青年 アルメリア
都市は強襲を受けようとしていた。隣の都市との外交問題は平和的解決に至らなかったようだ。宣戦布告はあったものの、都市そのものが攻撃されるという事態は、非常に稀なことであった。敵は都市を陥落させると、高らかに宣言していた。ともかく宮殿の中は大騒ぎだった。敵軍の侵攻を食い止められなければ、宮殿の人々も必要があったからだ。宮殿の親衛隊までもが、どこか動揺している様子だった。むろん、厳しい訓練を受けて、軍人としての覚悟はあったはずだ。が、強襲されることまでは想定していなかったようだ。使用人たちのなかには荷物をまとめて、いつでも逃げれるよう準備をしている者もいた。市民達はすでに避難がはじまっていた。
宮殿内の混沌と混乱のはじまった様子を間近で、醒めた眼差しで見ている青年がいた。彼の名はアルメリアといった。たいてい皆ははアルの愛称で呼んでいた。国王の子息の一人だった。彼の兄アネモネは王子として役目を務めていたが、ある日を境に精神を病み、ついには衰弱して亡くなってしまった。そのため、周囲の人々は弟のアルメリアを、兄の代わりとしようと考えていた。そのことに気づいたときから、彼はこの都市を去る決意をしていた。あとは、どのタイミングで逃げ出すかということだけだった。
アルはこの戦争寸前の時がチャンスだと感じていた。どうせこの混乱の中、自分の姿が消えたところで気にかける人はいないだろう。そう考えていた。もしこの動乱が落ち着いて、自分がいないということに父やその家臣が気づいたら、どんな反応をするんだろうか?彼はその場面を想像して、そっと苦笑した。ともあれ、彼は自分の部屋に戻った。隠していたカバンと服を取り出すとそれらを確認した。ずいぶん前から、小さなカバンに荷物はまとめていた。そして机の引出しに大事に仕舞っていた‘石’も手にすると部屋を出た。
外は夕闇が迫っていた。
宮殿の裏庭にまできたところで、彼は持っていた市民風の服に着替えた。ずいぶん前から使っている服であった。時々の憂さ晴らしで宮殿を抜け出し、街へ遊びに出るためのものだった。もっとも、宮殿の生活は何不自由もないものだったが、彼にしてみれば退屈そのものだった。刺激が、スリルが欲しかったのだ。はじめは、ぶらりと街中を散歩する程度だった。しかし、しばらくしないうちに酒場に足を運ぶようになったり、賭け事に手を出すようになった。もっとも、これは宮殿での教育の賜物というべきか、悪酔いするほど酒を飲んだり、賭けで負けが込むようになることは少なかった。
一度、行きつけの酒場に顔を出してみるかどうかと悩んだ。それでも顔なじみは何人かいた。それに、幾らか勝った賭け金の回収ができていなかったことも思い出した。しかし、アルはため息をついた。
「まあ、たいして構うことでもない」
それにいくら何でも、酒場仲間だって逃げ出しているに違いない。彼はそう思った。彼は宮殿内で着ていた服を草むらに隠すと、今一度荷物の中身を確かめた。それから手にしていた石を眺めた。それはいわゆる、異能の石だった。
石は兄が持っていたものだった。ただ、いつ手にしたものなのかまでは知らなかった。少なくとも精神を病んだ理由は石にあるのは間違いなかっただろう。彼は死ぬまで手放そうとはしなかった。だからアルは、最初は石を手にすることにためらいを感じていた。だが、じっさいはなんてことなかった。
彼は石を手にしていると、人の考えていることがそれなりに読めるようになった。そして自分がどこか、これまで以上に無感情、あるいは無機質な感じになっていくような気もしていた。だが、あまり深くは考えなかった。いずれにしても、あまり感情を表に出すタイプではなかったし、周囲を冷静に、ときには冷静過ぎるほどの、醒めた眼差しで見るのは前々からだった。そういった性格なのであった。それから宮殿の生活には、正直息が詰まりそうな思いだった。オレは出ていく、もう戻ることはないだろう。彼はそう思いながら石を服のポケットに入れた。
足早に宮殿の外へ出ると、避難する市民に混ざって都市を後にした。
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