第62話 もちろん好き(1章終)
『下道で行ったの?』
フィリーからしょうもない雑談メッセージが送られてくる。ので適当に相手をしているうちに、話はいつのまにか先日の山中湖ツーリングのことになっていた。
『なんで高速使わなかったの?』
『いやその』
『?』
『まだちょっと自信なくて』
『かわいい』
かわいくない。そしてアイツがスマホの前でニヤニヤした顔を浮かべていると思うと非常に腹立たしい。
『仕方がない。私が後輩ライダーのために高速道路の走り方をレクチャーをしてあげよう』
『女性ライダーにバイクのこと教えたがるオジサンみたいになってるよ』
『いるいる。いや、でもほんとに、不安だったらついて行ってもいいわよ』
『ありがとう。考えとく。いろいろ準備したいし』
バイクで高速に乗ろうとしたらそれなりに準備と覚悟が必要だ。できる準備をおろそかにして突っ込んでいくのは死にに行くようなものだろう。バイクに乗っている以上、死にに行くという表現は全く大げさではなかった。
『下道は長かったでしょ。私も静岡くらいまでなら国1とか150号で行くけど、さすがに山中湖は。富士山の東側だし、富士五湖じゃ一番遠いし』
『うん、遠かった』
『他県の人からは恨まれるくらい長いから。静岡県横に長すぎ問題ってやつ』
実際に走った私はそのことをよくよく実感していた。だいぶ走ったなと思っても、地図で進んだ距離を確かめるとそれほどでもない現象は、旅路を急ぐ人々にとっては忌々しいものに違いない。
だけど、そう思わない人種がいないでもない。
例えば。
『でも、いっぱい走れてよかった』
などと書き刻み、おそらく私よりも重症であろう先輩ライダーをして「バイクバカだ」とコメントされるようなヤツとか。
学校帰り、アクト通りの近くの書店で文房具を買い足すついでに、ガイドブックのコーナーを物色する。地図はスマホで事足りているといえば事足りているが、電池や電波がなくても読むことができるという優位性は紙の地図の強みであるように思えた。はじめは普通のロードマップを見ていたが、バイクツーリング用のロードマップもあって驚いた。試しに山中湖のあたりをのぞいてみると、なるほどいろいろとライダーに役立つ書き込みがある。
少し視線を移すとグルメガイドも並んでいる。全国津々浦々の美食をまとめた本もあれば、浜松市街地だけのグルメを取り扱ったようなローカルなものもある。その内のひとつ、アップルパイが表紙を飾っている雑誌に目がとまる。
(アップルパイ……)
いつかミソラと一緒に食べたことを思い出す。
彼女はアップルパイが好きなのだろうか。それともあの時食べたかったのがアップルパイだっただけなのだろうか。でも、数あるメニューの中から選んだのだから可もなく不可もないようなものは注文しないはずだ。きっと好きなのだろう。
雑誌を手に取ってペラペラとめくってみる。県内の人気のカフェをまとめたものらしく、コーヒー・紅茶といったドリンクと一緒にいろいろなスイーツが並んでいた。でもついアップルパイに視線が吸われてしまう。
(……おいしかったな)
果たしてあれを好物と呼んでよいのだろうか。たまたま食べた物を美味しく感じただけだ。おまけにミソラが頼んだだけで、自らすすんで注文したわけでもない。仮に一人で店に行ったとして、また同じものを注文するかといわれると……分からなかった。
(他のも試してみるか)
そうすればはっきりするだろう。その雑誌を片手にレジへ向かう。
会計を済ませて駐車場に戻る。太陽はもう沈んでいて、空は白からナイトブルーへ変わりつつあった。東の空では星が瞬いている。
宵の薄明りに照らされるようにして、エストレヤがその姿を煌めかせていた。まるで今の空の化身のようだ。荷物をネットで固定してからエストレヤにまたがり、スタンドを払ってからエンジンをかけた。
(いろんなところにも行ってみよう)
エストレヤのいつもの息吹が駐車場に、そして私の全身に響く。この均質で美しい鼓動は、粘り強いパワーと十分なスピードに姿形を変え、私を遥か遠くまで連れて行ってくれる。
(何か見つかるかな)
パノラマ台でまずひとつ。私はまだまだ何も知らない。
駐車場を出てしばらく走って信号で止まる。道の脇にお店のショーウィンドウがあった。私とエストレヤが反射して映し出されていた。そこではっとする。大事なことを忘れていた。
「もちろん好きだよ、エストレヤ」
ガソリンタンクに触れてそっと撫でる。
”そうだろうとも”
エストレヤがそうエンブレムを光らせた気がした。
fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます