第3章 長雨に烟る紫陽花

 

 ガタ ガタ


 カタリ



 ある日、立て付けの悪い店の戸を開けて、大柄の銀髪の男が店に入ってきた。


大通りから一本道を入った裏店うらだなの骨董屋には、日の光も届かぬ、雨の降りしきるくすんだ昼下がりだ。


折しも、湿気にうんざりした付喪神たちは、人の子が来ぬのをいいことに店先に姿を現していた。


(気配を感じなんだ)



お互い顔を見合うと、今更姿を消す訳にもいかず、入って来た男を見つめた。


それはいわゆる「執事」の姿をした奇妙な男だった。


背の高い店主よりも更に背が高く、厚よりも尚、がっしりとした体に定番のタキシードを纏っている。

彫りの深さ、肌の色の白さからして西洋人なのだろう。

長い銀色の睫毛の先にも、雨の雫が宿っている。

豊かな銀色の癖毛は真ん中で分けられて、後ろに行儀よく撫で付けられている。


どこか、機械的で人としても温かみを感じさせない。


「いらっしゃいませ」


濡れた黒い傘の先から、床に黒い輪が広がっていく。


「あ、傘を……」

店主は入り口に置いてある、陶器の白い傘立てを指差した。


男は素直に傘を傘立てに入れると、自分がそこに居るのに困惑しているように、しばらく立ち止まって、銀色の瞳でぎこちなく店内を見渡した。


どこがどうとも言えないが、何かがずれたように可笑しい。


付喪神たちも、その男の奇妙さに目を奪われている。


 店の天井の太い梁から、吊るされている和紙の大きな丸い提灯が、月のように揺れている


ゆらり ゆらり


男の開け放した戸から吹き込む風が満月を優しく揺らす。

土壁に映る影が、意思を持っているように揺れている。



息詰まる静けさの中で、ただ光が揺れる。


しばらく目だけ動かして、店内を見て居た男は、ある一点に目を止めると、スルスルと音も無くそちらに向かって歩いて行った。


ハッと付喪神たちは息を呑んだ。


男はその気配にも微動だにせず、を持ち上げると、また首を回し、スルスルと滑るように移動を始めた。


「あ、はい」

店主はつい乗り出してい体を、慌てて真っ直ぐに起こした。


男は、不恰好に体にかけた大き目のバッグから、札束を手づかみで出すと、無造作に帳場の机にばさりと置いた。


札束が、机の上にバラバラと砕けるように零れ落ち、帳場の畳の上まで散らばった。


呆然と付喪神たちはそれを見守っている。


ペコリ


軽く頭を下げると、何も言わず、男はきびすを返した。



「あ、あの!もし!」


その制止の声が聞こえなかったように、雨の中、その男は滑るようにして消えていった。




「何だありゃ……」


人の子とは思えぬが、自分たち付喪神ともまた違っているように感じる。


「人の子はまた、面妖なものを産み出したのかの」


面妖なものが消えた向こうを、付喪神たちは呆然と見送った。





 「は、あの屋敷へ入って行ったぞ」



それからしばらく後のことである。

後をつけた小柄こずかが、雨粒をはたき落としながら店に入って来た。



「あの屋敷……」

付喪神たちは、店主を振り返った。

店主が「男がこっちを見ている」と言っていた屋敷だ。


「あれ以来、お姿を見ませんでしたが」


帳場の机にひじをつき、白く長い指先であごを支えていた店主は、机に目を落として呟いた。


「あの男の所縁ゆかりの方なのでしょうね」


「全くをもって可笑しな奴等やつらじゃな」


ゆらり ゆらり


小さな満月が店の中で揺れている。


「しかし、アレをあがなって行かはりましたな」

茶杓ちゃしゃくの付喪神であるるいの落ち着いた声が、店内に静かに流れた。



「ということは……、店主を眺めておった男は、なんぞ関係のある……」


付喪神達は、探るようにお互いを見合った。

誰か答えを隠し持っていないか、知るために。



「あの……野風は、どうされているのでしょうか」

突然、店主はこめかみを撫でながら呟いた。


弱々しくも伝わってきていた野風の思いが、先程からプツンと途切れてしまっているのに気がついた。


「最近、よくこめかみを撫ででおるが、どうしたのか」

刀の付喪神の探るような声に、店主はハッと撫でていた手を止めた。

皆の不安そうな眼差しが店主に向かっている。


「いえ、何でもございません」

慌てたように手を下ろして、帳場机に立ててある出入帳に手を伸ばした。


「最早、私には関係ございませんが、後のことを考えると、少しは商売に力を入れておかねばなりますまい」


それを涕が遮った。


「いや、それよりも、早う店主にはあの屋敷に行ってもらわなあきまへん。

香炉を贖っていかはりましたからには、そのあんたをジッと見ていた男こそ、『約束の男』や。

ということは、そこに野風がいてはるということにならへんか?」


「ああ」


付喪神達は涕の言葉に頷いた。


「なるほど、野風は捕まって、帰りたくても帰れなくなっておるのじゃな」

厚が難しい顔をして呟いた声に、皆、顔色を変えた。


翌日、雨は小降りになったが、上がることなくシトシトと降り続いていた。


 石垣のように高く積まれた石の上には、細い木の格子を全面に貼った二階建ての長屋門がある。

その切れ目に重厚な木の扉のついたガレージがあり、そこの片隅にある通用門のチャイムを店主は鳴らした。


「はい、どちら様でしょうか」

合成音のような、どこか金属的な男の声が応えた。


名乗るとしばらくして門が開いた。


玄関の方へ行くように言われ、そこに至る長い石畳を歩いていくと、手入れの行き届いた芝生が広がり、所々に木が黒い影を作っている。


邸内を流れる川のそばに咲く紫陽花の花が、銀の雨に烟る風景の中、夢色に浮かんでいる。


川の途中にある、泉のそばに静かに建つ四阿あずまやも、晴れた日には気持ちの良い休憩所になるだろう。




 店主が玄関にたどり着いて雨合羽を脱ぐのを見計らったように、大きな両開き扉の片方が少しだけ開いた。


中から顔をのぞかせたのは、先日の銀髪の男である。


しかし、その目には親しみはなく、よそよそしい。



「お釣りをお渡しする前に、お帰りになられまして」

再度要件を繰り返すと、こくんと頷いて大きな手を出してきた。


「では、こちらの香木はおまけにございます」


大きな手の上に乗せると、またこくんと頷いた。

どこか大きな子供のようだ。


反対に心配な気持ちになる。


「この香木は大変曰くのあるもので……」


バタン!


いきなり鼻先で扉を閉められた。


「え」


説明の途中で扉を閉められ、店主はなんとも面食らった。

上手いこと屋敷の中に入り込み、できるなら野風がいるかどうか探るつもりであったのに……


が、こうなっては、どうしようもない。

店主は肩をすくめるときびすを返した。


庭をめぐる道を再び歩き、通用門の前で振り返り、屋敷を見上げたがその部屋は見えなかった。



(野風は……ここに)


ここの主人に、壊されるかして意識が無くなってしまっているのだろうか。



ことが起こるまでは、薄闇を維持してもらわねばならない。

そして、あの黄金の野原も……


そして店主自身も


(もし、野風が喪われたら)


走った寒気に店主は身を震わせた。





 屋敷の中、その奇妙な執事は玄関の正面にある長い階段を上がっていった。


そして二階に上がってすぐの両開きの大きな扉を開けると、影のようにスルリとその部屋に入った。


部屋の中央には、磨き抜かれたマホガニーの大きなテーブルが置いてある。

その上の先般、骨董屋で贖ってきた蛙の香炉に火を点けた。

つるりとした青銅製の三つ足の蛙は、何処か剽軽で愛嬌がある。


しばらくすると、その香炉から、トロリとした煙がテーブルの上に流れ始めた。


その煙はテーブルの端まで行くと、ふわりと部屋に漂った。


静かな深い香りが包む。


白い霧のような雲が部屋にかかり、香りが包んで行く。


「ああ……」


深みのある掠れた声が霧の中からした。

その白い煙がふわりと白い腕を伸ばし、霧の中から人影が動いて、あの店主を見て居た男が現れた。


「これは助かる。何とも身が清められていく」


ゆっくりと伸びをした。


それを背の高い執事はそれを見届けると、静かに階下に降りていった。


外はまだ雨が降り続いている。

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