第9話(4)

「気が重い……」

眉間にシワを作って、純は呟いた。

場所は夜の保健室。

劇中でのから時は過ぎ、時刻は午後7時になろうとしている。

学園祭は1日目が終了し、生徒も客も教員も、全員が帰宅した。

純たちを除いて。

「不慮の事故だったのよ」

琴乃が懸命に純を慰める。

夏子もそれに加わる。

「クラスのみんなも誰もあなたを責めなかったし、寧ろ褒めていたじゃない。 鳳佳ちゃんだって、ありのままを話せば、きっとわかってくれるわ」

「……」

黙ったまま、何も言わない純。

そんな彼を見て、夏子と琴乃は困ったように顔を見合わせた。

ここまで落ち込んだ純を、二人は初めて見たからだ。

彼はもう劇中のドレス姿ではない。

怪盗の格好もしていない。

龍嶺学園の女子制服──それは、これから鳳佳と会うことを意味していた。

今、桜井学園長が彼女を迎えに行っている。

帰国してから長らくの間を開けて、久しぶりに今日、彼女は学園を訪れる。

「……」

無言で、純はポケットから携帯を取り出した。

公演時間中、鳳佳からは何通もメールが届いていた。

彼女なりに冷めやらぬ気持ちを純に伝えたかったのだろう。

純たちが舞台に立つその直前まで緊張していたように、きっと彼女も同じ気持ちでいたのだ。

「……」

相変わらず眉間にシワを寄せたまま、目を閉じる純。

彼の手が、ぎゅっと携帯を握った。

反対の手にはデータディスク──この中に、録画された劇の映像が入っている。

(見せるしかないよな……)

ディスクケースを持つ手に、力が篭った。

(……クソッ!)

ただの一度。

本当に一度の『失敗』だった。

あと、ほんの数センチ──いや、数ミリだったかもしれない。

仮面を着けていなければ、完全に斬撃は避けていただろう。


終幕後、謝りに来た誠也の言葉が脳裏に浮かぶ──









「すまねぇ、姫……。 おれがとっさに余計なこと口走ったばっかりに──」

「いいや。 避けきれずに、仮面が弾き飛んだ時点で、アウトだったんだ。 客に素顔を曝したのは、完全にオレのミスだよ」

「そもそも避けられなかったのは、おれが“二役やれ”なんて言ったせいで、おまえが無茶して疲労がたたった結果、反応速度が鈍っちまったんじゃ──」

「オレが二役やってなきゃ、この『劇』自体、上演できてねぇんだ」

「姫……」

「もう、いいんだよ、誠也。 済んじまったことだ」









──あの時、口でそう言ったのは誠也に向けてと言うより、自分に向けて言い聞かせていたという方が正しかった。

それでも、気持ちは上手く切り替えられなかったが。

「……クソッ」

今度は口に出して呟き、再び溜息を吐く。

その時、ガラリと保健室の戸が開いて、桜井学園長が入ってきた。

「すみません、お待たせしました、姫宮さん」

純は座っていた椅子から立ち上がって、学園長の方を向く。

「アイツは?」

「いつものように、図書室にいます。 でも、とてもワクワクしている様子でした」

嬉しそうに語る学園長と反対に、純は曇った表情で俯いた。

「姫ちゃん……」

心配そうに、彼を呼ぶ夏子。

「……大丈夫。 言葉使いを直すのは忘れてねぇよ」

振り返らずに純が応えた。

夏子が心配しているのは、そこではなかったが、彼女は言いかけた言葉を飲み込み、、

「また……ここで待ってるね」

と、だけ言った。

純はそのまま、誰と顔を合わせることもなく、保健室を出て行った。














誰もいない校舎。

いつもとは違い、今日は至る所に、飾り付けやポスターが貼ってある。

床に散乱するチラシやゴミも加わって、まるで学園自体が別の建物のようだ。

静かな暗がりに佇むそれらを見て、鳳佳は何を思うだろう。

本来なら今日、彼女も日の光を浴びて、たくさんの人に囲まれ、ここで楽しい思いをしていたはずだ。

──もし、彼女が普通の龍嶺学園の生徒だったなら……

ふと、純の頭の中に、今朝出会った火憐の姿が浮かんだ。

(もしかしたら、鳳佳もメイドになってたかもしれないんだよな)

普段、本物の使用人に囲まれている彼女が、もしその服を着た姿を想像すると──

……案外、似合っているような気もする。

(もし…か──)

虚ろな瞳で階段を昇りながら、純は考えていた。


“もしも、過去を変えられるなら──”


「何考えてんだ、どアホ……!」

一際冷たい口調で、自分自身を叱責する。

やがて、図書室のドアが見えた。

明かりが点いている。

「……」

小さく、微かに息を吐いて、呼吸を整え、彼はドアノブに手を掛けた。


ガチャッ……


ドアを開けると、椅子に腰かけてノートに向かっていた王城 鳳佳が、こちらを振り返った。

「……こんばんわ」

かろうじて、微笑みを作る純。

そんな彼を見て、パッと花が開くように笑顔を見せる鳳佳。

「久しぶりだね。 体調はどう?」

彼女の隣に腰かけ、語りかける。

鳳佳は、すぐに机の上のメモ用紙を手繰り寄せ、何か書き始めた。

(……ああ。 そうだ、こんなカンジだったな)

それほど時間が経ったわけではないのに、なんだか鳳佳の仕草がとても懐かしく感じられた。

彼女の書き上げた文字は相変わらず、丸みを帯びた可愛らしい文字だった。

“ありがとう あたしは元気だよ 純ちゃんはどう?”

「アタシも相変わらず」

ニッと笑って、答える純。

その顔を見て、鳳佳は一瞬首を傾げた。

「ん?」

それに気づいて、純も頭の上に疑問符を浮かべる。

「え、なに? アタシの顔、なんかついてる?」

純が自分の顔をペタペタと触ると、鳳佳は首を振って、再び書き綴った。

“なんだか 少し暗い顔”

彼女の文章に、一瞬ドキリとした。

(そんなわかりやすい表情かおしてたか?)

そう思いながら、少し間をおいて、純は覚悟を決める。

「……ちょっと、いろいろあって」

苦笑する純。

鳳佳がペンを走らせる。

“大丈夫? どこか痛い?”

不安そうな表情で、鳳佳は純を覗き込む。

「ううん。 別に体調が悪いわけじゃないんだ」

そう前置きして、純がいよいよ本題を切り出す。

「それより、コレ。 約束してた映像……」

「!!」

純がディスクを差し出した瞬間、鳳佳の瞳が歓喜で見開かれた。

“楽しみにしてたの! ありがとう!”

「……」

彼女の綴ったこの言葉に──純の心臓がズキンと軋む。

「あのさ、鳳佳。 今から二人でコレ、観ない?」

「??」

「アタシさ──鳳佳に言わなきゃいけない事があるんだ」



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