第21話 ジャスミン、愛嬌

「おせぇ!」


 アレクシスがやっと部屋に戻ってくると、思わず彼に飛びつきそうになってしまった。


 部屋でずっと彼が帰ってくるのを待っていたのだ。

 いっそ彼を探しに行こうかとさえ思ったけれど、不用意に外をうろうろしてまた襲われるのも嫌だった。

 彼は何処で何の授業を受けていて、何時に終わるのか。

 今までまるで興味を持っていなかったけれど、聞いておけば良かったと後悔した。


「ど、どうしたルノ?」


 オレの様子がいつもと違うと彼も気づいたのか、目を丸くさせている。


「実は……」


 謎の男に襲撃されたことを話した。


「な……ッ!?」


 見る見る内に彼の顔が青褪めていく。


「大丈夫かルノ!? 怪我はないか!?」


 動転しているのか、オレのローブをめくってオレの身体を確認している。

 そのままシャツとズボンまで脱がされそうな勢いだったので、一歩引いて距離を取る。


「怪我はねぇ、返り討ちにしてやったからな。それよりも気になることがある」

「襲撃者にどれほど愚かなことをしたのか思い知らせてやるよりも重要なことなどあるのか?」


 アレクシスの瞳孔が開いている。

 よほど怒り心頭のようだ。

 彼のその様子を見て、やっぱり彼を疑うなど馬鹿なことだなと笑いたくなってしまった。


 さっきまで不安で仕方なかったのに、彼がそばにいてくれるだけで心が暖かくなって緊張が解れているのが分かる。オレはいつの間にこんなに彼を頼りにするようになっていたのだろう。


「ああ。襲って来た男はこれと同じナイフを持っていた。オレを襲ったのはグロースクロイツ家の奴なのか?」


 ベルトからナイフを鞘ごと外し、彼にカラスの意匠を示す。

 それを見たアレクシスは呆気にとられたように口を開け、次第に眉根の皺を深くしていく。


「……本当なのか?」

「ああ」


 オレの返答を聞くと、彼は重い溜息を吐いた。


「分かった。事の次第を確かめる為に父に手紙を書こう」


 アレクシスはその場で羊皮紙とインクを取り出し、机に腰掛ける。

 カリカリと音が響き始める。


 彼の背中を見ていると、また不安が膨らんでくる。

 もし刺客を送ったのが彼の親だったらどうなるのだろう。

 オレを庇ってくれるだろうか。それとも……


「……なぁ」


 恐る恐る彼の背中に声をかける。


「うん?」


 彼は振り向かずに返事をする。

 それだけで胸の内の不安が大きくなっていく気がした。


「その……オレを選んだことは、よく思われてないのか?」

「まあな。だが文句は言わせない」


 彼はやはり振り向かず、肩を竦める。


 やっぱり、オレがアレクシスの番になるだなんて無茶だったんじゃないだろうか。

 どんなにアレクシスがオレのことを好きだと言っても、そこに立ちはだかる壁は高すぎる。

 いつしか彼は壁の高さにオレを愛することを諦めるだろう。

 もしかすれば、その時はすぐそこに迫っているのかもしれない。


 そんなことなら、最初から……


「……」


 今回の襲撃に思いの外衝撃と恐怖を覚えていた理由はこれなのかもしれない。

 オレとアレクシスが共にいることをよく思わない人間がいる。

 そのことを明確な悪意によって叩き付けられた。


 アレクシスがどんな物好きだったとしても、家柄を差し置いてオレの方を選ぶ価値はオレにはない。

 そんなことちょっと考えれば分かる筈だったのに。


「……っ」


 思わず彼に手を伸ばし――――彼の肩に触れる前に引っ込めた。


 せめて彼が抱き締めてくれればこの胸の痛みも収まるかもしれない。

 そんな無意味な自分の思考に気がついたからだ。

 

 そんな触れ合いには何の意味もない。

 オレは独りで生きていかなければならないのだと、この学園に入ることになった時に自分によく言い聞かせたはずなのに。


 彼に気づかれないようにベッドに入り、毛布を頭から被る。

 込み上げてくるものを毛布に染み込ませている内にオレは疲れて眠りに落ちていた。


 *


 何かとても悪い夢を見たような気がする。

 意識が覚醒した途端に夢の詳細な内容は遠のき、ただ不快感だけがざらりと脳裏にこびりついていた。


「おはよう、ルノ」


 アレクシスが何事もなかったかのように爽やかな笑顔を向けてくる。

 彼の机の上を見ると、何もなかった。


「手紙とやらはもう書けたのか?」

「ああ、昨晩の内に伝書梟で送った。昨日は放っておいてすまなかったな、ルノ」

「あ?」


 大事な時にオレを不安にさせた癖に、今さら何を謝るのか。

 歯を剥いて睨み付けそうになり、ハッとする。


 そういうのは期待しないと決めたんじゃないか。

 駄目だ、まだ思考が浮ついている。

 いつの間に彼の甘い言葉に溶かされていたのか。

 入学前の自分なら絶対にこんなこと思わなかった。

 鋭さを取り戻さないと。

 

「いくら君が戦いに慣れていると言っても、日常の中で襲われるのはまた別だよな。不安で仕方なかったろう」

「なんだ、じゃあ昨日はオレが平気だとでも思っていたのか」


 怒りに任せて吐き捨てると、彼は呆気に取られたようにポカンとする。

 それから慌てて弁明し出した。


「……ち、違うとも! 昨晩は父へ報せることを優先すべきと思ってしまったが、それは間違いだった。もっと――――君の話を聞くべきだった。いろいろとオレに吐き出したい気持ちがあったよな」


「もういい」


 この話題はもう止めようと伝えるつもりだったのに、妙に棘が籠った一言になってしまった。

 「オレは不満だ」と態度で彼に示してしまった。

 寂しかった、と言ってしまったのと同じだ。


 自分で自分の態度に狼狽えて、彼に背を向ける。


「ルノ」


 彼が後ろからオレの身体に手を伸ばす。

 その腕を振り払う前に、彼が耳元に囁くように誓う。


「君の安心の為に、襲って来た男には必ず報いを受けさせる。昨日はそのことに集中し過ぎてしまった。改めて謝る」


 もう彼の甘い言葉なんか期待しないと決めた直後にこれだ。

 勝手にオレの身体に触れる彼への怒りと、それでも彼の言葉にほっとしてしまう自分への苛立ちに顔がカッカと熱くなる。


「そんなのどうでもいい。オレは……」


 この怒りをどう表現すべきか分からない。

 急に怒るのが下手になってしまったみたいだ。

 身体を抱き締める彼の腕が酷く熱を持っているように思えた。


「とにかく、離せ!」


 彼の腕を振りほどいて振り向き、彼を睨み付ける。


「いいか、とにかく、その、気安く触るな!」

「すまん、悪かった」

「ふん!」


 結局オレは子供っぽい癇癪を起こすことしかできなかった。

 彼がオレの為に行動してくれていることは分かっているのに。


「朝食に行く」


 ローブを羽織って踵を返そうとする。


「ああ、待ってくれないか」


 そんなオレを彼は平気で引き留める。


「今、エーファを呼んでいる。これから出歩く時はいつもエーファを連れて行ってくれないか。そうすれば君に何かあった時にエーファとの念話を通じてオレと連絡が取れる」


「む……」


 彼の案は確かに合理的に聞こえた。

 エーファがいれば、昨日のようにアレクシスは何処にいるのかと不安に気を揉む必要はなくなるだろう。


「……分かった」


 ポーズとしてぶすっとした態度で答えるが、本当は彼の提案が嬉しかった。


「チュチュッ!」


 ちょうどその時、エーファが窓辺に姿を現した。

 そしてエーファは迷わずオレの肩に飛び乗ってきた。


「ふふ、久しぶりだな。元気にしてたか?」

「チュッ!」


 頬を擦り寄せられ、擽ったい。

 思わず笑みが零れた。


「これで少しは君の心の支えとなれればいいのだが」


 アレクシスも優しげな視線をエーファに注いでいる。

 その彼の顔を見ていたら、オレは何をよく分からないことに怒っていたのだろうという気分になった。

 細かいことがどうでもよくなってしまった。


「ありがとよ。……その、オレの為に手紙を書いてくれてたのに、オレだけさっさと寝ちまって、すまなかった」


 ぼそぼそと彼に謝る。


「いや。グロースクロイツ家の者が犯行に関わってるかもしれないとなったら、それを確かめるのは当然の義務だ。それに君も大変なことがあって疲れていたのだろう」


 こうして見ると、アレクシスはやっぱり普通にいい奴だ。


 だからこそ、オレは彼に相応しくない。

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