歌え!ダンジョンちゃん

項川冷

プロローグ/魔法の歌声


「わたしの歌には力がある」


 そう気づいたのは、少女がまだ、とても幼いころのことでした。


 ほんの些細な気づきは、自分の歌を父と母に喜んでもらえたことがきっかけでした。寝る前に母が歌ってくれる子守唄を思い浮かべ、大きく口をあけ、のどを震わせるだけで、父母が手を叩いて笑ってくれたのです。


 もちろん、父母にとっては、一人娘が言葉を発するだけでなく、歌えるようにまでなった、その成長する姿を単純に喜んだのですが、そのときの少女は自分の歌そのものへの評価なのだと感じました。父母から「上手だね」「うまいね」と褒められるたび、自分の歌こそが、外へ、世界へとつながる力なのだと思うようになりました。


 少女の無垢な歌声は、成長するにつれ力を増してゆきました。少女の声をひとたび耳にすると、誰もがはっと振り返るのです。父母だけではなく、叔父や叔母、畑仕事に勤しむ老夫婦、路傍に露店を開く行商人、行き来する街の人々、甲冑をまとった見知らぬ旅人でさえ。誰もが足を止め、その声の持ち主を探し、少女のもとに集いました。陶器のような滑らかな光沢を帯びた少女の声は、人々の心を容易に掴みました。


 少女の歌は特別でした。


「わたしの歌には力がある」――そう少女が信じて歌うと、人々の足を止めて聴かせる以外にも、効果を発揮しました。旋律を変えて歌うだけで、聴衆とともに歌ったり、踊らせたりすることも、できるようになりました。


 農家である父母の仕事を手伝えるようになったころ、街の人々が、太鼓や笛、弦楽器などの楽器を持ち寄って演奏しているなかで、一緒に歌うようになりました。演奏家たちの楽器の音に合わせて歌うと、少女の歌はさらに力強く響き、きらきらと輝いて聴衆の耳に届くのです。その楽しさを、少女は知りました。


 リズムと他旋律を得た少女の歌は、さらに力を増していきました。歌に込めた思いに人々が同調するようになったのです。少女が笑わせようと思って歌うと、人々は笑いますし、リズムに乗って陽気に歌うと、人々は酒を片手に体を揺らし、ステップを踏みます。静かな弦の旋律に寄り添って悲恋を歌うと、人々は歌に登場する人物の心情に寄り添って、静かに涙を流します。


 人々は少女の声を聴くだけで、その魅力の虜になりました。「素晴らしい声だ」「こんな気持ちになったのは初めてだ」と口々に賞賛を延べます。言葉だけではなく、良い音楽の対価にと、お金までもらえるようになりました。


 それでも、少女にとっては、父母に誉められることのほうが、何よりも嬉しいことでした。銀貨を手に自宅に戻り、わたしには必要ないから、とテーブルの上に置くと、父母は少女の頭を撫でて、喜んでくれました。少女はより確かに思いました。


「わたしの歌には力がある!」


 ――しかし、やがて、少女の歌は”魔法”と呼ばれるようになりました。人々に影響を与え過ぎたからなのでしょうか。好かれすぎたからなのでしょうか。人心を惑わす古の妖術と同一視されるようになってしまったのです。


 少女の歌は、国から派遣された兵士たちや教会の聖職者たちから疎まれ、白い眼で見られ、歌う場所は限られていきました。「少女の歌は、魔法だ」という、出所のわからない噂が、ひたひたと街中に広まりました。


「聴くと心を操られてしまう」「半身半鳥の魔物の生まれ変わりなのではないか」「いや、魔物そのものが人間に化けているのではないか」


 噂が満ちてゆくにつれ、人々は少女のもとから離れていきました。いつものように広場で歌っても、もう誰も足を止めてくれません。街中で歌う少女を見つけると、人々は帽子や外套を目深にかぶり、耳をふさぎ、足早に通り過ぎます。演奏家たちも少女の傍からいなくなり、父母でさえも少女の歌に恐れをなして、人前で歌うことを禁じ、外出さえも許さなくなりました。


 少女は、街の人々に嫌われてしまったことよりも、歌える場所がなくなってゆくことを、とても悲しみました。石造りの地下室や街はずれの草原、霧深い森の中など、どんなに隠れて歌っていても、一時は街にあふれていた少女の声を、誰もがおぼえていました。少女の声は誰かの耳に入るたびに噂が回り、自宅に兵士や近所の住人が現れては、日に日にやつれていく父母に監視を強めるよう求めました。「あの子の歌は、魔法なのだから」と――。


 少女は、それでも、歌いたい、と思いました。大きな声に激しい思いを、かすかな声に染みる思いを溶かしたい。少女にとって、歌うことは呼吸や食事と同じものでした。歌うことでしか、自分の存在を確かめることができなかったのです。


 街を出よう、と少女は思い立ちました。


 街を出て、あの頃にように気兼ねなく歌える、新しい場所を探そう。噂の届かない遠い街へ、わたしを知っている人がいない場所へ行こう。


 ある日の夜、少女はそっと自分のベッドを抜け出しました。幼さの残る少女の足には大きすぎる父のブーツを履き、外套つきの母のマントを身にまといました。眠る父母に向かってそっとさよならを告げると、静かに家を出ました。


 街のはずれの森に入り、枝葉からこぼれ落ちてくる月明かりの中を歩いていきます。森を一つ、山を二つか三つ超えた先に、別の街があることは知っていたので、そこを目指すことにしました。


「そこならば、また、きっと歌えるはず」


 雨に洗われた木々の根っこに躓き、針のようにとがった下生えにマントを引っ掛けながら、少女はただもう一度歌いたいという一心で歩を進めました。ぶかぶかのブーツで擦れた足には、血がにじんできました。しっとり重たい夜の森の中。遠くに聞こえる狼の声や、妖魔たちのささやきが聞こえてきます。


 でも、少女はまったく怖くありませんでした。


「だって、わたしの歌は、魔法だから――」


 少女と父母を苛む根も葉もない噂が、そのときは逆に少女の支えとなりました。


 もちろん、本物の魔法使いのように、手のひらに火球を浮かべて投げつけたり、氷の矢を放つようなことはできません。でも、火球や氷の矢は、人々を喜ばせ、踊らせることはできません。自分の歌は特別だから。自分の歌だけが、その他どんな魔法よりも強大だったからこそ、糾弾され抑圧されてしまったのだと、少女は暗い森を歩きながら、そうやって自らを奮い立たせました。


「わたしには、歌しかないんだ」


 人々の勝手な思い込みで、自分の好きなことが禁じられたのだという悔しさが、心の中の鍋にふつふつと煮えたぎり、闇の中に溶け出してゆきました。少女の歌への思いは魔法の杖となり、鎧となり、盾となって、森の奥、闇の先へと向かう旅路を守ってくれました。


「わたしの歌は、力そのものなんだ――」

 

 しだいに朝日が靄を透かして、木々の隙間の夜気が溶けてきました。狼や妖魔の気配は遠ざかり、かわりに小鳥たちの豊かな鳴き声が森に満ちはじめました。棒のようになった足を無理やり前に出すようにして歩いていましたが、朝を迎えて自然と足取りが軽くなりました。森の奥に、白くたっぷりとした光が見えて、ついに少女は痛む足のことを忘れて走り出しました。


 森を抜けると、目の前には、初めて見る景色が広がっていました。


 そこはなだらかな丘でした。朝のやさしい風に、草花が揺れています。丘の先は崖になっているようで、さらに先には、ふもとに白い霧を抱えた大きな山々が幾重にも重なって、明けきっていない紫の雲の向こうまで続いています。雲の切れ間からは、鮮やかな光のカーテンがさっと降り注いでいます。朝露が光を照り返して、丘のそこかしこできらきらと光ります。


 少し湿った、透明な朝の空気を鼻からいっぱいに吸い込んで、少女は久しぶりに大きな声で歌いました。


 少女の歌声は、峰々の奥まで届くかのように響きわたりました。歌えたことが心から嬉しかったので、人々や聴き手のことは、まったく頭の中から消えていました。少女はいまや、空っぽの、歌声を発するだけの楽器でした。ただただ振動するだけの、ひとつの管でした。のどが、腹が、全身が、まわりの空気と融合しているような全能感を、少女は久しぶりに味わいました。


 少女は笑顔で、朗々と歌い続けました。こみ上げ続ける喜びに、目の端から涙が一粒、ぽろりとこぼれました。


 歓喜の歌は、目に映るこの美しい世界――草原や森や山、草花や野鳥たち、動物たちにまで、少女の持つ力を伝えます。歌によって少女の力は辺り一帯に広がり、溶け込んでゆきました。


 そして、少女の〝本当の魔法〟が、発動したのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る