第6話(5)

 一度、昼休みを挟んで、練習を再開。

ただし、誠也が午後からバスケ部の練習に戻ったため、とりあえず、殺陣のシーンは後回しになった。

純は通常の役に舞い戻る。


「『姫! 今、城の外に出るのは許されませんぞ! 姫も御存じでしょう? 巷を賑わす怪盗の噂を……』」

「『奴は今まで狙った獲物を、なんであろうと必ず盗み出しています。高価な宝石、価値ある絵画、果ては羊飼いの羊の毛まで……!』」

「『その奴めが、次に指名した標的は、恐れ多くも、あなた様です!』」

「『城外などに出られては、彼奴の思う壷ですぞ!』」

「『しかし、大臣──』」


クラスの人数を消化するため、物語に登場する大臣は四人にまで増えた。

そんな彼らを見回して、緊張した面持ちで、コチコチに固まったセリフを呪文のように唱える純。

(──ダ、ダメだ!)

発する声は普段の彼に比べると格段に小さく、目線も下を向いている。

(恥ずかしすぎて、ぜんぜん集中できん!!)

そう思う彼の心情とは別に、これはこれで、女子層には受けたが……──結局、一向に演技のコツを掴めないまま、練習は小休止に入った。

「どうしたの? 姫ちゃんらしくもない」

夏子が差し入れに、冷たい缶コーヒーを純に渡す。

「いつも鳳佳ちゃんの前でしてることなのに」

耳元でコソコソと彼女に言われ、純は溜息をついた。

「鳳佳の前とは、感覚が全く違うんだよ──」

乱暴にパキャッっと、缶のプルタブを開ける。

「第一に、これは『演劇』だ。 言う言葉は決まってるし、言い廻しだって普段の生活とは違う」

一口コーヒーを飲んで、純は続ける。

「第二に、ここにいるヤツらは、鳳佳と違って『本当のオレ』を知ってる。 そういうヤツらを相手に『女役』で振る舞うってのは、思った以上にしんどいんだぞ」

首を動かして、コキコキと骨を鳴らす純。

「もう、わかったから、文句言わないで。 ほら、肩揉んであげるから」

「こんなことで、オレを投票でハメた事実が帳消しになると思うなよ?」

「えへへ、バレバレ?」

調子よく自分の両肩をほぐす夏子に、純は眉間にシワを寄せた。

そして、結局、それがその日、純の最後の休みだった。

なぜなら、彼の演じる『お姫様』は、物語全体の七割近くに登場するので、結果として、ほとんどのシーンの練習に参加する事になる。

加えて、それ以外にも、衣装合わせに呼び出されたり、小道具制作の様子を伺ったり、舞台上での役者の配置を考えたりと、あちこちを忙しなく、バタバタ動き回った。

裏方の仕事の多くは、夏子がサポートしてくれるので大いに助かったが、それでも時は矢のように過ぎ……。

夕方になると、部活の練習から戻った誠也を含めて、また練習を再開。

「──よし、誠也はまた殺陣の練習!」

「オーッス」

「あ!姫宮くん! その前に、一度こっちのシーン見てくれる? 感想を聞きたいんだけど……」

「わかった。すぐに行く」

ペットボトルの水を一口飲んで、台本を片手に、教室を小走りに出ていく純。

学園を包む活気は、茹だるような熱帯夜に溶けていった。













「──これでなら、みんなから徴収した予算の範囲内で、なんとか済みそう」

「そうか、よかった」

帰り道、夏子の言葉に、純は安堵の溜息をついた。

その隣には誠也もいる。

結局、彼らの練習は、学園側が許可している時間のギリギリまで行われた。

しかし、それでもできなかった雑務を、純は帰宅途中に夏子と片付けていた。

そんな二人を見ながら、誠也は指折り数える。

「主役に、脚本に、監督──……大変だな、おまえ」

「主役はテメェらのせいだッ!」

すかさず純が噛みついた。

「フフッ」

誠也が必死で純を宥めている光景に、微笑む夏子。

「なんだか久しぶりね。 こうして三人で一緒に帰るの」

「あー……、言われてみれば、小学生の頃は三人で帰るのが、当たり前みたいなもんだったのにな」

暗くなりだした空を見上げて、誠也は呟いた。

「高校にもなりゃ、それぞれやる事も変わるだろうし。 帰る時間だってズレるだろ」

彼の言葉に、純がそう返す。


「………」


無言になる三人。

しかし、それは気まずい空気ではなかった。

それぞれ、思い出していた。

かつて、今日と同じように、親友と一緒に帰った懐かしい時間を。

「──……嬉しいな」

ポツリと唐突に、純と誠也の少し後ろを歩く、夏子が呟いた。

「あん?」

誠也がポカンと口を開けて、彼女に振り向く。

「なにがだよ?」

純も振り向いて、怪訝な顔をした。

夏子は自分を見つめる二人に、満面の笑顔を向けて、言った。

「また三人一緒だから」

一瞬の間を置いて、ニッと誠也が笑ったのと、純が正面を向いて、二人に見えない様に微笑みを浮かべたのは、同時だった。










 純、夏子、誠也──彼らの住む家は、それぞれの位置関係が丁度、三角形を描くように点在している。

互いの家までの距離は、ほぼ等間隔で、ちょうど真ん中にある十字路が、いつもの解散場所だ。

その十字路に行き着く手前で、大きな商店街を通り抜ける。

この商店街は、夕方から夜にかけて、買い物に来た主婦や仕事終わりのサラリーマン、辺りをブラブラと散策する学生などで賑わう。

今日も今日とて、この時間帯の商店街には、多くの人々が行き交っていた。

「……そういや、オレ、前にここで女と間違えられたことあったな」

苦々しい顔で、純が言う。

「あー、男にナンパされた話?」

誠也が聞き、しかめっ面で頷く純。

思えばあれは、鳳佳に出会う少し前のことで、その事件を知った桜井学園長の要請で、純は鳳佳の協力者に抜擢された。

あの時は、まさか、近い未来に自分から女性のフリをする事になるとは、予想だにもしていなかった。

「そういえば、あれから姫ちゃん、ナンパされないね」

頬に人差し指を添えて、夏子が思い返す仕種をする。

それを聞いた純は、腕組みをして、

「フン! そう何度も間違えられてたまるかっ!」

不機嫌そうに、言い放った。

その時──……


「──見つけたぁぁっ!!」


どこからか、男性の声が響いた。

そして──……


がしっ!


突然、純の腕を誰かが掴む。

「え?」

「お?」

「……は??」

夏子、誠也、そして、純が、頭の上に疑問符を浮かべた。

「ホラ! 何をぼさっとしてるんだい? すぐに戻らないと!」

純の腕を掴んだのは、黒縁眼鏡をかけたスーツ姿の男だった。

声色からして、先程“見つけた!”と叫んだのは、この男のようだ。

年齢はおそらく、三十代。

馴れ馴れしく腕を掴んでくるくらいなので、『そういった関係の店』の呼び込みか?とも思えたが、髪は黒髪で、適度な長さに切ってあることから、普通の会社員に見える。

「……」

状況の理解が追いつかず、当惑する純達を尻目に、男はひたすら喋り続けた。

「さぁ、ボサッとしてないで──って、あれ? なんでジャージなんて着て……──あ!わかった! まーたどこかで転んだんでしょ? まったく、ホントにドジだなぁ──」

「……」

何も言えない純に、次から次へと言葉をぶつける謎の男。

「困るよ、突然いなくなったりしたら! なにかあったら必ず僕に連絡するようにって言ったでしょ? それでなくても、君はいつもフラフラしてるんだから! それに──」

まるで機関銃のように捲したてるので、純は途中から彼の話を無視し、夏子と誠也の方を交互に見た。

「……?」

夏子は、初めてみる生物でも見るかのような顔をしたまま、小首を傾げていた。

誠也も夏子と同じような表情だったが、純に向かって、くいっと顎で“とりあえず、やっちまえ”と合図を出した。

「まぁ、とにかく、見つかってよかった! 今ならまだ間に合っ──イデデデデデッ!!」

男は突然、悲鳴を上げた。

純が彼の手首を取って、関節と逆に腕を捻ったからだ。

そして、流れるように今度は膝の裏に蹴りを入れると、男のバランスを崩し、そのまま地面に倒して取り押さえた。

「折れる!折れる!折れちゃうよ!!」

地面を叩いて、喚き散らす男。

「そう簡単に折れるか、ボケ。 何者だ、テメェ」

ヒィヒィと声を上げる彼に、純は辛辣な言葉を投げかけた。

男は、訳がわからないと言った表情で、喋り続ける。

「おいおい!変な冗談に付き合っている暇はないんだよ! 早くしないと撮影が──アガガガッ!!」

純がさらに腕を締め上げるので、それに比例して男が叫んだ。

「これが冗談だと思うか? なんなら、このままホントにへし折ってやっても良いんだぞ?」

ドスの効いた声で、純が脅す。

「な、なにが、どうなって──」

あまりの痛みに、男は涙目になっていた。

「姫ちゃん、もうやめてあげたら? どうやら『変な人』でもなさそうだし」

ここで、ようやく、夏子が止めに入る。

「ひ、“ひめちゃん”?」

商店街のタイルに顔を押しつけられながら、茫然と男が呟く。

「おい、姫。 男がなんか物言いたげだぞ。 一旦、リングから降りろよ」

男の背中にのしかかっている純に、誠也が手を差し出す。

「どーせ、また『下半身』で生きてるようなクソヤローだろ」

猛毒の毒舌を吐きながら、純は男を解放し、誠也の手を取って立ち上がった。

「“姫”? それ……君の名前?」

やっと自由になった腕をさすり、男が純を見る。

純は眉間にシワを寄せると、

「姫宮 純──歴とした男だ。 文句あるか?」

挑みかかるような口調で彼を睨む。

すると、男は酷く驚いたような表情で、よろよろと純から後退あとずさりした。

「そんな……まさか……こんなことが──?」

先程と違って、小さな声でブツブツと、そう口籠る。

そして、まじまじと純を頭の天辺から、つま先まで眺めた。

「あ? なんだよ? まだ言いたい事があんなら、ハッキリと──」

純がそう言った、瞬間──


ぽふっ


男の両掌が、ジャージの上から、純のに触れた。


「…………」


あまりの出来事に、夏子も誠也も──

触られている純でさえ、驚きで目を丸くし、言葉を失う。

そして、男はホッとしたような笑顔で、こう言った。


「本当だ! !」


ゴキンッ!!!


鈍く重い音がして、男の身体が空中にのけ反った。

かけていた黒縁眼鏡が、勢いよく飛んでいく。

「……ッ!!」

眉間にいつもの三割増しのシワを刻んだ純が、鋭い疾さで男の顎を蹴り上げていた。

男はそのまま、“バタン・キュー”という効果音が聞こえてきそうなほど、キレイに後ろへ倒れ、気を失ってしまった。




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