第36話 エストレヤは寄り添う
いつもは恨めしい坂道の傾斜がありがたい。
店を出てからずっと、息が上がりそうなほどに自転車をこいでいた。サドルにお尻がついていたのは信号待ちの時だけだ。
例の坂までたどり着くと、普段よりブレーキは弱めで坂を下る。一気に下る。途中の信号もちょうど青だった。自転車は軽快に車輪を回していた。
平坦な、しかし案外段差も多い道を走り抜ける。そして自宅に着く直前に一か所だけ寄り道をした。
自宅に着く。鍵もかけずに自転車を路肩に止めてバイクに駆け寄る。そしてカバーを取っ払った。
「……親切なバイクだ」
やっぱりだった。もう少し早く思い当たればよかった。そうすればウンウン唸りながら頭をひねる必要も無かっただろうに。いや、それも楽しい時間ではあったけども。
エストレヤのロングシート――運転手のシートと後部座席のシートがひとつながりになっている――の後部座席側のすぐ下、リアタイヤのすぐ上の車体にそれはあった。
荷掛け用のフック。
軽トラの荷台の外側とかについている、ロープなどをひっかけることができる突起だ。
(これなら……)
先ほど寄り道したバイク用品店で買ってきたもの。
それは荷物にかぶせて使用する、荷作り用のネットだった。伸縮性があり、ネットの四隅には金属製のフックが付いている。
(……アップルパイの網目でこれを思い付いたのはどうかと思うけど)
この先、荷作りネットを見るたびにアップルパイを思い出してしまいそうだ。なんだか食い意地が張っているみたいで微妙な気分だった。
包装ビニールからネットを取り出す。後部座席に通学バッグを置いてその上からネットをかぶせた。そして片手でネットを押さえつつ、ネットのフックを車体のフックにひっかけていく。
「……おお」
完成だ。勘で買ってきたネットだったが、サイズはちょうど良かった。キツくもなくユルくもなく、ほどよいテンションがかかっている。試しにゆすってみたが、バッグが落ちそうな様子もない。
(これならお弁当も水平のまま運べる)
リュックでは難しそうだった課題もクリアできた。そしてネットはバイク用バッグに比べると格段に安価だったし、他の荷物を固定する時にも使用できる。なんなら、仮にシートバッグを導入したとしても、その上からかぶせてより多くの荷物を運ぶこともできるかもしれない。
「良い買い物をした。我ながら」
それもこれも、エストレヤについていた荷掛けフックのおかげだ。
通勤用としてエストレヤに乗っている人もいる聞く(そして私も明日からそうなる)。
通勤用として愛用される理由として一番多いのは「燃費が良いから」だろう。しかしきっと、日常使いに選ばれる理由は燃費が良いからという理由だけではない。このような小さな親切がエストレヤにはちりばめられていることも、大きな理由に違いなかった。
私がまだ気が付いていない、乗り手に寄り添う何かが、エストレヤにはまだあるのだろう。いつかその全てを見出したいものだった。
(明日からもよろしく)
そんな思いを込め、私はシートをポンと叩いた。
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