旅人 ライラック

 大きなバッグを一つ背負い、歩いている一人の女性。一部の都市で流行っているモダンガールのように、髪は肩に届かないくらい短く切りそろえていた。服装も旅をしてる男性のような恰好だった。彼女の名はライラックといった。もっとも、旅をして動き回るには、そういった格好の方がなにかと便利なのであった。じっさい、彼女も旅をしている一人であった。

 人探しの旅をしていた。ただ、その人はどこへ行ったのか、どこが目的地なのかも分からず、なかば当てのない旅だった。


 ライラックの出身は大陸北部にある都市の一つだった。多くの都市と同様、農業と手工業が中心という、よくある都市だった。ただ、一つ特徴を上げるとすれば、大陸において数少ない電気のある都市の一つであるということだった。とはいえ、この時代に作ったものではなく、神々の時代に使われていたという装置をなんとか復元して使っていただけであった。もっとも、電気や磁気というものの存在は、いくつかの都市では学者が発見していたし、本に書かれた知識というかたちで出回ってもいた。しかし、理論をを使って実用的な発電機のモーターを作るというところまで、技術はまだ追いついていなかった。

 復元した装置自体も、供給も不安定で微々たるものだった。が、いずれにせよ夜に小さな明かりつける程度の需要しかないので問題はほとんどどなかった。都市のほど近くには峻険な山々があり、そこから流れる河川の水力を使っていた。北部の山々からは雪原の氷解した水が一年を通して流れ降りてきていた。


 彼女が旅を始めたのは、失踪した兄プラタナスを探すためであった。兄がいなくなるきっかけに、どことなく思い当たることがあった。都市を訪れた旅人から貰った石である。いわゆる異能をもたらす石と言われるものだった。当時は兄が貰ったものだが、今は彼女が手にしていた。

 ライラックが旅に出ようと決心したのは、兄が石とともに残したメモ書きの日記を偶然にも見つけたことだった。


”この石を手にしたときから不思議なものが見えるようになった。自分の記憶や空想とは全く別物の景色が、頭の中に浮かぶようになった。特に寝ているときなんかは鮮明だ。もしかしたら、ただの夢かもしれないが”


 日記にはそのように記されていた。ライラックはそのとき初めて、それが石が異能者の石だったことに気が付いた。それから彼女はさらに日記を読み進めた。


“他の都市みたいなところも見える。”

……

“確信した。頭の中に見える景色は未来だ。”

……

“戦争。しかも大陸全土の戦争の景色が見えた。”

……

“無謀かもわからない。できるかどうかも分からないけど、止めるために何か行動するべきに思う。”

……

“旅に出ることにした。もしかしたら無駄かもしれないけど、できる限りのことをしてみようと思う。”

……

“石は置いていくことにした。もう僕には必要ない。”


 それで日記は終わっていた。石は机の引き出しの奥に、大事そうに革袋に入れておいてあった。

 ライラックが石を手にしたとき、彼女の得た能力は未来ではなく、遠くにある現在の景色を見る能力だった。そして聴力が代償となった。

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