第21話 フィリー:見落とし
国道301をひた走る。
景色は次第にひらけていく。建物が減っていき、耕作地が目立つようになった。海は見えないが、海抜はかなり低くなっていると思われた。
道路はやがて新幹線の高架と並走を始める。そしてちょうどその頃、潮の香りが鼻先をかすめた。左側に目をやると、水面の煌めきが見てとれる。波の音が聞こえる橋を渡ると、急に背の高い建物が地面から生えはじめる。弁天島に入ったらしい。
弁天島は浜松市内におけるリゾート的なエリアとされている。東西方向に細長く延びる陸地に、北から南へ鉄道の高架・道路・ホテルやマンション・海浜公園といった順番で並んでいた。道沿いに植わる植物はどれも南国性のものだ。海を渡った北側には住宅地もあった。
(リゾートって感じだ)
海側に立ち並ぶ建物からは、さぞ綺麗に海が見えるのだろう。そして浜名湖や浜松市街、ともすれば富士山だって見えるのかもしれない。
(富士山の方は、こんど行こう)
修学旅行で行った京都の旅館の人に「富士山登りにいきましたよ~」といわれて微妙な気持ちになるくらい、富士山には縁がなかった。
左手に現れたコンビニを過ぎたところで左折する。その先にはゲートがあり、さらにその先には駐車場があった。
(バイクは無料らしいけど……)
料金表を確認する。たしかに無料だった。ゲートの隙間を通り抜けて駐車場に入場した。ちなみに自動車の料金はなぜか中途半端に410円だった。
適当な場所にバイクを止め、海辺にむかってスタスタ歩く。潮の香りをはらんだ風が、海から陸にむかって吹きつけていた。
(もしかして……サビる?)
のんきに海の方に進んでいた足を止め、ピカピカに磨きあげられたエストレヤを見つめる。他のエストレヤと違ってメッキされた部分は少ないものの、ボルトやミラーはそうもいかないだろう。
(帰ったら拭いとこ……)
何もしないよりましだろう。本当は洗車したいところだが、あいにく道具がなかった。これも新たな宿題だ。
(……海だ)
アスファルトの地面が砂に変わる。海開きがまだなせいか、砂浜には釣り人と犬の散歩客くらいしかいなかった。
(でかい……)
海の中に立つ鳥居のその向こう、海の上に、空を泳ぐ鯨を思わせる、白く巨大な構造物がある。浜名大橋だ。橋の上には国道1号線が通っている。さっき通りすぎた301号線と1号線の分岐を1号線の方へ進むと、あの橋の上を渡ることになる。
(横風やばそう)
砂を踏みしめながら進む。ザクザクとした砂地の感触は、遠い昔に忘れていたものだった。
空から照りつける陽射しは熱い。バイクに乗る時の装備として、長袖長ズボンは必須だ。走っている時は常に風に吹かれていてまだいいが、信号待ちやバイクを降りたりするともうダメだった。季節に不似合いの服装が、一気に体を蒸し上げた。せめてということで風防機能付きのパーカーを脱ぐ。
(海とか、プールとか、最後に行ったのいつだっけ)
波は少し先の足元でちゃぷちゃぷと遊んでいる。思いの外透き通った水は、なるほどリゾートと呼んでも良いような気がした。
(一緒に行く人とかいないし……まあ行きたい訳じゃないけど)
キラキラと光る海面や南国に生えてそうな植物、散歩中の犬やカモメとおぼしき鳥を眺めつつ、公園内をふらふら歩く。
何となくスマホを取り出して、マップアプリを開いてみる。地図の上で現在地を示すブルーのポインターがぐらぐら揺れていた。地図の表示範囲を5回くらい広げると、ようやく自宅がある辺りが表示された。
(遠……)
その距離約20キロ。通学で走る距離の約3倍だ。自転車で移動しようなんて欠片も思わない。
(帰れるのか、これ)
来られたのなら帰れるのだろう。しかしこんなに遠くへ一人で来たことなどない。不安がないといえば嘘になる。
「……ふふ」
だけど。
「来ちゃったなぁ」
わくわくしていないといえば、それもまた嘘なのだ。
スマホのマップアプリを閉じてホーム画面に戻る。その時に今まで使ったことがないカメラアプリが目についた。
「……」
存外にリゾートっぽいので、写真の一枚も撮ってみるのもいいかも知れない。
カメラを起動して、海の方を撮ったりホテルの方を撮ったり、日陰で寝ていた猫を撮したりした。
(まあ、見せる相手もいないけど……)
などと考えつつ、カメラを構えたまま振り返った。
「……?」
ピントが合う。いかにもアメリカンでシーサイドな感じの二階建ての建物が撮し出された。建物の外壁には【Hamburger】の文字と、ハンバーガーのイラストが描いてあった。
(店?)
スマホを下ろして歩み寄る。やはり店のようだった。看板を信じるなら、ハンバーガーの。
時間を確認する。ちょうど昼時だった。
(……せっかくだし)
こんな遠くまで来たのだから、写真を撮って終わりでは惜しい。靴についた砂を少し落としてから、階段を上って店の扉を開けた。カランカラーンとベルが鳴り響いた。
そして私は、店の前に止まっていたアメリカンバイクのことを見落としていた。
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