第23話 Red Red Red(7)

(1)


 ――三日後――



 強風に煽られた砂埃が舞う中、城郭に囲まれた古い街並みは瓦礫の山と化していた。

 黒煙と紅焔が地上を覆い尽くし、上空からは稲妻が一定の間隔で落ち続けている。ざらついた砂の、ほんの小さな粒子が目に入り、目尻に涙を薄っすら浮かべながらも無理矢理こじ開けてみせる。


「あーあー、あの様子じゃ、スラウゼンの住民は全滅しちゃったでしょうねぇ……」

 アストリッドの左隣にて、街の惨状を見せつけられたハイリガーが軽い口調ながらも悔しさを滲ませて呟く。

「他の地域と違い、東部だけは魔女に国境防衛を任せていなかったのが仇となったわねぇ……。東方司令部も火竜達の襲来であっけなく落とされて。国軍随一の防衛力を誇っていた東方軍も魔物相手には太刀打ちできなかったってことね」

「まさか隣国ヤンクロットではなく、幻想生物の大群を率いた魔女が東方軍諸共街をたった一日で焼き滅ぼすなんて、誰も予想はしなかったでしょうけど……」

「アスちゃんの従僕君の話じゃ、スラウゼンでは理不尽極まりない魔女狩りが密かに横行していたらしいじゃなぁい??しかも東方軍はそれに気付いていながら、黙認していた。バッカよねぇー、罪のない民間人ばかり殺しまくって、肝心の凶悪な魔女の存在を見逃していたなんて。まぁ、自業自得の感は否めないけどぉ」

「スラウゼンは教会の力が強い地域でしたし、軍を派遣するにも住民の反対を押し切って強行した経緯がありますからね。その上で、古くから残る因習の撤廃は容易ではなかったのでしょう」

「で、度重なるヤンクロットからの襲撃の防衛にかこつけて、知らぬ存ぜぬを通していたって訳ね。要は上層部が怠慢だったってだけよね」

「ウォルフィからの話ではそういうことになりますよね……。でも、彼の話をゴードン様に上申して東方軍上層部の人事を入れ替えたから、多少は変わってきたのではと期待したかったのですが……」

「はっ!それだけ東方軍が脆弱な組織だった、という話だけのじゃないか!だから我々がスラウゼンに集結し、相手方の魔女を捕縛するよう、ギュルトナーの命が下されたのだろう!!黙って聞いていれば、お前達はさっきからごちゃごちゃと詰まらないお喋りに興じてばかり、鬱陶しくてかなわないな!!」


 アストリッドの右隣、通称北の魔女アイス・ヘクセことエヴァが、榛色の大きな猫目に侮蔑の色を混ぜ、二人に挑発的な視線を送りつけてきた。

 痩せぎすといって言い程に細く小さな体格に見合わず、背丈よりもずっと大きな大鎌を肩にもたせかけている。異様に青白い肌に痩せこけた頬、瞼に黒いアイシャドウを施したエヴァは、黒いローブと大鎌を持つ姿から魔女というよりも死神を彷彿させた。


「ふん、ぐずぐずしてちっとも動かないお前達には付き合ってられん!私だけでも街に潜入する!お前達は好きなだけそこで喋っていろ!!」


 立腹したハイリガーが口を開くよりも早く、エヴァは大鎌を手に空高く舞い上がる。段の入ったアッシュブロンドの長い髪を風に靡かせ、街の方角を目指して疾風のごとく飛翔していく。


「何なのよ、あいつ!」

「まぁまぁ……。エヴァ様の態度は今に始まったことではないですから、怒るだけ損ですよ??それに様子伺いもこの辺にして、幻想生物退治と魔女を捕縛しなければいけないですね」

「……そうね……。アスちゃんの言う通りよね。ナスターシャにもムカムカしてたせいで、ちょっと頭に血が上ってしまったわ」


 ナスターシャ、と聞いて、アストリッドも微妙な半笑いをしてみせる。


 実はナスターシャもこの場に集結する筈であった。

 しかし、姿を見せたかと思うと、『スラウゼンの近隣の街にも被害が及んでいると聞きました。ですから、私は、被害に遭われた方々の救出や怪我の治癒等に力を尽くしたいと思います』と笑顔で言い残し、幻想生物や魔女討伐はアストリッド、ハイリガー、エヴァに任せて早々と去っていったのだ。

 近隣の街の住民を守り、被害が拡大しないよう食い止めるのも大切な任務だとは思う。けれど、『如何に危険が少なく、尚且つ人々から感謝されやすい』仕事を率先して選ぶしたたかさと要領の良さには、正直な話アストリッドも唖然とせざるを得なかった。


「……じゃあ、アタシ達も行きましょうか」

「はい!……と、いう訳で、ウォルフィ、後は頼みます」


 アストリッドが振り返った先には、襟と袖のみが黒い真っ赤なロングコートを纏う白髪隻眼の大男ウォルフガング、否、ウォルフィが佇んでいた。ウォルフィは彼に不安気に寄り添うリヒャルトを一瞥すると、アストリッドに視線を移す。


「リヒャルト様が巻き込まれないよう、しっかりと守ってあげてください。お願いします」

「……御意」


 ウォルフィの短い返事を受けると、アストリッドは瞬間移動の魔法を発動させ、ハイリガーと共に虹色の光に包まれながらこの場から消えていく。



「主の命令とは言え、子守を押しつけられて大変だねぇ」

 長い黒髪を鬱陶し気に掻き上げながら、小柄で細身の男がウォルフィに笑いかけてきた。茶色の大きく丸い垂れ目が特徴的な愛くるしい童顔だが、人を食った笑い方は彼の主エヴァとよく似ている。

「そういうあんたこそ、北の魔女について行かなくていいのか。ズィルバーン」

「エヴァ様がやる気になっている時に手出しなんかしたらさぁ、大目玉食らうから嫌だね」


 ふあぁぁ、と大あくびをして地面に腰を下ろす北の魔女の従僕のやる気のなさに、ウォルフィは少々鼻白んだ。元々が人間ではなく銀狐だからか、単に性格なのか。

 ウォルフィの脳裏に、エヴァのもう一人の従僕ディートリッヒの、氷柱のような薄青の瞳が蘇る。ディートリッヒはエヴァだけでなく、北方軍からも信頼が厚いと噂されている。だからか、エヴァがズィルバーンではなくディートリッヒに留守を預からせたのも納得がいく。 

 

「ごめんなさい……、僕が旅についてきたばっかりに、余計な仕事を増やしてしまって……」

「……いえ、旅の道中で元帥からの緊急命令が下されてしまったのですから仕方ないでしょう。こちらこそ、アストリッドの気持ちに余裕がなかったせいで邸宅にお帰しできなくて申し訳ありません」

「僕なら大丈夫です!それに……」


 言いかけたものの、リヒャルトは唐突に口を噤み黙ってしまった。

 彼が何を言わんとしたのか、何となく察しがついたウォルフィはあえて追求せず、受け流す。


(……大方、アストリッドが不在の王都に帰るのが嫌なんだろう)


 リヒャルトには年が一回り以上離れた兄が二人いる。

 通常であれば、思い出し子の末っ子は周囲から可愛がられる筈だが、彼の場合は少し事情が違っていた。

 両親は二人の兄への後継者教育にばかり熱心で、どうしてもリヒャルトのことは放置しがちであった。また、年が離れすぎているため二人の兄からもまともに相手にされない。

 聞き分けの良いリヒャルトは、仕方がないと、幼いながらも納得していたが、全く寂しくないと言えば嘘にはなる。なので、自分を可愛がってくれるアストリッドを臆面もなく慕うのは至極当然だった。


『僕は、本当は魔法使いになりたいんです。でも……、僕も兄上達と同じように、十五歳になったら士官学校に入らなければなりません。父上の跡を継ぐのはヨハン兄さんかベルトルト兄さんのどちらかだと決まっていても』

 一度だけ、何かの折に吐露したリヒャルトの言葉。寂しそうに伏せるアイスブルーの瞳が、ウォルフィは忘れられないでいた。

『軍人の道を生きながら、魔法使いとしての力も身につけるといいのでは??元帥は、崩れてしまった、かつての軍事と魔法の調和の再建を目指している方だ。恐らく反対はしないのではないかと思いますが』


 柄にもなく、人の、それも思春期もまだ迎えていない少年の、悩みに真面目に応えてやる自分が可笑しかった。主のお人好しが移ってしまったのか。現に、リヒャルトも意外そうに目をパチパチと瞬かせ、ウォルフィを凝視していた。


「そう、ですね。何にせよ、それで国や父上のためとなるなら、頑張ってみようと思います」


 えへへ……、と、照れ臭そうに笑うリヒャルトの姿に、置かれた境遇に腐らず、この真っ直ぐさをいつまでも保っていて欲しいと、ウォルフィはつい願ってしまったのだった。







(2)



「これがお前さんのやりたかったことか」


 白い肌もローブの下の白いワンピースも、返り血で赤く汚れてしまった。

 構わず新しい魔法陣を地に描くリーゼロッテの背後で、耳に馴染んだ、枯れているが色気のある女の声がした。ゆっくりと振り返れば、強風と砂埃で長い銀髪が乱れているヘドウィグの姿が。

 生まれ育った街――、焼け焦げた瓦礫の山と積み上げられた無数の死体の前で、ヘドウィグとリーゼロッテは相対する。


「まさか……、教えてもいない攻撃魔法や幻想生物の召喚魔法を、私が使うのを見ていただけで覚えるとは……。潜在能力は元より、お前さんの賢さを侮っていた私が馬鹿だった……」

 自嘲気味に笑うヘドウィグの瞳はほんの僅かな悲しみがチラチラと見え隠れしている、気がした。

「今、お前さんを討ち取るため、北の魔女と南の魔女、半陰陽の魔女がスラウゼンの街へと侵入した。ロッテ、悪い事は言わない。すぐに投降するんだよ。お前さんの魔力ではあの三人に到底太刀打ちなどできない。お前さんのスラウゼンの者達への復讐は成功したんだ。これ以上罪を重ねてどうする……」


 ここでヘドウィグは早口で詠唱し、リーゼロッテとの距離を一気に詰めるといきなり地面に突き飛ばした。直後、転倒したリーゼロッテ目がけて、無数の巨大氷岩が空から落石してきた。ヘドウィグが咄嗟に発動させた薄緑色の防御壁で直撃は免れたものの、街中で未だ暴れ狂っている黄金のゴーレム達は巨大氷岩の格好の的となった。

 薄緑色に光る結界の中で、次々と息絶えると同時に霧消していくゴーレムを呆然と見つめていると、突然、頭上を照らす太陽の姿が消えてしまった。夜の帳が訪れたかのように、辺り一面が暗闇に染まっていく。

 空を見上げると、街の上空を覆い尽くす程の体長を誇り、青い鱗を光らせる超巨大水竜が出現していた。動きは鈍いが、ちぎれんばかりに頭を縦横左右に激しく振り、耳まで裂けた口から勢いよく大量の水蒸気を、真下を飛び交う火竜達に向けて吐き散らす。

 瓦礫の街は一瞬にして真っ白な霧に包まれた。闇の黒と霧の白にリーゼロッテの視界が阻まれる中、ゴーレムと火竜の叫び声だけが響いてくる。


「これで分かっただろう??お前さんではあの者達には敵わない、と」

「…………」

「私の防御結界であの者達は、ここにお前さんがいることに気付いただろう。霧が晴れる頃には、お前さんを取り囲んでいることだろうよ」


 やがて、リーゼロッテが召喚した火竜と黄金のゴーレム全て掃討されたのか、辺りを支配していた悲鳴や轟音が途絶えていく。霧も徐々に晴れ、我が身が置かれた状況を正確に判断できるまでに心が落ち着いていく。

 ヘドウィグの予想通り、自分達の周りを、今にも飛びかかってきそうな様子で大鎌を構える、死神を思わせる小柄な魔女、ファーデン水晶を掌上で浮遊させる、顔は美しいのに巨人のような体格の魔女、すらりとした長身の美少女魔女が取り囲んでいた。


「ヘドウィグ様?!何故、貴女がここに?!」

「まさかと思うけど……」

 美少女魔女が目を瞠る傍ら、立派な体格の魔女が疑念に満ちた声色でヘドウィグに疑惑を向ける。

「はん!半陰陽の魔女に続き、軍の狗の筆頭と呼ばれていた貴様が、よもや大罪人の知り合いがいるとは!!」

 大鎌の柄を握り直し、死神の魔女がせせら笑う。

「ヘドウィグ様は関係ありません」


 薄緑色に光り輝く防御結界の中、リーゼロッテはゆっくりと立ち上がった。

 魔法の波動で艶やかな黒髪を揺らし、三人の視線に臆することなく、黒曜石の瞳でそれぞれの目を真っ直ぐに見返す。


「ヘドウィグ様は、スラウゼンの魔女狩りの犠牲になりかけた私を弟子として育ててくれただけです。スラウゼンの街を滅ぼしたのは、私が個人的な怨恨を晴らしたくて勝手に行いました。ヘドウィグ様には何の咎もありませんし、貴女達に攻撃する気も毛頭ありません。復讐も果たし終えたことですし、大人しく投降します」

 敵意がないことを示すため、リーゼロッテは両手を高く掲げてみせた。

「ですが、投降するにあたってお願いしたいことがあります」

「随分と厚かましい女だな!まぁ、内容にもよるが、話を聞くだけは聞いてやるさ!」

 エヴァの不遜な態度にハイリガーは思わず苛立ち、鼻先に皺を寄せて軽く横目で睨み付ける。

「で、貴様の望みとは何だ?!」

「大罪を犯した償いとして、東部の国境防衛を私に任せて欲しいのです。街を破壊した分、一からの再建をこの手で行いたいのです。皆様の力には及ばないでしょうが、並の魔女と比べれば私の魔力は高いと思います。ですから、その旨をギュルトナー元帥と交渉する機会を取り計らって頂きたいのです」

「はぁ??貴女、何を言い出すかと思えば……。そんなの無理に決まっ……」

「あっはっはっは!!!!!」

 即座に拒否しようとしたハイリガーの声を、エヴァの豪快な笑い声が打ち消した。

「気取った美貌に似合わず、中々面白い奴だな!!いいぞ、いいぞ!!是非にとも、ギュルトナーに直談判するがいい!!いくらでも取り計らってやるよ!!」


 ちょっと……、と、抗議の声を上げようとするハイリガーなど無視して、エヴァは勝手にリーゼロッテと話を進めていく。一方、アストリッドは唇をきつく噛みしめ、穴が空きそうな程リーゼロッテを見つめたまま微動だにせず立ち尽くしていた。


「……お話の腰を折るようで、すみません……。貴女の、お名前を……、教えて頂けますか……」


 ウォルフィが探し続けている『リザ』は、長い黒髪と黒い瞳、真っ白な肌で白雪姫のように美しい娘だと聞かされている。眼前で薄く微笑むこの娘は、その条件にぴったりと当てはまっている。


「私の名はロッテ。リーゼロッテよ」

「分かりました。リーゼロッテ、さん、ですね……」


 掠れた声で小さく呟き、彼女の名を反芻する。

 すると、ウォルフィの仏頂面が浮かんできて、アストリッドは頭を抱えてこの場で蹲りたくなる衝動を堪えた。


 二年間、魔女の狗に成り下がってでも探し続けてきた恋人が魔女となり、故郷の街を滅ぼし住民を虐殺した大罪人と化したなんて。

 血塗れの白雪姫を悲しげに眺めるアストリッドの胸中もまた、複雑な思いで押し潰されそうになっていた。

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