第120話 未天のバイク:無言で語る



 当初の不安はどこへ行ったのか。未天はあっさりと卒業検定をパスした。


 だが指導員に放置されるレベルなら当然と言える。浜北の免許センターで受け取った免許証を見つめる横顔は満足げで、私もこんな顔をしていたのかも、なんて思う。


「それでバイクは決まったの?」


「実は来週納車なんだ」


 いつの間にかバイクを決めていたらしい。また相談されるかもと身構えていたが、必要無かったようだ。少し寂しくも思うが、まぁバイクとはそういうものだ。


 いろいろなことを自分で決めて、何があろうと自分が責任を持つ。誰かの言葉を鵜呑みにして事故にあっても、その誰かが責任を取ってくれるわけでもないし、怪我をしたからといって怪我を押し付けることもできないのだから。


「メグちゃん一緒に来てくれない?」


「いいの?」


「むしろいてほしいよ。初めての納車だし」


 厳密にいえば自分も納車を経験したことはない。エストレヤは整備に出しただけだ。そういう意味では自分が納車に立ち会って力になれるかは疑問だが、興味はあるのでご一緒させてもらうことにした。


「ちなみにどこの店?」


「メグちゃんがエストレヤを整備してもらったお店」


 バイク選びのために一度案内したことがあった。例によってエストレヤを担当してくれた店員さんが対応してくれて、非常に丁寧な接客でありがたかった。あちらとしても紹介客は重要な収入源なのだろう。


「ところで何買ったの?」


「えへへ……ナイショ」


 彼女はいたずらっぽく微笑んだ。






 バイクショップに着くと未天が店の外でソワソワしていた。


「メ、メメメメグちゃん、どど、どうし、どうしよ……き、緊張してきた……!」


 楽しみなら分かるが緊張するというのはこれいかに。バイクと対面したら気絶するのではなかろうか。いやしかし、それも未天なのかもしれない。


「ど……どうすればいいんだろう……!?」


「……店に入って店員さんに声かけるしかないと思うけど」


「あっ、そ、そうだった」


 入店して「こっ、こんにちワ゜ッ」と声をかける未天。「ワ゜」の所で声が裏返っていた。店員さんがやってくると「少々お待ちくださいね」と答えて奥に引っ込んだ。そしてしばらくすると背後から「どうぞ」と声がかかり、店の外に案内された。


「……メグちゃん先に行ってもらえない?」


「意味が分からないでしょ」


「あぁ! ちょ、待っ、心の準備がっ!」


 いまさら何を言っているのか。ヘルメットが入った袋で身を隠そうとする彼女の背中を押して、私たちは店の外へ出た。


 そこで待っていたのは、丸いヘッドライトとウインカー、ロングシート、そして単気筒エンジンとスポークタイヤという、クラシックバイク要素が満載の1台——。



 ヤマハ・SR400。



「……綺麗」


 未天が私の言葉を代弁した。


 否、このバイクを見る全ての者たちの言葉を代弁した。


 そのバイクは輝いていた。ブラックを基調にしたカラーリング、タンクからシートにかけて描かれた微笑みのような曲線、ふんだんに施されたメッキ、素直にしかし弾むようにやや上方へ伸びるマフラー、軽くて扱いやすい車体をさらに扱いやすくするグラブバー……——それらが過不足なくまとまったシンプルで洗練された造形は、40年以上に渡って人々に愛され続けてきた理由を無言で語る。現在新車で入手できる数少ない中型クラシックバイクの内のひとつであり、ホンダCB400SS、スズキST250などと並んでエストレヤのライバル機として君臨し続けている。


「SR400。最高のクラシックバイクの1つだね」


「メグちゃんのバイクを見てると、やっぱり私もこういうバイクがいいなって。あとちょっと跳ねたマフラーが可愛かったのと、グラブバーが便利そうで。ほら、わたし非力だし」


 未天はそう言うと、日焼けしていない手でSR400のシートをそっと撫でた。


「……な、なんだか実感湧かないな。こんなに綺麗なバイクがわたしのものになるだなんて」


「しかもこれ新車じゃない? ブレーキディスクが全然削れてないし、車体のどこにもサビもくすみも無い」


「ちゅ、中古で何かあるとわたしじゃ対応できなさそうだし、メーカー保証もあるし、新車なら安心かなぁって……」


 実際は店で買ったようなバイクであれば中古でもよっぽど大丈夫なのだが、彼女のような考えにも一理あった。


 店員さんに促された未天は車体のチェックを行う。傷の有無などを確認した後、SR400の最も特徴的なエンジン始動——セルではなく車体側面についているキックペダルによるキックスタート――も数度の挑戦で難なくこなし、ブレーキや灯火類も確認して書類にサインをした。


「ありがとうございました。お気をつけて!」


 店員さんが店内に引っ込むと、SR400の傍らには私たちが残された。


「……早速どこかに走りに行く? 一緒に行った方がいい?」


「もちろん来てよ。っていうか見捨てないで……!」


「行きたい場所ある?」


「あ、あんまり遠いところは……」


「弁天島とか?」


「……もうちょっと近所がいいな」


 弁天島は近所だと思うのだが。


「じゃあ私のバイト先とか?」


「うー、じゃあそのくらいで!」


 ヘルメットをかぶりバイクにまたがる。私がセルでエストレヤを始動させているそばで、未天はSR400をキックスタートさせた。今回は1発始動だ。その様子は力強く、体育で顔面レシーブしているとはとても思えない。


「ではお先にどうぞ」


「えぇ!? わたしが前なの!?」


「こういうのは運転に慣れてる方が後ろだよ。教習所でもそうだったでしょ」


「た、たしかに」


「店ではおごるよ。納車祝いで」


「うぅ、が、頑張るよ……!」


 未天は走り出す。本人の様子に反して、その運転はそつのない安心して見ていられるものだった。


 私は少しだけ後悔した。後ろから追いかけるのではなく、彼女の前を走ればよかった。だってそうすれば、きっと良い表情を浮かべている未天の顔を見ることができたのだから。






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