第91話 錆びつき


 台風一過の青空。


 市内にそれほど被害は出ていないようだ。自然災害の規模が大きくなりつつある昨今の情勢をかんがみれば喜ばしいかぎりだ。エストレヤの方も対策の甲斐あってか、倒れることなく台風を乗り越えた。


 しかし油断は禁物だ。換気口ベンチレーターがあるとはいえ、雨の後のカバーの内側は湿気が溜まっている。それにカバー自体、完全な防水というわけではない。わずかながらにカバーを貫通してバイクにも水が付着してしまう。それらのケアのため、雨上がりにはカバーを外してあげると何かと安心だ。


 もっとも、それは普通の雨の場合。台風となるとそれだけでは不足だ。


(……ボルトはステンレスだよなぁたぶん)


 ステンレスは錆びない合金とされているが、実際はステンレスのグレードや種類、取り扱いによってはあっという間に錆びる。


 空気中の酸素と結合して安定することで表面に被膜を形成し、錆びつきを防ぐというのがステンレスの基本的な仕組みだ。が、塩分や水分はその被膜を破壊してしまう。海上を進んできた都合上、台風の雨には海上で巻き上げられた海水が含まれている。当然塩水であり、金属、そしてステンレスの天敵だ。早急に除去する必要があった。


 カバーを引っぺがして干しておく。エストレヤを散水栓の近くまで移動させた。鍵穴や給油口を養生テープで覆って水が入らないように対策し、そのうえでようやく洗車を始める。


 洗車と言っても今回は水をかけて流すだけだ。たいしたことじゃない。水を掛けながら、傷がつかないよう力を込めずにずぶ濡れのタオルで車体を撫でていく。直接雨に晒されていたタイヤのホイール部分は念入りにざぶざぶと洗った。それが終わったら乾いたクロスで全体を拭き上げる。


 それで終わりではない。人間の手でできることには限りがある。クロスではぬぐいきれない部分がどうしても残ってしまう。例えば、エンジンの放熱フィンの隙間とか、あるいはクランクケースの奥まったボルトとか。特にボルトの方はくぼみの中でほとんど水没していた。これでは錆びろと言っているようなものだ。


 そこで役に立つのがエアーダスターだ。ごく普通の空気が圧縮されたスプレー缶で、本来は細かいホコリなどを吹き飛ばすために使用されるものだ。このエアーダスターの強い空気の噴射により、奥まった場所の水滴を吹き飛ばすことができる。スプレーのヘッドを押し込むと、プシューッと空気が噴き出して、狭い場所に張り付いていた水が飛び散った。それをクロスで拭っていく。


(エアーダスターの代わりにストローで息を吹きかけても代用できるっぽいけど……)


 人の呼気はたっぷりと水分を含んでいるため、あまり推奨されない。


(……こんどコーティング剤も見ておこう)


 エストレヤの取り扱い説明書にも、定期的にワックスを塗るようにと記載がある。取り扱い説明書にそう書いてあるということは、それはつまり必要最低限のことであるということだ。その程度のことはやってあげなければ。

 そうこうしているうちに、エストレヤの車体はたちまち乾いていった。いや、乾くを通り越して熱くなっている。洗車している間に陽も気温も高くなっていたようだ。


「……」


 少し迷う。綺麗にしたばかりなので今日の所は展示しておくべきか、それとも綺麗な車体で街を流してみようか。大雨のあとの路面はゴミが多く、タイヤがパンクする危険が増してリスキーだが、数日家に閉じ込められて息がつまりそうだというのも本音だ。


「うん、行くか」


 結局出かけることにする。ちゃっちゃと準備を済ませて走り出した。


 ボルトが錆びつくのが嫌なのだ。


 運転技術が錆びつくのは、もっとイヤだ。



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