第201話 間章・とある茶会の片隅で

※一周年&二百話到達記念の幕間話。




 綿雲を集めて伸ばしたような日除け幌の下、着飾った老若男女が思い思いに歓談を愉しんでいる。

 午前中はまだ冷えるだろうと着込んできたのに、高い空は季節を忘れた顔で快晴を見せていた。失敗したなと思うけれど、人目のあるところで変に着崩すわけにもいかない。

 幌のつくる日陰へ行けば風通しがよく、冷たい飲み物も用意されているが、その辺りは厚化粧の貴婦人たちが近寄り難い空気を放ちながら笑い声を上げる鉄火場だ。とてもあの中へ混ざりに行ける度胸はなかった。

 飲み物なら他のテーブルにも用意されているし、とにかくイバニェス邸の前庭は広い。姿を隠す場所には事欠かず、程よい木陰を作ってくれる植木も無数にある。

 設えられた場からそう離れず、様子を見ながらいつでも向かえる辺りに見当をつけ、せり出した木の根に腰を下ろしてこっそり襟元を緩めた。


「はぁ……、もう帰りたい……」


 一応は自分も賓客のひとりではあるが、あまり積極的に社交の場へ出ていないせいで、こういった場所に顔を出しても知り合いが少ない。こんなことなら父の会合について行くんだったと、今さらな後悔を抱いた。


 薄青の空に、白い幌、緑の植木と煉瓦の邸宅。色のコントラストが鮮やかで、目に映るものを四角く囲うだけでも立派な絵画になりそうだ。

 日除けの幌は荷馬車などに使われているものと同じ素材だと思うのだが、端のほうがレース編みになっているらしく、芝生に落ちる影がまるで木漏れ日のようだった。日光を通してしまっているけれど、洒落ているし目にも楽しい。そういった小粋な工夫がいかにもイバニェス家らしいと思う。

 それとも、やはり年頃の娘がいる家はこういう細かな気配りが行き届くものなのだろうか。男所帯の自分の屋敷など、調度品が多いばかりでどこもかしこも武骨なものだ。


 ……それにしても、今日はやけに暑い、喉が渇く。せっかく一息ついたけど、やっぱり飲み物を取りに行こう。

 そう思った所で、突如頭上から黒い影が差し、ぎょっとして振り返る。


「こんなところに隠れていたら、参加したうちに入らないだろう?」


 のぞき込むようにしてかけられる声。見上げたその顔が知己のものだとわかり、大きく開けていた口から安堵の息を吐く。


「お、驚かさないでくれよ……危うく変な声が出るとこだった」


「これだけ離れていれば、多少叫んだところで向こうまでは聞こえないさ。みんな下らない噂話に夢中だ」


 そう言って差し出してくるのは、透明度の高いグラスに入った果実水だった。ほのかな甘い香りが喉の渇きを思い出させる。


「助かるよ、ちょうど冷たいものが欲しかったんだ」


 受け取ったグラスは表面に結露が浮くほどよく冷えていた。一息に半分ほど飲んで、やっとひと心地つけたと木の幹に寄りかかる。

 そんな自分はよほど間抜け面を晒していたのだろう、立ったままでいる彼は目を細め、喉の奥でくつくつと小さく笑った。そうして手にしたグラスに口をつけ、ぐっと煽る。


 木に寄りかかったまま見上げる逆光の顔は、どんな角度も無駄がなく彫像じみている。首元では見事な彫刻のタイリングが陽光を反射してきらりと光った。

 自分より年下なのに背丈はとうに追い抜かれているし、長く骨張った手指などもうほとんど大人のそれだ。文句のつけようのない容貌、年頃のご令嬢たちがそろって熱い視線を送るのも納得できる。

 艶やかな黒髪に、知性を湛える深い藍色の瞳。若木のしなやかさを残しながら精悍さを備えたその面持ちは、性別も年齢も関係なく人の目を惹きつけてやまない。

 そのくせ本人はあまり他者との関わりを好むたちではないのだが、ひと度こうして社交の場に出れば、様々な人間が彼の周囲に群がる。

 能力、度量、容姿、家柄。持ち得る全てが人の上に立つために生まれてきたような男だという、父の評にはうなずくしかない。



「……飲み物は助かったけど、君の方こそこんな所に来ていいのか? 今日の主催って訳じゃなくても、あっちでお客人方の相手をしてないとまずいだろ?」


 その重責かかる立場を思い、本心からそう声をかけたのだが、当人はひょいと肩をすくめると構わず同じ木に背を預けた。


「さっきまであの中で接待役を務めていたんだ、少しくらい労わってくれ。バレンティン夫人が先に帰ったから、その見送りついでに抜け出してきたんだよ」


「ああ、それは、ご苦労さま。でもこれくらいは捌かないと十五歳記のパーティなんてもっと大変だよ?」


「わかってるけど、考えたくもないな。……はぁ、疲れた。ご婦人方のあしらいは、俺よりもあいつのほうが得意なんだけどなぁ……」


「ああ、今は出かけてるんだっけ。如才がないと言うか何て言うか、あの歳で立派なものだね」


 いつもこういう場では率先して働いている少年の姿が見えないと思っていたが、そういえば数日前から屋敷を離れているのだった。何か事情があるらしく、深い理由までは聞いていないけれど。

 年齢に不釣り合いなほど処世術に長けた少年は、自分が相手からどう見えているのか、どんな言動をとるべきか、振る舞いの全てを常に意識しているように見えた。まだ小さいうちから毎日あんな風に過ごして疲れないのかなと、少し心配もしている。


「一体どこでああいうことを覚えてくるんだか。あいつにとっては、それも牙のひとつに過ぎないんだろうけど」


「牙って……」


 妙に物騒な言い方を持ち出したことに驚き、顔を振り仰ぐが、それには応えることなく目を眇めて見返すだけだった。


「……物覚えが良いのは知ってるけど、もしあの子が何かまずいことをしているようなら、きちんとダメだよって教えてあげないと。君のほうがお兄さんなんだからさ、ちゃんと助けてあげなよ?」


「またそういう言い方して、俺を子ども扱いするな」


 むすりと不機嫌顔を向けてくる相手に、「ごめんごめん」と手を振って謝った。もう幾度目になるやり取りだけど、つい昔の癖で年長者ぶってしまう。

 年上だからと兄貴分の顔をしていられたのは、ほんの幼い頃の数年だけだ。最近では相手のほうがしっかりしすぎて、ぼんやりした気質の自分は立つ瀬がない。実年齢より大人びている彼と並ぶと、もしかしたら自分のほうが年少に見えるかもしれない。


「あはは、なかなか癖が抜けなくて。ご機嫌取りってわけでもないんだけれど、また新しい本を持って来たから後で渡しに行くよ」


「それは有り難いが……悪い、前回の本をまだ全部は読み終えていないんだ」


「別に返す必要はないって言ってるのに」


「そういうわけにいくか。手記や物語のほうはともかく、あの辞典なんて中央から取り寄せた稀覯本だろ。いくら何でも高価すぎる。関係ない奴に貢物とか賄賂だなんて因縁つけられるのも腹が立つし、読み終えたらちゃんと返すよ」


「相変わらず律義だなぁ。じゃあ古語辞典だけ返してくれればいいよ」


 本当は自身がそう言われることよりも、こちらが無用に謗られるのを心配してくれているのだろう。

 普段はあまり人を寄せつけようとしない彼の、殻の内側にある、そういった優しさや義理堅い部分は素直に好ましかった。


「君にリクエストもらうのは、いつも冒険記とか実用書ばかりだろ。たまには恋愛物も読まないか? 最近ちょっと流行ってるやつで、面白いシリーズがあるんだ」


「そういうのはいいんだ。そっち系の本は、何かと、……色々、面倒なことになる。いいか、絶対に持ってくるなよ?」


 眉間にしわを溜めた険しい顔で、何度も念を押してくる。恋愛物語を一体何だと思っているんだろう、もしかしたら変な誤解をしているんじゃないだろうか。

 あんまり過激なやつには手を出さないし、ちょっと色気の過多な本もたまにあるけれど、それはあくまで話の流れの一部分。別にこの歳ならそういうものを読んでも特に問題ないはずだ。

 ……そんな思いが顔に出ていたらしく、いっそう眉間のしわが増える。

 何だかよくわからないけれど、嫌なら無理に勧めるつもりはないため大人しく引き下がっておく。


「別にやましい本でもないのになぁ……。あ、そういえば先日言ってた、エルシオンの冒険記、あれ手に入りそうだから、読んでみて面白かったらまたこっちに持ってくるよ」


「本当か? とっくに絶版本なんだろう、よく残ってたな?」


「うちと懇意にしてるサルメンハーラの交易商が譲ってくれるって言うからさ。でも、聞いた話によると内容は恋愛物寄りらしいから、あんまり君の好みには合わないかな?」


「え、何だそれ、冒険記じゃないのか?」


 すっかり大人びた顔が、驚くと途端に幼くなる。内容が意外だったのは自分も同じだから、つい笑ってしまいそうになるのを押し殺して、殊勝にうなずいて見せた。


「うん。もちろん『魔王』を倒すまでの冒険も描かれてはいるんだけど、一緒に旅立った女官とのなれそめとか、森で助けた村娘との逢瀬だとか、そういう……モテ男の道中記みたいな感じだって言ってた。実際、『勇者』エルシオンはずいぶんと色男だったらしいしね」


「……なんか、思っていたのとだいぶ違うような……。まぁいい、面白かったらまた貸してくれ」


 頭痛をこらえるように額に手をあてて唸っている。気持ちはわかる。どちらかというと硬派な冒険譚を好んでいるから、『勇者』エルシオンの伝記にもそういうのを期待していたのだろう。

 もっとたくさん冒険記が出版されていてもおかしくないのに、なぜか最初に出された本を差し止め、回収してからは、彼の冒険を描いた本は全く発行されていないらしい。寝物語や歌劇でも耳にはしていたけれど、エルシオンの活躍を描いた実録を読むのは自分もこれが初めてだ。


 憧れは、無論ある。男なら誰だってそうだ。

 『魔王』を打ち倒した『勇者』、……これから伝説の一部になる男。


「死んだという話は聞かないから、きっとまだどこかで生きてるんだろうけど。一番新しい伝説に語られる当人が、まだ自分と同じ時代に生きているなんて、何だか不思議な感じがするね」


「あんまり実感はないけどな。この前の『魔王』はほとんど聖王国に被害を出さなかったと聞くし、『勇者』の姿を見たこともないし。俺はどちらも聖堂や王室のでっちあげで、実は架空の人物って線も疑ってる」


「えぇー、さすがにそれは、ないんじゃないかなぁ……。君だって冒険記を読むの好きだろ?」


「創作との区別なんてつかないよ。本人が書いたわけでもないんだから」


 ひそめた声音でそう言うなり、木に寄り掛かっていた体を起こす。そうして一瞬で面倒そうな顔から対外用のそれに切り替え、反対側を振り向く。

 その様子を見て遅れて気がついた、複数の草を踏みしめる足音と、衣擦れの音。草木の匂いに混じる、香水の薫香。

 慌てて緩めていた襟元を直す間に、木の反対側へ回った彼の言葉が聞こえてくる。


「おっと、見つかってしまいましたか」


「うふふ、いけないんですの。イバニェス家の若獅子がこんな所に隠れて、何か悪いご相談かしら?」


「華やかな茶会にそぐわぬ、つまらない施策の話だよ。来春施工する領境の補強工事について、彼に打合せの補足をしていたんだ。交易路の安全確保は双方にとっての利益にも繋がるからね」


「まぁ、ご立派ですわ。お茶会でもそんな難しいお話をしていらっしゃるのね」


「そうよ、ゆくゆくはこの領を背負って立つお方ですもの。でも今日くらい羽目を外してもよろしいのではなくて? おふたりとも、あちらで一緒にお茶をいただきましょう?」


 何とか身繕いを整えて立ち上がると、三人のご令嬢が彼の袖を引いて幌の下へ誘っているところだった。

 自分に面識はないが、いずれも名のある商家の娘だ。彼女らのご機嫌を損ねるだけで交易にどんな影響が出るかもわからない。

 だが、この香水の香りを嗅いでいるだけで頭痛がする。目眩もしてきた。無理だ。とても話し相手なんて務まらない。


 イバニェス家嫡男に甘い秋波を送るご令嬢、きっとこちらの存在になど目も向けていないだろう。

 今のうちに、……そんな不埒な考えが頭に浮かぶと同時に、右腕がきつく掴まれた。


「話もひと段落したところだし、俺たちもご相伴に与ろうかな。今日並んでいる茶菓子はいずれもうちの厨房長の自慢の品なんだ、シロップ漬けの花弁を使ったものはもう口にされただろうか?」


「まぁ、素敵! わたくしまだお菓子には手をつけておりませんの、どの卓か教えてくださる?」


「わ、わたくしも! ご一緒に参りましょう、久しぶりにお会いできたんですもの、お話したいことがたくさんございますわ!」


 木のそばに留まろうと足を踏ん張ってみても、腕を掴む力がぎりぎりと強められ、抵抗の甲斐なく引きずり出される。

 外向きの社交的な笑顔を浮かべたまま、自分を睨みつける目が「ひとりで逃げようったってそうはいかねぇぞ」と脅してくるので、逃亡は諦めるしかなかった。

 日除けの白い幌が張られた箇所には、未だに人が多い。毎度、突き合わせる顔ぶれは変わらないはずなのに、よくそんなに長時間話すことがあるなと感心してしまう。

 観念して頭の中で話題作りのネタになりそうなものをいくつか並べていると、人混みの一角でわっと声が上がった。


「爺さんたちが出てきたみたいだな」


「え? ああ、もう話し合いは終わったのかな」


 恰幅の良い老人たちが、本邸に続くポーチからゆったり下りてくるのがここからでもよく見えた。

 茶会の客を放置して、主催の当人らは何か急ぎの会合があるとかでずっと中に籠りっぱなしだったのだ。

 接待側の主が出てきたなら、自分たちがあの幌の下に戻っても先ほどより疲れることはないだろう。

 目敏くこちらに気づいたのか、ポーチの石段から父が手を振っている。そのせいで屋敷側に注目していた賓客が一斉に自分たちの方を振り向いた。


「これでもう逃げようがないな?」


「わかってるよ……。ちゃんと挨拶や顔繋ぎもする、けど、頼むから僕のそばを離れないでくれ」


「まぁ、確かにふたりでいたほうが、いくらか圧もばらけて楽だ。こういう時にカミロがいれば風除けになるのになぁ、使えない奴め」


「まーたそんなことを。ちゃんと助けてあげなよって言ったばかりだろ」


 しれっとした顔で毒づく彼の肘をつつき、年長者の顔で注意する。命じられた仕事で外出している相手に対して、あんまりな言い草だ。

 勤勉に実直に、何を任されてもよく働く少年のことは会うたび気にかけているけれど、本当に大丈夫なのだろうか。あまり小さいうちから無理をさせないように、後でキンケードにもよく言っておこう。


 ふたりして足を止めていたせいで、手を振る父が「クラウデオ、何をしているんだー」と声まで上げている。

 体格に見合った張りのある低音は、広大な前庭中に響き渡る。

 恥ずかしいからやめてほしい。顔面が熱くなって、せっかく木陰で涼んでいたのにまた汗が噴き出てきた。……早くサーレンバーに帰りたい。


「ほら、麗しきご令嬢方がみんなお前を見ているぞ」


「こんな注目のされ方をしたって何も嬉しくないよ。ああ、無理。ほんと無理。僕はもう、今日は何もしゃべらないからな、ご婦人の相手は全部任せたよファラムンド」


 来客たちには見えないよう、後ろからその腰をぱしんと叩く。

 叩いたこっちの手は痛かったのに、相手には何のダメージも入らなかったらしく、ファラムンドは藍の目を細めておかしそうにからからと笑った。



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