礼をしてみせた。


「思っていたよりも早いご帰還、非常に助かります。少佐もご苦労だった。あぁ、敬礼はもういいので楽にしてくれればいい」

 リヒャルトは緊張した面持ちの三人に向かって、柔らかく微笑む。

「少佐から粗方事情を聞いたでしょうから、単刀直入にお伝えします。アストリッド殿とシュライバー元少尉に東部への視察――、主に東の魔女ロッテ殿の動向を探って頂きたいのです」

「はい、承知しております」

「……という命令を下すつもりでいたのですが……」

 途端に、リヒャルトのアイスブルーの瞳に陰りが帯び始める。

「恐れながら……、何か別の懸案が生じたのでしょうか??」


 フリーデリーケの切れ上がった群青の瞳が、一体何が起きたのか、と、リヒャルトを鋭く注視する。視線を受け、リヒャルトはアストリッドとウォルフィに静かに告げる。


「北の魔女アイス・ヘクセ、もとい、エヴァ殿が、『放浪の魔女ヘドウィグ殿を捕らえ、北の宮殿に拘束した。ヘドウィグ殿を解放して欲しければ、至急、東の魔女ロッテ殿と半陰陽の魔女アストリッド様を北部へ向かわせろ』という声明が届いたのです」


 リヒャルトからの思いも寄らぬ話に一同が言葉を失う中、ただ一人、ウォルフィは毅然とした口調でリヒャルトに反問した。


「つまり……、我々は東部の視察ではなく、放浪の魔女を救出するため急遽北部へ赴けば宜しいのですか」

「えぇ、その通りです」

「東の魔女へはすでに連絡済みでしょうか」

「勿論。『ヘドウィグ様は私の師に当たる方ですから、即刻北に向かいます』と承諾してくれました。それと」

「それと??」

「ロッテ殿は、互いに別行動を取るよりも三人で固まって行動した方がいいのでは、と申し出てきた。その方がエヴァ殿への対策が取り易いのでは、と」

「一理あるでしょうが……。しかし、東の魔女と北の魔女が裏で手を組んでいて、放浪の魔女を餌に我々を討ち取ろうとする可能性も充分考えられます。すでに東の魔女は反逆罪の嫌疑を掛けられていますから、あの者の言葉に信用を置くのは危険かと思われます」

「私もシュライバー元少尉と同意見です。アストリッド殿達とロッテ殿はそれぞれ別行動でエヴァ殿の元へ向かって頂くべきかと思いますが」


 フリーデリーケもウォルフィに賛同し、彼の援護に回る。二人の反論に対し、リヒャルトは僅かにだが目を細め、いささか厳しい表情を二人に向ける。


「確かに二人の意見は正しいと、私も思うよ。ロッテ殿が何の企みも持たずしてこのような事を言い出す筈がない、と。だからこそ貴方達に彼女の監視役も務めてもらいたくてね。相当に危険な役目だが、アストリッド様とシュライバー元少尉の二人であれば必ずや遂行してくれると信じているからこそ、敢えて彼女の申し出に従い、行動を共にして欲しいと考えたのだよ」

「…………」

「貴達にとっては肉体的にも精神的にも中々に厳しい任務となるでしょうが……。アストリッド様、シュライバー元少尉、是が非でも私からの命を引き受けてもらいたい」


 依然、机の上で手を組んだまま、獲物を射抜く矢のような目つきで、リヒャルトはアストリッドとウォルフィを交互に見据える。蛇に睨まれた蛙のごとく固まった二人は、すぐには返答できずにいる。正確に言えば、ウォルフィはすでに腹を決めてはいたのだが、アストリッドが躊躇しているだけであったが。

 その理由をウォルフィは周知しているため、中々返事をしない彼女を横目できつく睨み付けていた。リヒャルトの前でなければ、「いい加減にしろ」と一喝くれていたかもしれない。

 そんなアストリッドを、リヒャルトは黙って辛抱強く待ち続けた。

 内心はともかく、リヒャルトが一言も言葉を発しない以上、フリーデリーケに口を挟む余地はない。


 壁時計の針が一分、二分……と、動きを進めていく。アストリッド達が移動してくる直前に淹れた紅茶はすっかり冷めてしまっている。それでも構わず、リヒャルトが茶器に手を伸ばしかけたその時。


「了解しました」


 男性にしては高く、女性にしては低い独特の声が、執務室に響き渡る。


「ロッテ殿は、エヴァ殿が居住する氷の街リュヒェムの入り口となる大門前にて貴方達を待つそうです。その大門まで転移し、彼女と落ち合ってください。後は、貴方達の好きなように動いてくれれば構いません」


 まだウォルフィを気にしてか、即答を躊躇うアストリッドに変わり、ウォルフィが「御意」と答えた。慌ててアストリッドも「了解しました!」と叫ぶ。


「行くと決まれば、すぐに向かうぞ」

「ま、待ってくださいよぉ!」

「あんたがぐずぐずしているだけだろうが」

「んなっ?!だ、誰が……」

「あんたの他に誰がいる」


 アストリッドは、むっすぅぅぅ!!と、頬袋に木の実をパンパンに詰め込んだリスみたいな顔をしつつ、ウォルフィの両手をしっかりと握る。

 たちまち、淡い桃色の光が放射されると共に、二人の服装は寒冷地仕様の暖かそうな冬の装いへと変化した。


「では、リヒャルト様、ポテンテ少佐!!行ってきます!!」


 片手を軽く振って見せた後、アストリッドは再び転移魔法を発動させ、虹色の光と共に二人の姿は執務室から消えていった。

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