013 白い家――魔の正体

 ◇◇◇


 ここがエルライミサさんのお家なのか。

 突然、奥から男性の嘲笑が聴こえる。


「うーるせえ! 昨日もプ、プロポーズをかわしやがって。おいらは、お前の女ってーのに惚れているんだぜ?」


 それから、女の甲高い渋った笑い声。

 はうう?

 この笑い声は、聞いたような感じだけれども、まさか、違うだろう。


「アンタもしつこいね。ブガンズ!」


 強く木の戸を開ける音がした。


「待てよ。B礼ビーさつはきっちりお前だけに払うから」


 カウンターの奥に、二、三部屋があるのか。

 木賃宿を営んでいるのかも知れない。

 全体的に薄暗いので、判別しがたいけれども。


 騒動を横目に、汲んできた水をカウンター奥へ置いてきたエルライミサに誘われた。

 戸口から右へ曲がり、小さな部屋の二つ目に彼女が先に入った。

 なけなしの寝床が目立つ。

 枯草にやっと紡いだ目の粗い布が掛けられている。


「腰掛けりゃいいさ。セイカ」


「エルライミサさんが、座れなくなっちゃうじゃない」


 私は、失礼なことしたと、はっとした。

 慌てて両の手で顔を覆った。


「ごめんなさい。今のは、失言でした」


 そろそろと、エルライミサさんの方へ薄目を開けると、横顔で笑う彼女が、綺麗に思えた。


「あたしは、ここさ」


 彼女は、お先にとばかりにニヤっとする。

 枯草を覆うパッチワークに手をついて、細い腰を落とす。

 服も麻袋を腰紐でくくっただけの些末なもの。

 どこかエスニックさが香ってくる。


「あんなにお水を運んでは、お疲れよね。エルライミサさん」


「セイカ。休むから黙っていて」


 彼女の心を踏んだようで、指先から痺れた。

 私も一眠りしたいけれども、落ち着かない。

 お父さんと紫藤くんに会えないからじゃないかな……。

 小さな穴から、四角い外の景色が見えた。

 今は、まだ明るい青い四角だ。

 夕方になれば、昼の神と夜の魔が交わる。


 ――これから暫くすると、逢魔が時がやってくる。


 ◇◇◇


「は――!」


 私は、紫藤くんの気配に導かれるように、エルライミサさんの寝所からお店の方へ駆け寄った。


「紫藤くん? 紫藤くんがいるの?」


 扉の逆光を浴びて、すらりとした人影がいた。


「紫藤くんじゃない!」


 紫藤くんだと思っていたので、エルライミサさんがおり、ぎょっとした。


「にゃ! 既にエルライミサさんがいるじゃない。足が速いよ」


 エルライミサさんが、浮遊する黒い古書を追っていた。

 それに、紫藤くんがいない。


「エルライミサさん。それは私達にとって、大切なものなのです。持ち主の紫藤くんに渡してください」


「アタシの勝手だろう? 煩いよ!」


 この人に渡しては大変なことになる。

 勇気を出さないと。

 今は、紫藤くんがいないんだから、私ががんばる。


「えーい!」


 結局、私が、その間隙を突いて取られずに済んだ。


「はー、しつこいヤロウだね。お腹が直ぐ空く」


 エルライミサさんは、自分の長く伸ばした爪をしゃぶりながら、三白眼をぶつけてきた。

 私は、気持ちが悪いと正直思う。

 ん?

 あちらのカウンター内には、どなたかがゆっくりとした朝を満喫中だ。

 煙草のようなものが狼煙の如く覗かせる。

 そして、ずっしりとした背中から起き出した。


「だ、誰なの?」


 エルライミサさんは、大柄な女をぶっきらぼうに紹介した。


「ジャンセル・オルビニアン。アタシの母親さ。――義理の」


 肉を揺らす女は、丁度、デキャンタ風の立派な大瓶に入った赤い飲み物を握り締めている。


「アタシは、この元気が出る酒を飲ませるのがお仕事。でないとおまんま食いはぐれるからさ」


 エルライミサさんの話によれば、このお母さんは、娘さんを働かせているんだ!

 お母さんなのに?

 私のボランティアみたいなヴァイオリンの演奏とは、訳が違いそうだ。


「アッシの呪われし子。このエルライミサは、まだ役に立つ方さね」


 母親のジャンセルさんが、ぶつっと吐き出したのを汚いと思った。


 狭いカウンターが暗い部屋にぼうっと浮き出る。

 しかし、中々目が慣れない。

 目を擦って次第に明らかになってきた。

 先ず、分かったことは、不思議なことに赤い飲み物が散らばっていることだ。

 グラスは少なく、多くは木を抉った容器が転がっている。

 カウンターにも床にも、お金は一枚たりとも落ちていない。

 部屋は汚く、空気がむっとした。

 この家の主は、アル中で守銭奴なのかも知れない。


 再びカウンターに目をやる。

 安い小麦粉が主食なのか、パサパサの平たいパンが、酢酸臭い。

 見たことのない動物の蒸し焼きを豪快に千切ったものが、皿もなくカウンターや木のカップに掛けるように、置きっぱなしにされていた。

 だらしのないテーブルを無駄に華やかにしている。


 ◇◇◇


 私は、飲まず食わずでその日も過ごした。

 何かここにあるものは汚れている気がする。

 時間ばかりが過ぎて、デキャンタの数がカウンターの中に増えて行く。

 あれこれ言いながら、ジャンセルさんもエルライミサさんも働いているのか。

 私は、一介の学生なのだけれども。

 ぎゅっと本を抱きしめた。


 白い家の入り口は、木戸だ。

 そこに隙間がある。

 段々と夕陽の存在を感じるようになった。


 ――白い家を逢魔が時がとうとう覆った。


 私が持っている白い古書が、カタカタと震えた。

 どきっとする。

 何もしていないのに、私の白い本がぱらぱらと開いて、眩く輝き出す。


「くっ。アッシを何だと思っているんだい。この光は眩い。浄化効果を消せ! 小娘」


 母親の持つ赤いお酒をぐんと照らすと、呑み屋の汚れた壁を清め始めるようだった。

 薄暗く汚れていた筈だったけれども、その壁にじりじりと文字が浮かび上がる。

 白い炎が走り、壁を焦がしながら。


「これは、『逢魔が時の刻印書』の続きじゃない?」


 ここに、紫藤くんの手が欲しかった。

 そうしたら、握れたのに。

 だって、異世界に来て、まだ会えないんだもの。

 何故かな?

 少し恥ずかしく、頬を染めていないか心配だったけれども、彼しか頼れない。


 どこからか、声がする。

 小さいけれども、意思が伝わってくる。


『聖花ちゃんの瞳にも読み解く力があるのかい?』


 私は、ふるふると震えて紫藤くんの腕にしがみつきたかった。

 それ程に、関わりたくないと思った。


 ――『逢魔が時の刻印書』の続きだなんて。

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