第20話 その三
ユウタはなんとか一階まで降りることができた。あとは外に出るだけだが……可笑しい。こんなに屋敷は広かったか?
一階に降りてから何度か角を曲がったのだが、いつまで経っても出口が見えない。確か、行きはこんなに階段から出口までは離れていなかった……どこかで間違えたか? いや、分かれ道らしいところはなかった筈だ。
その違和感に対する答を出してくれたのは、背中にしっかりと抱きついている、ドライアードの幼生、シルだっだ。
「ユウタ、なぜ同じところを回っている?」
「……えっ?」
「さっきから、階段の周りをぐるぐる回っている」
もちろんユウタには階段なんて見えない。長い廊下だけだ。
二人の見ているものが違う……そんなことがあるのか?
幻術?
ユグドラシルにも、精神系の魔法があったが、それはステータスに異常が発生するだけで、見ているものが現実と違っているような魔法はなかった。そういったものは小説の類いに表現されるだけだ。
しかし、ここはユグドラシルではない。幻術の可能性は十分にある。
ユウタは頭の中で、レグルに教えてもらった情報を整理した。
確か、銀糸鳥のメンバーに精神系の魔法を使える者がいた。その者が幻影魔法を使っているとしたら……
ついにアダマンタイト級冒険者が出てきたか……
他のメンバーは? 当然いるだろう。
(早くラミィを助けにいかなければならないのに……)
焦れば術者の思うつぼだが、早く術から脱出しないと、相手に次の策までの時間を与えてしまう。
何か方法はないか?
そういえば、なぜシルは術が掛かっていないのか? もしかしたら、別々のものが見える幻術を掛けられているかもしれないが、ここはシルに頼って見る。
「シル、ここから出口が見えるか?」
「うん、あっち!」
シルが小さい指で差し示す。ユウタには壁にしか見えないが、シルの目を信じるしかない。
「よし、行くぞ!」
「うん」
壁にしか見えない方向に駆け出そうとした。
刹那。
今まで誰もいなかった空間に突如、男が現れた。
「な!」
これも幻影なのか?
「シル、前に誰かいるか?」
「うん……さっきまでいなかった」
……どうやら、幻影ではなさそうだ。妙な光沢のあるチェインシャツを着ている。
「まさか、こんなに早くウンケイの術が見破られるとは思いませんでしたでしたよ」
そういうと、霧が晴れるかのように、見えているものがガラリと変わる。
シルが言っていたように、ここは一階の階段踊り場だ。
「拙僧もびっくり」
後ろにも人の声がして、ユウタはギョッとする。
しかも、着ているのは、いわゆる袈裟だ。
(本当に坊さんだ……)
レグルから話を聞いた時には、半信半疑だったが、こうやって実物を見ると、本当に日本で見たことがある僧侶そのものだ。心なしか、顔も東洋系に見える。
ユウタは少し親近感を覚えたが、とてもそれで仲良くなれそうな状況ではない。
「本当はこの無限回廊で、疲弊したところを楽に捕まえるつもりでしたが、仕方ないですね」
口調は残念そうだが、表情はいたって余裕だ。
おそらく、チェインシャツも含めて装着しているものはどれもマジックアイテム、それもかなりレアなものだろう……
「銀糸鳥……フレイヴァルツ……」
アダマンタイト級冒険者とはこんなに迫力が違うものか? そう感じれるほど今までの冒険者とは格が違う。
「これはこれは、私の名を存じ上げていただけているとは恐悦至極にございます。いかにも私は銀糸鳥のフレイヴァルツ。しがない
紳士的にお辞儀をしながら、丁寧な言葉であいさつする。
その柔らかな振る舞いは、確かに吟遊詩人のそれだが、全く隙がない。おそらく、何度も修羅場をくぐり抜けた、百戦錬磨の強者だ。そうユウタは感じ取った。
「さて、これもなにかのご縁です、ここは私が一つ物語をお聞かせしましょう――その物語の主人公は――貴方です!」
そう言い放つと、短い歌を歌う。声というより、楽器のような音色だが、心地よい歌だ。
「えっ?」
ユウタは驚いた。今まで目の前にいたはずのフレイヴァルツが居なくなり、その場に居るはずのない人物が立っていた……
「……父さん」
「お前はまだそんな下らないことをやっていたのか……」
昔みたいに、まるで汚物でも見るかのような目付きで、ユウタを見る。
「もう、私の前に現れるなと言っただろ! さっさとどっかに行け! この出来損ない!」
言葉とは裏腹に、父親はユウタに近付いて来る。体が硬直して動けない。
「私の顔に泥を塗りやがって」
耳元で呟かれた直後、ユウタは腹部に強い衝撃を感じた。父親の姿をした者が拳を打ち込んだのだ。
「ぐはっ!」
内容物が急激に口元に向かって来るのを感じて、ユウタはそれを吐き出す。
真っ赤な血だーー
ユウタは目の前に居る人物が父親でないことはわかっていた。フレイヴァルツが作り出した幻影だろう……
しかし、子供の頃から叩き込まれた記憶には勝てない。
父親の前では一切反抗できない……父親の期待に応えようとユウタなりに頑張ってきたのだが、結局、期待には応えらず、自分は希望の大学にも会社にも入れなかった。
その罪悪感で大学卒業以来、父親には会っていない。どうせ会ってもお互い嫌な思いをするだけだ。
その父親が目の前にいる。昔みたいに愚痴を言いながら……
「ユウタ‼」
シルが叫ぶ。その声にユウタは我に帰った。再び込み上げてくるものを感じて、それを押さえ込もうとするのだが、直ぐに口の中いっぱいになり、それを吐き出す。
やはり、鮮血だ。
(これは内臓が破裂しているかもしれないな……)
腹部の痛みは尋常ではない。今まで生きてきて一番の痛みだ。
それでも倒れずにいられるのは、シルを無事に助け出すという使命感があるからだろう……昔の自分では考えられなかった。
(僕も変わったな……)
この世界に来て、仲間ができて、いろんな災難を乗り越えてきたこそ強くなった。
しかし、乗り越えられないものがある。それが目の前の父親だ。
「なんだその目は⁉ 父親に歯向かうのか⁉」
今度は頬を力一杯殴られる。ユウタは歯を食い縛り、その拳を受け止めるが、その瞬間にパッと目の前が明るくなった感じがした。そのあと、頬が熱くなる。口の中に違和感を感じたので、舌でその部分をなめると、ぱっくりと割れているのがわかった。
(ダメだ……幻影だとわかっても、体がすくんで反撃できない)
ユウタは、朦朧としながらも、なんとか立っていた。とにかく、ここから逃げなければ……
しかし、足が
(もうダメなのか? あともう少しで出口だと言うのに、この子を……シルを助けることはできないのか?)
「ユウタ‼ ユウタ‼ ユウタ‼」
シルが強くユウタに抱き付く。
「シル、ごめん……君を助け出すことはできない……みたい……」
「私がユウタを守る! だから大丈夫!」
シルが泣きながら叫ぶ。ユウタは背中が熱くなるのを感じた。
それだけではなかった。
それまの激しい痛みが嘘のように消えた。
「えっ?」
「問題ない……私が守る……」
目の前の父親の姿がだんだん崩れ、フレイヴァルツの姿に変わった。
「術が……解けた?」
ユウタの瞳に精気が戻るのを見て、フレイヴァルツは驚きの表情をする。
「これは……ドライアードの力か?」
さっきまでの余裕な表情は薄れ、真剣な顔になる。
「そうなのか? シル」
「問題ない……ユウタは……私が守る……」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、シルがそう呟く。
「そうか……ありがとうシル!」
まだ本調子とは行かないが痛みはほとんど感じない。これならまだやれる。
ユウタは腰のベルトから剣を抜く。
青い炎のような輝きをした短剣を構え、フレイヴァルツと対峙する。
「なんて美しい剣でしょう! さぞかし名工が鍛え上げ、有名なマジックキャスターが魔力を刻んだモノなのでしょう!」
フレイヴァルツは戦いの最中だと言うのに、いかにも嬉しそうだ。まるで、好きな芸術品を眺めているかのように。
ウンケイもその剣の威力を感じ取ったのか、持っていた錫杖を構える。彼は後衛なので錫杖で応戦することは滅多にないのだが、ほとんど無意識に構えてしまっていた。
「ウンケイ、よしなさい! 貴方の錫杖では、真っ二つにされてしまうでしょう」
「むむっ!」
フレイヴァルツの忠告に、ウンケイは後退りする。
「さて、その剣でどんな戦い方をするのか楽しみです」
魔剣を前にしても、フレイヴァルツは余裕の表情を崩さない。それどころかより心が踊っているように見えて、ユウタは
ユウタはアサシンの剣技でフレイヴァルツの首元を狙う。
アサシンらしい、予備動作の全くない動きに、「大盗賊の魔剣」の間合い。通常なら避けることが不可能なレベルだ。
ユウタは挑発に乗せられ、技を繰り出してしまったが、別に殺すつもりはない。内心「避けてくれ」と考えていた。
しかし、そんなユウタの気持ちも杞憂に終わる。
フレイヴァルツは魔剣の間合いをいとも簡単に避けた。それがとても優雅な動きだったので、ゆっくりに感じたが、実際はあり得ないほどの速さだ。
「なるほど。アサシンの技ですね。実に見事です。しかし、形に嵌まりすぎて予測が簡単です」
悔しいが、フレイヴァルツの言っていることはわかる。所詮、ユウタの技はユグドラシルで習得したスキル。プログラミングされた形を繰り出しているに過ぎない。
(百戦錬磨のアダマンタイト級冒険者には、予測範囲ということか……)
ならば、こちらとしてもゲーマーとして戦うだけだ――
ユウタは「回り込み」のスキルを使って、フレイヴァルツの背中へ回り込む。このスキルはモンスターなどNPCには相手の急所に潜り込むのに有効だが、プレイヤーには、最初のエフェクトで気付かれてしまい、着地点を狙われる。案の定、それを予測したフレイヴァルツは逆回りに反転しながら蹴りを入れようとした。
(よし! 掛かった!)
ユウタは背中へ回り込む前にスキルをキャンセルし、元の位置に戻ると、魔剣を真っ直ぐ突き刺す。通常の短剣なら届く間合いではないが、魔剣ならではの攻撃だ。
予想外の動きにフレイヴァルツはバランスを崩して、避けることができない。
「ちっ!」
初めて苦しい表情をしたフレイヴァルツだったが、左腕だけで魔剣の青い光を防いだ。正しくは彼の着ているチェインシャツが防いだ。
「魔力系の攻撃もキャンセルされるのか⁉」
なんというマジックアイテムだ! 見掛け的に物理攻撃には強そうだったが、魔力にも耐性があるのは厄介だ。そうなると、マジックアイテム以外の場所を攻撃するか、マジックアイテムが防ぎきれないだけのダメージを与えなくてはならない。ユウタにそれだけの攻撃力はないので、前者しか攻撃する手段はないのだが、全身がチェーンシャツ覆われていて、攻撃できる範囲が非常に少ない……
「面白い技を使いますね。考えを改めてさせていただきます」
また不敵な笑みを浮かべるフレイヴァルツだが、わずかに表情が硬い。
「本気を出させていただきます」
鋭い突きがユウタの顔に向かって来る。攻撃範囲が狭いうえに、攻めに来られては非常に辛い。
ただし、フレイヴァルツの攻撃は確かに速いのだが、ユウタにはしっかり見えている。
(当たらなければどうってことない……と言うほど余裕はないが……)
突きを避けたあと、連続で回し蹴りが飛んでくるので身を屈める。
しかし、それが大変な判断ミスだと気付く。
シルを背負っていたことを忘れていたのだ。丁度、屈んだことて、蹴りがシルに向かってくる。
(あっ!)
慌てて上体を起こそうとするが間に合わない。
それはフレイヴァルツも同じで、シルを蹴らないように、足を止めようとするが、強化魔法で極限までパワーが足先に集中しており、その勢いを止めることができない。
その時。
フレイヴァルツの蹴りが突然軌道を変え、正に間一髪、シルの頭の上を通過した。
「フィン⁉」
二人の間に割り込んだフィンが、フレイヴァルツの足を蹴り上げたのだ。
「なんとか間に合いましたね」
フィンが蹴り上げた体勢のまま、かわいい笑みを浮かべる。
ユウタは安堵の表情で、フィンに感謝する。
「助かった――ありがとう! でも、なぜ、ここに?」
「えっ? えーと。いろいろ訳がありまして……後でお話します」
確かに話を聞いている状況ではない。
「そうだ! ラミィが捕まってる! 助けに行かないと!」
「ラミィは、ある方が助けてくれました」
「……ある方って?」
「えーと……ある方です」
釈然しないが、フィンがそう言っているなら、ラミィの無事は確かなのだろう……
「ユウタは早く、そのドライアードを外に連れ出してください。この人たちは私が足止めします」
「えっ? どうして知っているの?」
「いいから早く‼」
「あ、はい!」
ユウタは慌てて、走り出す。
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