第64話 大人になるとはいったい
エストレヤ。
カワサキ製の中型バイクだ。
排気量は249cc。クラシカルで美しい
また扱いやすい重量、足つきの良さ、高い燃費などの後押しもあり、人気は根強い。カスタムベースのバイクとしても需要がある。そのため同メーカーのロングセラーだったのだが、平成末期の排ガス規制に対応することなくその販売は終了された――私のバイクはそんなバイクだ。
(……大切に乗ろう)
ブラウンの生地が貼られたシートに手で触れる。ほぼ一日中、真夏の太陽光を浴び続けたせいか、手で触れ続けることができない程度には熱い。エストレヤとしては珍しい黒く塗装されたエンジン回りはさらに熱気を放っていて、距離があるにも関わらず足の
(ハンドル持てる……?)
ツンツンとつついてから握ってみる。握れないことは無い。まあこちらはどのみちグローブをするから問題ないだろう。
(バスタオルでもかけとこうかな……紫外線で塗装の劣化が早まってもヤだし)
タンクは夜空のような深いネイビーブルーと、星の光めいた白で塗られている。側面にはエストレヤのエンブレムがあしらわれていた。タンク内には当然ガソリンが蓄えられており、安全性は十分に考慮されているが、高温は推奨されない。
空を仰ぐ。青い。まだ太陽も高い。その太陽が傾いても、今度は西日が街を横切って、一日の仕上げと言わんばかりに地表を熱していくのだろう。仕事熱心なことだ。
(……私も働くか)
始めのうちはバイト先への往来にだけ乗るつもりだったエストレヤだが、バイト先の店長の厚意により、店の駐車場にバイクを駐めて学校に登校できるようになった。学校もバイト先も浜松市内の台地の上にあり、台地の下にある自宅からだと夏場は汗だくになって長い坂道を登らなくてはならないため、非常にありがたい話だった。
そしてエストレヤを迎えてからというもの何かと入用だ。先立つものが多いに越したことはない。
「おはようございます」
学校を出て、炎天下を溶けそうになりながら歩いてたどり着いたバイト先。蜆塚にあるカフェレストラン。サイフォン式のコーヒーを出す。2ヶ月ほど前までは自宅の近くの同じ店で働いていたのだが、新店舗をオープンさせるということで、オープニングメンバーとして店長と共に店を移ってきていた。今はもうお店は軌道にのり、開店当初は未経験だったスタッフも十分な戦力になっている。
(……パンが焼きたてだ)
香ばしい香りが漂っている。キッチンのオーブンでパンが焼き上がったようだ。最初の仕事はそれの陳列かな、などと頭の中でタスクを組み立てる。
「おはよー」
パソコンデスクで振り返ったのはこの店の店長だ。アイス食ってやがる。おまけに店で廃棄になった2リットルのヤツを。
激務が普通な飲食店の仕事をハツラツとこなす女性で、店長をしていたり新店舗を立ち上げたりしているあたり、そのうち偉くなって現場から離れるのだろう。ちなみに恋人は無し。
「いま何か余計なこと考えてなかった?」
「いいえ」
余計なことはしない
「もう夏休み入った?」
「明後日からです」
「いいなー」
店長はがじがじとスプーンでアイスをつつく。行儀が悪い。いや、2リットルアイスを抱えてる時点で行儀も何もない。
「店長はもう高校生時代に休んだでしょう」
「……大人になるってどういうことだと思う?」
「? 成人年齢になることですか」
「義務と権利が増えることよ」
「はぁ」
「でも―― 休む権利は子供の方が絶対に多い!! おかしくない!? 休む権利は増えないの!?」
仕事中にサボってアイス食ってる人が何か言ってる。
キリがないので脳内で雑音をシャットアウトだ。休憩室に置かれたタブレットでシフトを確認して、
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