龍天のヴィアトレム 短編版
リューリュー
プロローグ
鉄の車輪がレールを走る音が響き渡る。暑さも和らぎ始めた季節になってきたとはいえ、昼過ぎの日差しはまだまだ強くまぶしい。
心地の良い上下の揺れを感じることができた。窓の外に目をやると、なだらかな丘陵に牧草地が広がっている。その奥には尾根に雪を残した山脈が連なり、その霊峰ともいうべき巨大さから雄大な景色が広がっていた。列車はゆったりと、しかし確実に山を登り続けていた。時折山腹に家々に人々の暮らしが見える。黒羊たちの姿も見えた。羊飼いもどこかにいるのだろうか。鏡のように空を映し出している湖も見える。
多少無理をしてでも二等の席をとってよかったと、くすんだ金色の髪と、猫の耳を持つ男。アルは思う。腰のあたりから生えているしっぽも、だらんと座席に置かれている。向かい合いの座席には短い黒髪の少女がいた。
乗客はおおむね裕福そうに見えた。
ある者はこれからたどり着く先のガイドブックを眺めている。
またある者は寝息を立てている。紳士的な恰好だが、寝相はだらしない。しかし、それが許されるのも、この二等だからであろう。もう一つ下の三等は、人でごった返していて、風景を眺めるどころではない。自分の荷物を抱えているので精一杯だろう。中には車両に入らず、つなぎ目で本を読んでいる青年も見受けられた。
一等車両のほうから、車掌がやってくる。右片方の目が眼帯で覆われていた。アルは二人分の切符を車掌に渡し、押印してもらう。
アルは車掌に訊ねかけた。
「バジリスクですか?」
車掌はちらりとアルたちを伺い、小さくうなずいた。
「ええ、あなたはビーストマン?」
「ネコ族のものです」
「なるほど。こちらのかたは……」
「友人です。私たちはエリアムスという国からやってきました」
当たり障りのない会話を二、三交わすと怪訝そうな表情だった車掌は、納得した様子で笑みを浮かべた後、軽く会釈をし、離れて行った。
列車の旅は順調。ゆったりした時間が流れて、眠くなくとも、この身を振動に任せてしまいたいと思ってしまった。
しかしながら、それを許してくれないのが、アルの目の前にいる連れ合いである黒髪の少女である。その少女の名をエクスと言う。エクスはアルとは違い、顔の左右に耳がある。アルシレフ人の中のビーストマン種族のような獣の耳ではない。しっぽもない。
エクスは退屈そうに、年頃の女子が好みそうな雑誌のページをめくりながら、時折アルのほうを見つめる。アルは気に留めずにコーヒーのカップに口をつけた。時間がたち、冷めてしまったが、猫舌である彼にとってはちょうどよい温度である。苦みと酸味が程よく効いていた。
「いつも思うのだけど」
エクスが甲高い、しかししっかりした声を発した。雑誌はすでに閉じられ、無造作に、脇に置かれていた。アルは苦笑しながら雑誌を手に取り、自分の鞄にしまい込んだ。
「今の古代文明遺産調査員の仕事をしていなかったら、貴方って何をしていたの?」
エクスは肘掛に寄りかかり、もの言いたげな視線をアルに送る。アルはカップをもてあそび、少し間をおいて、「そうだなぁ」とつぶやく。
「この蒼い空のほかに、黒い空、赤い空、いろんな空があると思う。それは一度きりしか見られないものだ」
「そうね。いつも同じとは限らないわ。それで?」
「僕は眺めるためにこうしているんだと思う」
あいまいな言葉にエクスは眉をひそめたが、たわごとはいつものことだと諦めた。背もたれに寄りかかり、再び退屈そうな顔をした。
「答えになってないわよ」
「そうかな?」
「本音は?」
「さあね。人はどこから来て、どこへ行くのか。それぐらいに、わからない話だ。だけどね」
アルはそう付け足し、含み笑いを浮かべた。
「この世界に生まれた以上、何かをなしたいと思っている。それが、僕にとってはたまたま空を眺めることだということさ」
「なるほどね」
「退屈な答えかな?」
「ええ、あくびがでるくらい」
エクスのあくびをしつつ、しかしきっぱりとした返答に、アルは小さく肩をすくめた。
トンネルを抜ける間、沈黙が続いた。木々が生い茂った場所が現れて、その中のレールを列車は一路を走り続けた。
数分も経たぬうちに暗雲がたちこめ、雲行きがあやしくなった。
「ほら、違う空になった」
「そんなに空が好きなら、空の都にでも暮らせばいいのに」
「いつも一緒は嫌なんだよ」
「……普通は、こんな雨空、喜ぶ人は少なくないわよ」
「雨は好きだけど」
「言ってなさい」
「はは、それぞれだね」
「もう列車の移動は飽きちゃったけど」
エクスのわがままをアルはただ笑って受け止める。
「それじゃ、少しだけ眠るといい。あと一時間もすれば到着だけど」
「……少しって時間じゃないわよ」
「ちょっとだろう?」
「あなたにはね」
エクスは不満そうに鼻息を漏らすと、ごろんと寝転がり、目をつぶった。
アルは、上着をエクスにかけてやり、そっと眠らせることにした。この子の正体を知ってはいるが、それでも彼は自分の妹のように接していた。愛情であるとか、そういったものは持ち合わせていないはずだが、それでも、と彼は外を眺めた。
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