第8章 恋ぞ夢か

「ほら、御覧なさい。

強い思いは実現すると申しますが、何とも美しいこと。

きっと墨絵は良い玻璃はりを作りましょう」



薄闇で付喪神たちが見守る光のたまの中で、二人が抱き合った。


野風は得意げな店主を見て苦く笑った。

野風の顔が暗く見えたのは、薄闇のせいか。



「なんとも、やはりぬしも野風の影響か、最近はえらく感傷的よの」


関心なさげに胡座をかいている鎧通しのあつがうっとおしそうに言った。

すると、野風の後ろに座って、これまた無関心に他所よそを向いていた茶杓ちゃしゃくるいが、そちらも見ずにうそぶいた。


「厚は必要以上に武骨ぶこつでいてはりますさかい、いっそいさぎようてええどすな」


「わしは、もうちっと手早に行かぬものかと申しておるだけじゃ。

別段、この度、焦ってくっ付かぬともよかろうに」


厚は振り返り、涕に口を曲げてみせた。

厚の言葉に、薄闇で、クスクスと付喪神たちが笑う。


「厚たちにはのぅ、燃える思いを偲んで耐えるなぞないからのぅ。」


「阿呆か!於杏おきょう。それくらいあるわ!」

「どうせ厚の偲んで耐えるなぞ、敵の切っ先の早さが悔しゅうて、眠れぬくらいであろうが!」


こうがいの要らぬからかいに、筆や硯、鏡たちが笑う。

「おお、そうじゃわな」

「流石、厚じゃ。」


「主は黙っとれ!このお飾りめが!」


厚に叱られて涙ぐんで文句を言いかけた笄を、笄と三つ子の目貫めぬきが慌てて口を挟んだ。

「毎度毎度済まぬ。厚、許してくれ。

筓もほんに煩いぞ」


「うるさい!目貫!

偉そうげに言うな!

この間まで、あの御神刀の相方の短刀に振られてメソメソしくさっておったくせに!

どれだけ、辛気臭そうて、煩かったことか!」


目貫は凰の短刀にちょっとばかり懸想をして、あっという間に失恋してしまった。

それがまだ跡をひいてる。


目貫は顔を赤らめると、口を噤んで下を向いた。


「笄、姉妹にまで絡むのは辞めぬか。

全くをもって鬱陶しいわ!」


「あ、いや、それは、それはいいのじゃ。真のことゆえ。

しかし、厚、まっこと申し訳ぬ。

ようよう言い聞かせる故、堪えてくれ」

健気に目貫は目の端に涙を溜めながら、笄を庇った。


三つ子のもう一体の小柄は、他の刀の付喪神に混じり、ため息混じりにそっぽを向いている。


そんな三つ子を見て、厚は首を振った。


「もう目貫の執り成しも飽きたわい。

笄も笄じゃが、目貫、主も大概じゃ」

厚は、ウンザリとした顔を、顔を強ばらせ突っ立ている二人に向けた。

普段から鋭い眼光が更に剣呑になり、苦みばしった顔が冷たく光っている。


「大事な仲間ゆえ、目貫の執り成しを何百年も聞いて参ったが、そんなに絡みたいのなら、他所で絡んだらよかろう。

筓は段々と酷うなっておる。


ここは大事のために集っているものの寄り合いじゃ。

皆、長い時を堪えて、力を合わせようとしておる。


確かにワシも口は悪いし、迷惑をかけておるだろうが、それでも昨今、主は限度を超えておる。」


目貫が口を開きかけたが、厚の目付きの鋭さに、直ぐに口をつぐんで下を向いた。


「特に先の『揺らし』が思うほどの亀裂を作れず、余計に時を喰うことになった。

勘九郎殿の細君のおかげで余分な穴は開いたが、まだ足りぬ。


以前、皆で話合うた通り、時を喰えば喰うほど、人の子の世は複雑になり、彼の方にご苦労をかける。


予定より多くの付喪神を探し出し、縁のある方を渡らせて、緩ませねばならぬが、それが容易なことでないことは、目貫も笄もよう分かっていよう。」


厚の口調は冴え冴えと冷たく、本気で怒っていることが分かる。

戦さ場で何百と人の子の首級を掻き切ってきた付喪神の体から漂う怒りは、静かだが確実に聞くものの体を縛り上げた。

薄闇のそこここに思い思いの姿で寛いでいる付喪神たちも、誰も厚を遮ることが出来ず、静かな空間に厚の声が低く流れている。


目貫のそばに立ち尽くした、少年のような少女のような笄の付喪神は、白い顔を更に白くして、涙すら流せず震えている。


「主らのような三所物が揃ったものは、ワシのような時代遅れの鎧通しとは違い、高値で売れるに違いあるまい」


言外に出て行けと言い放った。


その言葉に、知らぬ顔をして外方を向いていた小柄も、顔を引きつらせて背を伸ばした。



「す、す、すまぬ……厚……

笄は厚のことを好いとるゆえ」


は……


付喪神たちの間に緊張が走った。

当の目貫もハッと口を押さえた。


シンと先程とは違う空気で、また薄闇の中に気まずく静けさが戻った。


「そ、そんなことないわ!

こんな粗雑な鎧通しなど!

こんな、こんな馬鹿で阿呆な付喪神を、なんでまた物好きにも惚れねばならぬのじゃ!

目貫、いい加減な事を言うな!

この馬鹿!馬鹿め!」


その静寂を破ったのは笄だ。

真っ赤な顔の半べそで地団駄踏む。


「済まぬ、済まぬ」

目貫も半べそで頭を下げる。


「さあ、もう良かろう」


間に入ったのは野風だ。

スルリと厚と笄の間に入り、厚の肩に手を置いた。


「よ、良かろうとは……

何を落ち着いたことを!

あ!き、貴様ら知っておったのか!」


思いがけない展開に、真っ赤になった厚が野風の手を振り払った。


「阿呆!そんな訳などある筈がない!

厚など大嫌いじゃ!」


キーキーと笄が必死で叫ぶ。


「もううるさいわ。主は黙っとれ!」


厚の一喝で、うっと口ごもって笄が姿を戻し、目貫が涙ぐみながらそれを拾った。

「ほんにすまぬ……」


「まぁ、長き間にはそれぞれ色々あるじゃろう。

笄も一緒に力を合わせねばならぬ仲間じゃ。

事が知れた今、後は厚も少しは己の言い回しを考えねばなるまい」


野風が固まっている目貫を於杏の方へ押しやった。


「そ、そんな、何故……笄がワシなど

いや、何故ワシが筓なぞに気を使わねば……

いや、いや、なんでまた……」


「何故と言われてものぅ。

恋にさしたる理由はいらぬもの。

手の厳つさが男らしゅう、頼もしゅうに感じて恋に落つることもあるわのぅ」


うっとりと恋人たちの行く末を見守っていた於杏が笑いながら、於杏の言葉に自分の手を見て慌てている厚に婀娜あだな流し目をくれた。


「ほら、何とも愛しい眺めじゃ。

於千鶴殿を撫でる三郎殿の手の優しげなこと。

おお、於千鶴殿もあのように頬を染めて。

さあ於結、目貫の髪を結うてくれるようのぅ。

嗚呼、あの様に 目貫も笄も良きお方に撫でて欲しいわいのう」


赤い塗り櫛の付喪神の於結に顔を拭いて貰いながら、目を赤くした目貫は首を振った。



「左様な事は無駄じゃ!無駄!」


厚は於杏の言葉に、プイとよそを向いた。

何故か首のあたりが赤く、声が弱々しい。


「無駄に見える所こそ、人の子の愛しきとこじゃがのぅ」



「ああ、あほらし。」

涕はゴロリと寝転がると、会話を打ち切るように付喪神達に背を向けた。

「全く、平和ボケしてはる。

大概にして欲しいのはこっちの方や」



「そうではのうて、その方が、美しい玻璃になりましょうという話でございますのに」


成り行きをまるで部外者のように見ていた店主が、呆れたように付喪神たちに首を振ってみせた。


「もう良いであろう。珠を消すぞ。それは左様に使う物ではないし、力を使う」



球を霧散させ、光の粉に戻ったそれを体に戻す野風を於杏たちが、「あ〜あ」と恨めしげに見た。


「さあ、店に戻りましょう。

墨絵が玻璃を作るまで、しばし時間がかかりましょうから」


付喪神たちを追い立てて行く店主の後ろ姿に、野風は立ち止まったまま暗い視線を送った。


「野風!置いていきますよ!」


薄闇の向こうから、店主のき立てる声が聞こえる。


パン


1つ、音高く、着物の裾を払うと、野風はゆっくりと店主の細い背を追った。


アレは……


無邪気な童のような笑顔が浮かぶ。


厚の言葉が蘇る。



(ワシのせいで変質してしまったのだろうか。

そして変質し続け、しくじったのであろうか)



それならば


(ワシは方法を間違ってしもうたのだろうか)



あの付喪神はまだ出てこない。





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