第13話 ガソリンメーター


 犬塚坂。


 浜松市街地から三方原みかたはら台地へかけ上がる坂道のひとつだった。そこそこ傾斜のきつい坂道が、およそ500メートルにもわたって続いていた。


 三方原台地に登るルートはいくつかあるが、そのいずれもがそこそこの急坂を成した。そのため、あの一帯にある学校へ通う高校生たちは、すべからくこの坂道に立ち向かうことになる。そしてその半数程度はバス通学を選択していた。


 自動車学校前の信号機で一旦止まる。この時点で坂道に突入していた。だが、まだ序の口だ。


(坂道発進だ)


 教習中に何度かエンストさせたことを思い出す。決して得意とは言えなかった。そんな状態で対峙する、因縁の相手。バイク店を出てきて初めての坂道。


(初期レベルで魔王に挑むやつだ……)


 しかしと思う。


 自分が持っているのはヒノキの棒や折れた直剣ではないのだ。古の息吹を受け継ぎ、時の流れに洗練され、名工が鍛え上げた逸品だ。立ち振舞い次第でどうとでもなる。


 信号が青になる。坂道発進の手順を手際よく踏むと、エストレヤはグイッと前に進み出る。


「……」


 ギアをあげる。ボン、ボン、ボッボッボボボボとエンジンが淀みなく回転数を上げていく。制限速度まで速度が上がっても、スロットルにはまだまだ余裕があった。


(全然平気だ……!)


 もう少しだけスロットルを開けてみる。何の苦もなくエストレヤはこれに応えた。立ちこぎしている自転車や、諦めて自転車を手で押して坂を登っている人々を何人か抜き去り、これなら空も飛べそうだと思い上がった頃、坂道を登りきった。


(……一瞬だった)


 信号待ちで背後を振り返ってみる。振り返る余裕があるのが驚きだった。いつもだったら息が上がってしまっていて、もうすぐ学校に着いて休めることしか頭になかった。


 カーブしていて来た道は見えない。市街地が一望できれば画になったのに、しかしそんなことも今まで知らなかった。これもまた知らない景色だった。


 背後の車に押されるように発進する。道沿いの高校の前を通りすぎ、見通しの良い直線を道なりに流す。今はもう六間道路を外れ、舘山寺街道に入っていた。その名の通り、浜名湖畔の舘山寺まで続いている道だった。


(そういえば)


 少し走っているが、納車されたばかりも同然のバイクには、真っ先にやるべきことがあった。


(ガソリンいれないと)


 生まれて初めて、ガソリンスタンドがどこにあるか思い浮かべる。今まであまり意識したことがなかったせいか、すぐには思い当たらなかった。


(入れてくれてあったり、するのかな)


 整備してくれたついでに、お店でサービスで給油してくれてあるかもしれない。スタンドを探す前に残油量を確認すべく、メーター回りに目を落とす。


 そこで気がついた。


(えっ)


 ガソリンメーターが、無かった。




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