第174話 神奈川三浦エリア:苦情が! 苦情が来てるのよ!



 鎌倉市街地からやや離れた民宿。


 それが本日のお宿だった。木造2階建て、屋根やねかわらりという和風な佇まいだ。意外といっては失礼だろうか。フィリーならもっとこう、高級そうなシティホテルとかを選びそうだったのだが。


「外から見えないようにバイクを何台も駐車したいって考えると、こういうところの方が良いのよ」


 それは確かにそうかもしれない。東京に泊まった時は、ホテルのご厚意がなかったらエストレヤと一晩離れ離れになっていたはずだ。宿の敷地内 ——背の高い塀に囲われている―― にバイクを駐車できることに感謝しながら、舗装されていない地面にサイドスタンドをそっと降ろした。砂利に沈むスタンドに一瞬ヒヤリとするが、車体が倒れるようなことはなかった。


 脱いだヘルメットと荷物を抱えて宿の入り口に向かう。引き戸になっている玄関をガラガラと開くと、フィリーは建物の奥へと声を上げる。



「こんばんはー! 予約した君影キミカゲでーす!」



 なんで人の名前で予約してんの???


 そんな疑問を口にする隙も無く、宿のかたが現れた。女将さんだろう。そしてああ君影さんですね、なんて笑顔を浮かべる。


「はいっ、君影です!」


 だからお前は君影じゃないだろ。


 ツッコむ気力も失せていると、女将さんが申し訳なさそうに、夕飯の用意がまだできていないが、お風呂の用意はできていると告げてきた。ようは風呂で時間を潰してくれという意味だろう。


「分かりました! じゃあ先にお風呂をいただきます! メグ、ミソラ、行きましょ!」


「そうだね。あの、今晩はよろしくお願いします」


 未天みそらが女将さんにおじぎしたので、あわてて私も「します」とだけかろうじて付け加えておじぎをした。社会性の有無を思い知らされる。


「畳だ!」


 部屋に入るなり、フィリーは荷物を手放して畳に寝転がった。ど真ん中なので普通に邪魔だ。


「良い香りだね。畳が新品なのかも」


「だとしたら良い時に来たわね」


「2人ともスマホとか充電する? 電源タップ持ってきたよ」


「するする。カメラのバッテリーとかも充電したいわ。準備良いわねミソラ」


「ほら、わたしも充電したいもの多いから」


 未天のバッグの中から次々と電子機器が出てくる。スマホとかタブレットとか携帯ゲーム機とかだ。筋金入りだ。


「それじゃあお風呂行きましょお風呂! 他のお客さんもいないらしいから貸し切りよ!」


 各々入浴に必要なものを荷物から取り出す。入浴に必要なものというと、化粧水のビンといった割れ物もあったりして、バイクに積むのは気を使うことではあったのだが、それはそれでいかに積むか考えるという面白さもあった。



「準備いい? じゃあいざお風呂へ ――」


「フィリー。ちょっと」



 フィリーがお風呂の方へ足を踏み出した瞬間、つまりこちらに背を向けた時、私は彼女の肩を掴んでいた。ガッ、と掴んでいた。



「余計なもの持っているようだけど」


「…………え、え~? そそそ、そんなことないと思うけど~?」



 すっとぼけるフィリーを無視して彼女の手荷物を奪い取る。そして問題のブツを取り上げた。黒くて四角い手のひらサイズのやつだった。


「カメラは必要ない」


「必要でしょ! 3人の思い出をできるだけたくさん残しておきたいじゃない! 余すことなく隅々まで!」


「これはさすがにNG」


「苦情が! 苦情が来てるのよ! お泊りイベントにお風呂シーンがないのはおかしいって!」


 何の話だ。


「とにかく。これは置いて行くこと」


「(泣)」


「あはは……」


 そんなひと悶着を済ませたあと、私たちはお風呂へ向かったのだった。

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