第20話 聞こえる


(おわ、り、と……)


 退勤処理をして服を着替える。オープン2日目の店は、今日も今日とて繁盛していた。忙しいが、店としては嬉しい悲鳴だ。休日のモーニングのシフトは、以降はしばらく入っていない。


「おつかれさまでした」


 同僚たちに会釈して事務所を出る。同僚といっても名前はよく覚えていなかった。店長にも一声かけたいところだが、あいにくと厨房で大忙しだ。このままおいとますることにする。いつものことだった。


 エストレヤに鍵を差し込み、ハンドルロックを解除する。シートにまたがってからスタンドを払い、バイクを駐車スペースから転がしていく。頭を駐車場の出口の方へ向けたところでエンジンをかけた。


(11時)


 メーターのデジタル時計が示す時刻はまだ午前中。昨日と同じく太陽は高い。


(……せっかくなんだし)


 どこかに走りに行く、ってやつを、やっても良いのではないだろうか。

 せっかくのエンジンがついた乗り物で、せっかくの高速だって走れる乗り物だ。普段から自転車でうろつくようなエリアを走るだけでは宝の持ち腐れだ。


(どこか)


 スマホでマップを開いてみる。現在地を中心に半径数百メートルのエリアが表示されるのを待ち、そのあと表示範囲を広げていく。


(佐鳴湖……)


 は、近すぎる。すぐそこだ。


(……浜名湖)


 浜名湖。


 浜松市の西にある大きな湖だ。湖といっても海とつながっていて、淡水と海水が混じり合う汽水湖きすいことなっている。そのせいかどうか知らないが、アサリやらウナギが名産として知られている。


(最後に行ったの、いつかな)


 小学生の頃に校外学習で湖畔にある研修施設にいったり、大昔に家族で弁天島の花火を見に行ったような、行かなかったような、そんなおぼろげな記憶しか思い出せない。


「……」


 いまは五月。季節は梅雨に向かっている。これからしばらく、晴れた休日は貴重になるだろう。そして、今日みたいに晴れた日は、湖も海もきっと綺麗に見えるに違いない。


(いいかも、浜名湖)


 浜名湖は浜松のライダーの定番ツーリングスポットらしい。はじめてのツーリングにはうってつけな気がした。


 地図で道順を確認する。近くの舘山寺街道から西へ向かうと、浜名湖までは行けるが海からは離れてしまうようだった。だから進路は南にとった。


 昨日未天みそらが帰っていった道を下り、やがてぶつかったY字路を鋭角に右折する。そのまま道なりに進むと、電車の線路をまたぐ陸橋にたどり着いた。陸橋を越えると十字路が待っていて、そこを右折して国道257号線に入った。国道257号線は、市街地と舞阪周辺のエリアを結ぶ主要道路で、交通量が多いせいか、けっこうチェーン店が充実しているようだった。


 257線はやがて高架にぶつかった。直進すればインターチェンジで国道1号線に合流でき、右折すれば国道301号線で舞阪・弁天・新居方面へ行くことができる。今回は右折だ。


(……いつか、この上を通ることもあるのかもしれない)


 通ったことはあるのだろう。きっと、親の運転する車か何かに乗って。


 高架の入り口に掲げられる、自動車専用道の標識。あそこから先は、人や自転車、原付では入っていくことができない、大多数の高校生にはあまり縁のない空間だ。


「……」


 シュアアアァァーーーと、細かい泡が弾けるようなロードノイズが響いている。下道の、くぐもったそれとは違う爽快な音だった。高架の上では、歩行者のいない滑らかな道を、車がハイスピードで走っているのだろう。


(……バイクだから聞こえるのかな)


 姿無きものの音を追う。


 高架を見上げながらするそれは、なんだかそらの音にでも耳を澄ましているみたいだった。




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