第8話(5)

結局、怪盗役の生徒は、本番を欠場することになった。

彼自身は“問題ない”と言い張ったが、誰がどう見ても『問題あり』だった。

まともに立つのもやっとでは、普通の役ならまだしも、軽快な殺陣を行う怪盗役を、こなせるはずがない。

そして、そこがまさに『問題』だった。

そもそも、怪盗の軽快な動きができることを理由に、彼を抜擢したのだ。

このクラスに、彼の代役を務められる者はいない。

「いるじゃんよ」

「ああ?」

帰り道。

しかめっ面で解決策を思案している純の横で、誠也が平然と言ってのけた。

「誠也、まさかとは思うけど……」

夏子が、さらにその横から口を挟む。

誠也はコクンと頷いた。

「姫が『二役』やればいいんでねーの?」

「……はぁ?!」

突拍子もない意見に、純が声を上げる。

「もともと、殺陣の動きは、あいつとお前が考えたんだし、今から練習すれば、怪盗の動きだって、すぐにマスターできるだろ」

「……」

「それにね、姫ちゃん。 気づいてないかもしれないけど、この台本、『怪盗』と『お姫様』は最後まで同じ舞台を踏むことがないの」

夏子に言われて、ようやく純も気づいた。

そう言われてみれば、確かに、自分は怪盗役と一緒に練習した覚えがない。

「……」

理論上は可能だ。

だが、実際は──

「──いや、迷ってる暇はないな」

目を閉じて首を振り、眉間にシワを寄せる純。

「誠也、夏子。 お前ら、今日このあと暇か?」

いつのまにか、三人がいつも別れる十字路に辿り着いていた。

「しかたねぇなぁ」

誠也が、さも“やれやれ”というように、溜息をつきながら言った。

「私も大丈夫だよ」

夏子は、いつもの笑顔だ。

「泊まり込みでやるぞ」

「ったりめーよ」

純の言葉に、ニヤッと誠也が笑う。

「じゃあ、着替えてくるね」

夏子も頷いた。

「晩飯は譲に頼んでおくから」

「おう」

「了解」

それだけ言って、パッと三人は散開する。

それぞれが駆けだす足取りは、焦りというよりも、なんだかワクワクしているようにも見えた。















それから数日が経った。

「だから違うって」

「ちょっとまって、袈裟斬り…横薙ぎ…平突き…」

「『横薙ぎ』の次は『防御』だ」

「──あ、そっか」

「“あ、そっか”じゃねーよ!なんでオレがオマエに教えてんだよ!オマエがオレに教えろよ!」

丸めた新聞紙を振り上げて、純が叫ぶ。

叱られた誠也は目をうるうるさせて小さくなった。

「いいじゃないの。どっちの練習にもなるんだから」

庭に備えられたベンチから、夏子が言う。

その言葉に、純はやれやれと首を振って、新聞紙を一振りした。

「次!『シーン17』の剣劇、いくぞ」

「あれ? 今やってたのって、どこの剣劇だっけ?」

「ぶっとばすッ!!」

純が誠也に飛び掛かった。

純の飛込み斬りを、一歩下がって誠也がかわす。

ざりっ!と地面を踏みしめて、誠也が反撃に出る。

誠也のラッシュを純は軽く身を動かすだけで、全て避ける。

いくら斬撃の軌道を事前に知っているとはいえ、純の身のこなしに、傍で見ていた夏子は目を見張った。

誠也の最後の大振りを、純はバク転して避け、ピタリと二人は静止した。

パチパチパチと乾いた音がする。

いつの間にか、譲治が来ていた。

「お見事です、お二人とも。 さぁ、お飲物をお持ちいたしました。 一度、休憩されてはいかがですか?」

向き合って、肩で息をしていた二人が、緊張を解く。

「なんとか間に合いそうね」

夏子が、持っていた団扇で二人を交互に煽ぐ。

「こっちはな。他の作業が間に合うかだ」

純が汗を拭きながら応えた。

「他の作業って?」

誠也が譲治の持ってきた、『レモン入りのミネラルウォーター』のストローを咥えて尋ねる。

「オレ用に怪盗の衣装を合わせてるんだよ。 二役やるって決めた時点で、衣装係に電話して、もう準備してもらってる」

「わざわざ作りなおすのか?」

一息に飲みほしたので、誠也のグラスの中でストローがズコズコと音を立てる。

彼の疑問には夏子が答えた。

「サイズが若干違うし、早着替えしなきゃならないから、着替えやすいように改良するの。 あと、姫ちゃんの長髪が隠れるように、新しいデザインの仮面も頼んである」

「仮面というより、ほぼ頭巾だけどな」

ストローでくるくると飲み物をかき回す純。

「にしても、姫ちゃん、よくここまで出来るようになったね。 私、絶対無理だと思った」

「おい」

ケロリと痛烈な言葉を吐く夏子に、純がしかめっ面をする。

「姫は特に、こういうの得意分野だもんな。 バスケ部時代も、まるで相手を弄ぶみたいに、プレーしてたし」

ガリガリと氷をかみ砕きながら、誠也が言った。

「弄んでねーよ。 チビでなめられるのが嫌だったから、それを活かす為の練習をしただけだ」

グラスをベンチに置き、純が肩を回す。

「さぁ、もう一度いくぞ」

一本に纏めた長髪を翻し、純が二人から離れる。

「……なーんか、不思議なんだよな、姫って」

ポツリと誠也が呟いた。

「なにが?」

夏子が首を傾げる。

誠也は新聞紙の剣を取りながら答えた。

「バスケの時もそうだったんだけどさ。 アイツと対峙したとき、なんか少し寒気がすんだよ」

「……寒気?」

「いや、なんつーんかな……ほらよく言うじゃん? 『心臓を鷲掴みにされたような』って表現……」

「??」

「……まぁいっか。 なんでもねぇ」

瞼を伏せて、フッと笑い、誠也が首を振る。

「おーい、誠也! さっさとコッチ来い!」

「あいよ」

新聞紙を肩に担ぎ、誠也も戻っていった。


本番まで、あと少し──



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