012 ちゅるり――月夜に想う

『シンクロの声だ! 紫藤くんの叫びが聞こえる。今より少し前のものだな』


「聖花ちゃん、この暗闇はもう抜けたのだろうか? 俺はいいけれども、彼女は妖精の国にいそうな感じだものな」


 長い夜を渡るのに、空を眺めても銀河ひとつない。

 ん?

 よく、目を凝らせば、月のようなものがあるな。

 ちょっと色がくすんでいるが。


「大きい月だな。地球に近いようだ。ウサギー。夷中町の雪ウサギよ」


 餅つきウサギは暮らしていないようだ。

 ここで呼んでも孤独だな。


 雲の中にいるようだ。

 俺は、聖花ちゃんとかがみ屋さんでお仕事をしたかったんだよな。

 その話も雲散霧消になるのか。

 ま、まあ。

 誰にも話していない夢だからな。

 俺は妄想が得意だ。

 悪いか?

 男の子の夢なんてそんなものだ。


 うっすらと太陽が俺の背に掛かった。

 さあ、朝だ。

 我が家のネコ、ミーコちゃんみたいに、伸びでもするかと思ったら、おっとっと。

 これは危ない。

 

「待ち焦がれた夜明けだが、随分と高所にいたものだな」


 俺は、切り立った峰にいたんだ。

 右を向くと、アリ地獄のような影のある斜面だ。

 左を向くと、草萌える斜面に石がある。

 峰の霞行く彼方に小さな白い建物がありそうだ。


「ん?」


 いやに冷たい風を感じて振り向く。

 すると、こんな朝に人影を見る。


「あれは。聖花ちゃんか?」


 人影が、あっと言う間に近付く。

 切り立つ尾根に恐る恐る佇んでいた俺の目の前に、知らない女がきりっと立つ。

 距離僅か。

 俺の爪先に彼女の爪先が当たった。

 彼女は、聖花ちゃんと同じ位身の丈があり、手足がほっそりとしている。

 おおおう、目鼻立ちが聖花ちゃんとそっくりだ。

 ただ、色白の黒髪ではない。

 銀髪で浅黒い肌が、がらりと印象を変えている。

 けれども、あまりの聖花ちゃんへの思慕で、びりびりと感じた。

 彼女は、そのまま去ってしまった。


「キミと知り合いになりたいんだ。訊きたいことがある」


 不安定な尾根伝いによたよたと彼女を追った。

 無様にも転んでしまい、手には黒い古書のみがあった。

 俺は、汚してはいけないと、砂をパンパンと叩いた。


「キミは、本が好きなのか? どうしたんだ。読みたそうな顔をして」


「****」


「ははあ、ここは異国なのですね。言葉がちんぷんかんぷんだ」


 突風が草を千切り散らす。

 彼女が、俺の本を払う振りして奪おうとした。


「何をするんだ?」


「アタシは、エルライミサ・オルビニアンさ」


 その名前は、夢の中で響いたものだ。


「エルライミサ・オルビニアン……。だと? 俺と会うのは初めてではないな」


「知らない」


 嘘をついているのか。

 はたまた、俺の逆夢だったのか。


「そうか? 俺は、紫藤壱流だ。それでも思い出さないか」


 彼女は沈黙を刻む。


「聖花ちゃんは、どこにいる? 何もないこの地。あの白い建物が怪しいな」


「知らないものは知らない」


 風がひゅるりと砂を巻いて、彼女が消えた。


 どうにか、聖花ちゃんが、あそこで救護されていて欲しいな。

 俺は、崖に張り付く建物を目指すことにした。

 三角錐のてっぺんは、綱渡りを思わせる。


 くっ。

 父さんの車で送って欲しいとか考えてしまった。

 やはり、俺は町長の甘ちゃんか?

 今は、『転生』が起こったらしい。

 俺だって、心を入れ替えて男らしくしたい。


「がんばるんだ! 俺」


 よろけて、てっぺんから砂をざらりざらりと落してしまった。

 こんな道、あのエルライミサは、よくさっさと去ったな。

 負けるか!


「聖花ちゃん、無事でいてくれよ!」


 ◇◇◇


 俺は、白い建物を峰伝いに目指してきた。


「歩み始めたのは、そら寒い朝もやだった。もうどれ位だ? 夕刻にはなるだろう」


 身をふるっと揺すった。

 白い建物の戸がやっと手に届くからだ。

 興奮している。


「ここに入る以外考えられないな」


 崩れかけた戸を開ける。


「キャアアア――!」


 低い女の悲鳴に俺の方が焦った。

 誰だ?


「俺は、紫藤壱流というが」


 驚いたことに、俺が抱えていた黒い古書をバシッと叩かれた。


「これは、俺の大切なものだから止めて欲しい」


「黒い本を持っているね? アンタ……」


 鈍い音で木戸が閉まりかけたとき、重低音の卑しい声が投げられた。


「器量もいいじゃないか。オマエサン、お入りよ。グッグググ」


 暗い部屋の奥には、この白い建物の主がいるようだ。

 声からして年配の女だろうな。


「もしかして、この家に来客がいないか?」


「ここは酒場だよ。アッシの酒場で旅籠でもある。客がいなくちゃ成り立たないね」


 主は、俺を上から舐めるように品定めをした。

 まさか、高校生の俺に酒を注げというのか?

 高校生の前に俺のアイデンティティーがくらりと崩れる。

 しかし、人がいそうな建物は他になし。

 ここに望みをかけてみよう。 


「聖花ちゃん!」


「うるさいね。なんだい、騒ぐのなら絞め上げてもいいんだよ!」


 その太い女は、のそっと金属音がする袋と共に、カウンターの奥へ隠れた。

 なんだいは、俺の台詞だ。

 ここは危ない。

 助けなくては。


「聖花ちゃん! おーい、いないか? 聖花ちゃん」


 紫藤から、聖花に真実の心が届いた。


「――紫藤くんなの?」


 狭く汚い酒場も兼ねた宿に、花を見出した。

 ああ、この地でも背中に白百合でも背負っていそうな聖花ちゃん。

 転生しても乱れていないその優しい雰囲気に、くらくらだ。

 誰あろう愛しい聖花ちゃんとの再会に、涙が出そうになる。

 甘ちゃんは卒業するのだったよな。

 俺だって、切り立った尾根だってずっと歩いてこられたではないか。


「今からでも遅くない。俺は、俺は立派になるんだ。しっかりするんだ」


 拳をきゅっと握る。

 聖花ちゃんは、もう遠くで眺めているアイドルではない。

 手も取れる位置にいるんだ。


 そして、口を一文字に結ぶ。

 俺は、聖花ちゃんを離さずに守り通すと誓った。

 ただのお熱ではない。

 恋焦がれるだけではない。

 父さんが亡くなった母さんを今でも愛しているように。

 母さんが父さんを愛していたように。

 

「俺も大切な聖花ちゃんを愛せる日を探す旅に出たんだ。この異界から、無事に元の世界へ連れて帰りたい」


 それが、シンクロした夢であったとしても。


 ◇◇◇


 ――誓った刹那。

 俺は、視界を奪われた。

 そして、体がぬるんとした感じを受けた。


「うげえ……」


 俺の気持ち悪い嗚咽で丸飲みにされた。

 これは、大蛇か?

 大きな口に入れられたに違いない――。

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