第3話(2)
一歩、踏み出すごとに、背中で鳳佳の華奢な身体が揺れる。
それだけでなく、微かな息遣いや彼女の体温、心臓の鼓動も伝わってくる。
「鳳佳ちゃん、意外と胸、大きいでしょ?」
急に意地悪そうに琴乃が口を開いた。
「……真正のアホなのか、お前は」
「体重は教えられないけど、胸囲は確か──」
「言わんでいい!」
顔を紅くしながら、純が制す。
彼をおちょくるのが随分と楽しいらしく、琴乃は笑って話を続ける。
「それで、バスケはどうだったの?」
「単純なゲームだったけど、オレの想像以上だったよ」
それを聞いて、琴乃が少し驚く。
「もしかして、取られたの?」
「まさか。 そこまで、鈍ってねぇよ」
“ぶつかりはしたけど”──と言うと、またからかわれそうなので、純は黙っていた。
やがて、純達は保健室に辿り着き、琴乃が部屋の灯りを付ける。
純は備え付けのベッドに、ゆっくりと鳳佳を降ろし、寝かせた。
「菊池です。少しトラブルがありまして──ええ、そうです。今は保健室に──はい、お願いします」
机の上のインターフォンで、琴乃は誰かと話していた。
おそらく、桜井学園長だろう。
「……」
ベッド横の椅子に座り、無言で鳳佳を見つめる純。
その顔はどことなく暗い。
そんな彼の背中から覆いかぶさるようにして、琴乃がのしかかり、耳元で囁く。
「女の子の寝顔をじっと見るなんて、やらし~」
「……」
言われて、純は眉間にシワを寄せると、鳳佳から目を逸らした。
「ねぇ、純くん、聞いてもいーい?」
フフフと笑いながら、琴乃が尋ねる。
どことなく彼女の声が幼い。
こんな時、決まって彼女は純をからかいに来るのだ。
「何だよ?」
怪訝な顔で純は返す。
「鳳佳ちゃんのこと好きなの?」
突然の質問に、純は少し黙ったあと、
「……別に、嫌いじゃねぇよ」
と答えた。
「あら、卑怯な答え方ね。 それって、つまり──」
「恋愛感情は無い。 あくまでオレは、学園長から“鳳佳の手助け”を頼まれただけで、アイツとは、それ以上でもそれ以下でもない、そういう間柄だ」
「でも、鳳佳ちゃんを女性としては意識してる」
「そりゃそうだろ。 どうだ? これで満足か?」
この返答を聞いて、琴乃は微笑む。
「ねぇ、もしも、だよ?」
眠っている鳳佳には聞こえる筈もない。
だが、琴乃はさらに純の耳に口元を近づけて、ヒソヒソと囁いた。
「もしも、この先、純くんが鳳佳ちゃんのことを、好きになっちゃったら、どうする?」
彼女の囁く声に、息遣いに、鳥肌が立った。
いつも聞いている琴乃のからかい声が、今日はなんだが違って聞こえる。
「“本当は自分は男なんだ”って、彼女に伝える?」
妖艶でいて、どこかそら恐ろしい。
深い森の魔女のようでいて、神聖な泉の女神のような、不思議な声。
「それとも──」
コンコン……
琴乃がそう言ったところで、ノックの音がした。
スッと、琴乃が純から離れる。
瞬間、純はまるで、催眠術から解けたような気分になった。
“それとも──”なんなのか、純は気になったが、聞こうとは思わなかった。
戸が開いて、桜井学園長が中に入ってきた。
「こんばんわ、姫宮さん。 お疲れ様でした」
純に向かって頭を下げる、桜井学園長。
椅子から立ち上がって、純が口を開く。
「学園長、オレ鳳佳に──……」
彼の言葉を、学園長は片手を上げて制した。
「あなたには、何の責任もありません。 『学園』という、公の場所に来る以上、こうなる可能性も十分あると、彼女自身、前から覚悟はしていたの」
ベッドに近づき、穏やかに眠る鳳佳の髪を撫でる学園長。
「それより聞かせて? 今日は上手にバスケットボールできたのかしら?」
純に笑顔を向けて、そう尋ねる。
「まぁ、一応は……」
ポリポリと頬を掻きながら純が答えると、感嘆したように学園長は声を漏らす。
「本当に、あなたは不思議な子ね」
「え?」
ハテナマークを浮かべて、純がキョトンとしていると、学園長が続ける。
「今日、いきなり学園長室にやって来るや否や、“鳳佳に貸し出す、ジャージと靴はあるか?”なんて、突然言い出すんだもの」
このセリフに、純は自分の頭に手を当てた。
「えっ……その……」
「ふふふ、責めてるんじゃないの。 変なこと言って、ごめんなさいね」
そう言って、面白そうに純を見る学園長。
「私には無理だと思っていた。 まさか、この子に『スポーツ』なんて──」
「……」
「──でも、きっと、あなたには彼女に、“やってみよう”と思わせる不思議な力がある」
「オレにそんなものは……」
いくらなんでも過大評価されていると、純は思った。
そもそも、今回のアイディアは『冬月 火憐』のものだし、純本人もダメで元々、断られる可能性もあるつもりで、鳳佳を誘ったのだ。
そして……──
(オレが誘わなければ、あんなことには──)
純は、桜井学園長から目線を外した。
そんな彼の気持ちを知る由もなく、学園長は呟くように言った。
「これで少しは寂しさが紛れたかしら。 いいえ、もしかしたら逆に増したかもしれないわね」
純は首を傾げる。
「寂しさ?」
彼の反応に少し驚いて、学園長は返した。
「あら、彼女なにも言ってなかった? 鳳佳ちゃん、夏休みの間はずっと海外に滞在するのよ」
純の目が見開かれた。
「え……?」
もちろん、鳳佳は一言も、そのようなことは言ってなかった。
確かに純自身、“夏休みの間、鳳佳はどうするのだろう?”と、心のどこかで、思ったこともあったが……。
「……」
純の表情を見て、大体のことを察した琴乃が、口を開く。
「海外の研究機関に呼ばれていてね。 来週ここを発つの」
「……そうか」
呟かれた純の言葉に、学園長は言った。
「言う機会がなかったのか、もしかしたら、言いたくなかったのかもね。 彼女、最近、あなたと会う時間をいつも楽しみにしていたから」
「……」
純は眠る鳳佳を見つめた。
そんな彼女に、不可抗力とはいえ、結果大きな傷を負わせてしまった。
よくよく思い返してみれば、今日の自分の行動は、思いつきが先行し不用意すぎていた。
もっと深く考えていれば、なんであるなら、琴乃や学園長に事前に相談していれば、いろいろな準備ができたはずだ。
(夏休みは海外に……か……)
今日これを最後に、鳳佳とはしばらくの間、会わなくなる。
そう思うと、申し訳のない気持ちで、胃がムカムカした。
どうにかして、挽回したいという焦りにも似た気持ちが、彼の思考を突き動かした。
やがて、ポッと彼の中で一つのイメージが湧いた。
その為に準備することや、するべきことが思い浮かぶ。
「……桜井学園長、一つ頼みがあるんだけど」
「あら、なあに?」
微笑んで、首を傾げる学園長に、純は鳳佳から目を逸らさずに続ける。
「明日、特別に学園の校庭を使わせてもらえないかな。 場所は狭くても構わない。 でも、時刻は夜で、誰かが来ない様に、完全に学園を貸し切ってほしい」
黙って彼の話を聞いていた桜井学園長は、少し間をおいてから尋ねる。
「何か考えがおありのようね。 説明してもらえる?」
聞かれて、純はフッと笑うと、
「別にそんな大したことじゃないよ」
そう前置きして、説明し始めた。
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