第74話 グニャ


 西鹿島駅をなんとなく目指して出発した直後、それは起こった。


「……っ!?」



 サイドミラーが、グニャってなった。



(ちょっ……ちょっ……)


 衝撃的な光景(しかしやがて慣れる)におののきながら、道すがらにあった公園の駐車場にエストレヤを滑り込ませた。例によってすみっこの方に駐車したあと、そっとシートから降りて患部の診察を始める。


「……びっくりした」


 壊れたわけではなかった。どうやらミラーの根元を固定しているナットがゆるんでしまい、さらにバイクの走行風を正面から受けたことでミラーが根元から回転してしまったようだ。試しに鏡の部分を持って回してみると、行き止まってナットが締まる感覚がある。


(締まるな……)


 あまり強く締めると壊してしまいそうなので、ほどほどに力を込めて固定する。シートにまたがって見え具合を確認して――うん、問題ない。


(じゃあ気を取り直して……)


 再出発だ。


 公園の駐車場を出て左折。県道65号線を北上する。幹線道路で速度が乗る。



 グニャ。



「……」


 再発した。







 すぐに帰宅した。


 あっという間に回転してしまうミラーを何度も直しながら帰宅した。


「くっ」


 本日は晴天。暑いには暑いが、それでもバイクに似合いの天気には違いない。少なくとも雨の日よりは良いし、夏にしか見られない鮮やかな景色だってある。そんな中をのんびり流そうとしていた矢先の出来事で、悔しくないわけがない。


 いやしかし、それにしても。


(一度緩むと素手で復旧は無理か)


 破損を覚悟でやれば固定できるかもしれない。ミラーを掴んで思いっきり力を込めればいいだけだ。しかしそれではナットをねじ切ってしまいそうだし、適切な位置にミラーを固定できるとも限らない。途中、ミラーを固定するナットを素手でつかんで締めようとした。が、人の手ではどうにもならない領域だった。


(……工具)


 たぶん、家のどこかにはあると思う。いや、あった。物置の中で工具箱を発見した。


 中身は雑多というほかなかった。ドライバーはサイズ違いや色違いでいくつも入っている。ペンチが3つあったと思ったら、2つはペンチで残り1つはニッパーだった。あと金槌は2つもいらないと思う。


「あった」


 工具を掘り起こして取り出したスパナ。いや、ボルトナットを掴む部分が可動式になっているのでモンキーレンチというヤツだ。これならどんなサイズのボルトナットも掴むことができる。


「もう1個ないかな……」


 サイドミラーの構造をイマイチ理解していなかったが、この際どうなっているのか良く確認した。


 バイクのサイドミラーには2つのボルトナットが使われている。1つはバイクとミラーを連結・固定するためのもので、もう1つはサイドミラーの位置角度を調整・固定するためのものだ。今回緩んでしまったのは後者の方だった。


 厄介なのはここからで、2つのボルトナットは隣り合った位置にあり、かつ、それぞれは増し締めしようとしたとき、回転させる方向が逆になっていた。


 時計回りで締まるボルトナットと、反時計回りで締まるボルトナットとが隣り合っているときに片方を回した場合、隣のボルトナットも一緒になって動いてしまうという事態が発生する。つまり、片方を締めてももう片方がゆるんでしまう。


 これを解消するため、片方のボルトナットを固定した状態で増し締めする必要があった。なのでスパナやモンキーレンチが2個必要だった。


 ――ガチャガチャ。工具箱を漁る。気分は発掘だ。もう1個あれば工具を購入しなくて済むので本当にお宝なのだが。


(……無いな)


 モンキーレンチがあればこれまで何とかなっていたのだろう。サイズもフリーだ。活躍の場は多い。そして2つのボルトナットを同時に操作しなくてはならない場面も無かったのだろう。自分としてもいままでそんな場面に遭遇したことは無い。


(ホムセン行くか……)


 工具箱をパタンと閉じて物置に戻す。モンキーレンチだけは避けておいた。ヘルメットやらグローブやらを片付けた後、最寄りのホームセンターを目指して歩き出した。もちろん、先日購入した帽子をかぶって。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る