第1話(6)
もちろんオレの返答は“イエス”。
放課後、鞄を持って、夏子と二人で階段を降りる。
時刻はもう七時に差し掛かり、とっくに下校時刻は過ぎている。
おそらく、残っている生徒は俺たちだけだろう。
「なぁ、こんな時間に誰に会いに行くんだよ?」
「フフフ」
オレが何度も尋ねるのがそんなに楽しいのか、嬉しそうに笑うだけで、夏子は答えない。
やがて、渡り廊下を通って職員棟へ。
一瞬、図書室に行くのかと思ったが、夏子は上には向かわず、職員室のある一階へ降りた。
オレがまた、ぽつりと疑問を漏らす。
「もしかして、そいつ教員?」
「……半分正解」
と、答える夏子。
なんだよ、半分って。
そのまま職員室に入るのかと思いきや、夏子はその前を素通りし、さらに奥にある、他とは違う上質な木の扉の前で止まった。
「ここよ」
「“ここよ”って、お前……」
オレが見上げたプレートには『学園長室』と書いてある。
おい、まさか──
オレがハッとしているうちに、夏子はコンコンと扉をノックし、言った。
「失礼します」
ガチャリと開いた扉の向こうには、歴代の学園長の写真、飾られたトロフィー、本とファイルで埋まった棚、壁に掛けられた校旗などが目についた。
それらに囲まれ、大きな窓から暗くなりつつある外を眺める人物が、ゆっくりとオレ達に振り返る。
「あらあらあら」
温厚そうな声で言いながら、目を細めて笑う。
「あなたが姫宮さん? まぁまぁ、本当に女の子のような出で立ちねぇ」
「えっ……と」
オレが状況を理解できずに呟くと、さらに笑って、その人物は自己紹介した。
「こうして個人的に顔を合わせるのは初めてね。 わたくし、この学園の学園長、“
「学園長……?」
まだオレが茫然自失なのを、夏子は面白そうに見ながら、
「姫ちゃん、全校集会で先生の話になると、すぐに前髪で目を隠して、立ったまま寝ちゃうもんね」
と、余計なことを暴露してくれる。
「うふふ、ごめんなさいね。 ああいう場に立つと、つい話が長くなってしまって」
桜井学園長は微笑みながら右手を差し出し、握手を求めてきた。
「どうも」
言いながら、オレが握手に応えると、桜井学園長は革張りのソファを勧める。
「お座りになって。 あなたのことは夏子ちゃんから聞いているわ。 こうして、お話しできるときを、心待ちにしていました」
オレと夏子が並んで腰かけると、学園長はガラスのテーブルを挟んだ反対の椅子に座った。
「夏子とは、どういう関係なんだ?」
「彼女とは、生徒会の行事で非常に仲良くさせて頂いているのよ。 まだ一年生なのに、とても優秀で仕事も出来てね。 私とも、とっても気が合うの」
言われて夏子の方を見ると、相変わらず笑顔のままだ。
──なるほど、確かに気が合いそうではあるな。
「さて、私に聞きたいことって、なぁに?」
まるで孫と話をする婆さんみたいな聞き方で、オレにそう尋ねる学園長。
なら、こっちも早速、本題に入らせてもらおう。
「この中身を書いた人物について、心当たりがあるって聞いて」
鞄から『例のノート』を引っ張り出して、桜井学園長の前に置く。
学園長は無言でそれを開き、数秒して、丁寧に机に戻した。
「なるほど──」
ほんの一瞬だが──学園長の目が真剣味を帯びたのを、オレは見逃さなかった。
だが、すぐに元の優しげな目に戻る。
「──確かに、心当たりはあります」
言いながら、椅子の横に置いてあった紙袋を、ノートの隣に置いた。
(なんだ……コレ?)
「もし、どうしてもあなたが、その心当たりの人に会ってみたいのなら、これを使う他ありません」
オレの目線が紙袋に向いているのを見て、学園長は言った。
「どうしますか?」
相変わらず笑顔だけど、この言葉が異様に真剣に聞こえるのは、どうしてだろう……。
「……」
数秒して、オレは何も言わずに、紙袋に手を伸ばした。
──────
────
──……
「──ったく!!」
あれから、しばらく経った後。
オレは眉間にシワを寄せ、乱暴な足取りで、図書室に向かうハメになった。
あーあ、むき出しの足がスースーする。
…………
あぁん!? 紙袋の中身??
ああ、教えてやるよ。
オレが紙袋を、テーブルの上でひっくり返したら……だ!
「……コレって」
最初、なんなのか全然わかんなかった。
でも、だんだん見慣れたモノだって気付き始めた。
そして、思わず学園長に確認した。
「この学園の──セーラー服?」
隣で夏子が着ているものと、まったく同じものだ。
「ええ、そうよ」
頷く学園長。
「これを……どうしろと?」
「あなたが、
一字ずつ区切って、満面の笑顔で答えたのは夏子だった。
「──……」
唖然として、何も言えない。
だが、なんとかオレは声を絞り出した。
「ふ、ふ、ふ、」
「「ふ?」」
夏子と桜井学園長が、同時に疑問符を浮かべた。
オレは大きく息を吸い込んで──
「ふざけんなぁーーッ!!!」
叫びながら、思わず立ち上がった。
「知るためならなんでもするって言ったじゃない?」
夏子が言う。
笑顔のままで。
オレは言い返した。
「“できる範囲で”って言う、前提条件はどこに行ったんだよ!?」
「別にできなくはないでしょ? だって着替えるだけなんだもの」
ケロリと言ってのける夏子。
ダメだ。
この状態のコイツと真っ向から勝負して、言い分を通せた試しがない。
「姫宮さん」
フーッフーッと、肩で息をするオレに、桜井学園長は一変して真剣な表情を見せた。
いままでが笑顔だっただけに、こうして真剣な目を向けられると、オレも少し落ち着いた。
「あなたが本当にこの小説の続きを知りたいのなら、これを着て、今から図書室に向かいなさい。 賢いあなたであれば、そこできっと全ての謎が解けるでしょう」
「……ホントだろうな?」
眉間にシワを寄せて俺が聞くと、学園長はまた笑顔に戻って、頷いた。
「……チッ!」
オレは乱暴に紙袋を取り上げると、着替えるためにトイレへと向かった。
部屋を出る直前──小さく、桜井学園長が呟いたのを、オレは聞き逃さなかった。
「健闘を祈ります」
「なーにが、“健闘を祈る”だ」
生まれて初めてのセーラー服姿を誰かに目撃されたら、大変なことになる。
生徒が下校した後で、ホントに助かった。
この前みたく、暗い廊下を一人で歩く。
前と違うのは、図書室に向かって逆戻りしているところ。
階段を登りきってすぐ見えた図書室は、内部の電気が付いていた。
「……」
夏子や桜井学園長の話しぶりからして、きっと作者の手掛かりを持ったヤツがここにいる。
「……」
オレは一度、小脇に抱えた『例のノート』を見つめてから、図書室のドアを開けた。
と、思ったら中は無人だった。
司書の爺さんすらいない。
オレは図書室を一周してみたが、やはり誰もいない。
ここまで来て、嘘や冗談の類いではないだろう。
本来はここにいる筈の人物が、タイミング悪く居ないだけか。
オレは部屋の中心にある、大きな長テーブルに腰かけた。
鉛筆が数本入った缶のペンたてが、座った振動でカラン!と音をたてる。
シーンとした室内に、一際その音が響き、また静寂が間を満たした。
「………」
──……。
…………落ち着かない。
静寂がじゃない。服装が。
着慣れてない衣装に、オレがモゾモゾしていた、そのとき──
ガチャッとノブの動く音がして、ギィィと軋んだ音とともに、ゆっくりとドアが開いた。
「来たか」
ぽつりと呟いて、オレは腰かけていたテーブルから小さく飛び降り、ドアのほうを向いた。
入ってきたのは──
「……」
セミロングの少し栗色っぽい髪。
着ているのは、この学校のセーラー服。
身体は華奢で小柄だ。
オレを見て、驚いて見開かれた瞳と、同じく小さく開いた口。
「……」
ドアノブに手を掛けたまま、そいつは固まっていた。
(……誰だ、コイツ?)
内心のオレの感想はコレ。
──でも、これが、オレとコイツの出会い。
そして、この出会いが、後の人生を変える『大きな出来事』になる事を……
そのときのオレは、まだ知る由もなかった。
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