Ⅱ かがみ屋に古書

005 響也の書斎で――逢魔が時の刻印書

「それは、私達が転生する少し前のこと」


 ウーウーウー。


「あ、冬ツ湖とうつこダムの放流か。もう六時になるんだ。遅くなっちゃったかな」


 秋藤しゅうとう高校から帰宅したばかり。

 ヴァイオリン演奏も入浴もまだのことだ。

 私の部屋が寒いからとストーブをつけたとき、目の覚める声がした。


「聖花様ー。聖花お嬢様。旦那様がお呼びです」


 國坂満江くにさか みつえさんだ。

 顔を出さないと、響也お父さんが拗ねてもいけない。

 娘ちゃん大好きなお父さんだから。

 なーんて、自分で言っちゃう?

 そして、廊下へ出て数歩先にあるお父さんの書斎をノックし、声を掛ける。


「お父さん、聖花です。管弦学部で遅くなりました」


 遅くなったから心配してくれたのかな?

 それとも今日という日だからだろうか。

 コツコツコツと内側からノックが聞こえる。


「入りなさい、聖花。一人だろう?」


 お父さんから戸を開けてくれたので、珍しいと思った。


「はい。そうです。私は、お父さんの一人娘ですよ。二人といませんよ」


 廊下からの雪が眩しい。

 この庭園は冬でも見頃だ。

 戸を閉めると少し薄暗い感じもする。

 お父さんの本が山高く積まれていて、本当に読書好きなのだと思う。

 今日も書斎では、三つ揃いだ。

 きちんとしたいお父さんが好きだな。

 三つのときから使っているいつもの踏み台に腰掛けた。

 私が大きくなったのか、カタリと揺れる。


「うん、いい感じ」


 かろうじて存在を示す机の上に、一冊の古書が目に止まった。

 何かな?


「聖花も興味があるかい? 手に取るといい」


 踏み台から降りて、机の上へ手を伸ばす。


「真っ白な表紙ですね。でも、古い本だって分かる。うーん、デジャヴを感じます。この本は何ですか?」


 お父さんが綺麗に保存していたようで、時代も分からない。

 表紙には、梵字のような図柄が描かれている。

 本の題名だろうか?


「開いてごらん」


 私は頷いて、そろりと捲った。

 言語は知らない文字で書かれているけれども、行間に和訳がある。

 お父さんが書いたのかな。

 見返しを開いて直ぐに書き連ねてあった。

 目に飛び込むなり、本を落としそうになった。


 何かの詩だろうか。

 おののきながら、一文字一文字辿っていった。

 これが、初めての白い古書とエルライミサ姉妹との出会いとなる。


 ◇◇◇


  ――私は、そこだけ読むと、そら寒くなり本を閉じた。


「これが、『逢魔が時の刻印書』なのね……」


 お父さんが、お母さんと私と家族三人の写真を懐から取り出した。

 カードケースで保護されているとはいえ、肌身離さずだ。

 もうかすれる程になっている。

 家族はいつも一緒だと、その胸に誓っているのだろうか。

 お父さんの愛が詰まっているのだろうな。


「聖花。お母さんがこの地でお前を宿した、夷中町に暮らしてもう十余年だな」


 おっと、ここで、ピコーンと私のアンテナが立ちました。


「私は、今日で十六歳になりました!」


 お父さんがしんみりとしているので、笑顔で側に寄る。

 狭い書斎だもの、ぴとっとくっついちゃうじゃない。

 甘え下手と言われてきたけれども、そんなことない。

 ふと、ごわついたお父さんの手が私の頭をくしゃりとする。

 冷たいものが落ちてきて、はっとした。

 お父さんの涙ぐんだ姿など、お母さんのお葬式ぐらいだった気がする。


「お母さんの面影があるよ、聖花。寧ろ、そっくりだ」


 そうか。両親にとって二月二十二日は、お母さんが私を産んでくれた日なのか。

 私の誕生日ではなくて、私を産んでくれた日か……。


「お父さん、いつかお母さんへのレクイエムを弾くね」


「聖花のヴァイオリンなら歓迎だよ。ずっとがんばって習っていたものな」


 二人して、一枚の写真からいくつかの母の面影を辿る。

 写真の裏に古い滲みを読み取れる。

 ――神鏡響也、絵惟、ここに聖花を授かる。

 これが、神鏡家の家族が揃った最初の写真……。

 十六年も、ありがとうございます。


「旦那様、聖花お嬢様?」


「いけない。國坂さんだ。かがみ屋で今から宴会のお客様にヴァイオリンを演奏する約束だったっけ」


 お父さんは、一言、お祝いの言葉を贈ってくれた。


「十六歳まで、ありがとう」と。


 私も胸が一杯になっちゃうじゃない?

 や、やめてよ。

 何かお礼をと思っても唇を噛みしめるばかり。

 私の難しそうな表情に、お父さんが肩を叩いてくれた。


「さあ、行っておいで」


 うん。

 ちょっぴり気持ちを切り替えないとね。

 書斎を出るとき、私は古の本を持ちながら振り向いた。


「この本は何かしら?」


「これは、白い表紙の本だ。けれども、白の古書と黒の古書とに分かれている。上下巻のようなものだよ」


 暫く、一番訊きたいことを探した。


「少し怖い古書ね。何故、私に?」


「それは、後でな。もう夕刻だ。四時近くにもなる。自分は、かがみ屋名物のそばを打って来るよ」


 その言葉を別れに、私は部屋へと戻った。

 黒でシックにまとまっているので、にゃーんとまるくなるのが大好きな部屋だ。

 心持ち落ち着くけれども、何かぞわぞわとしている。


「逢魔が時の刻印書……。怖い詩ね。不思議なデジャヴに真っ逆さまになる」


 じいーっと考えていたが、ロールプレイングゲームみたい。

 一日を何日にも感じた。


「私は一人っ子だから、エルライミサのような姉でも妹でもないじゃない。何故、お父さんはこれを渡したのかな? うちは夷中の温泉宿かがみ屋を営んでいるから、旅籠とも思えるから? でも、そんなの偶然よ」


 ポポポピポピ――!

 

 そこへ、スマートフォンが私を呼んだものだから、心臓がぎゅってなる。


「誰――?」

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