第187話 サーレンバー領主邸


 サーレンバー領の主要街に到着すると、外門でしばし確認のため停車をしてからすぐに通された。

 とはいえカーテンを閉めきった馬車の中で待っていただけだから、どういったやり取りが交わされたのかはわからない。舗装された石畳の道に切り替わり、隊列を作って進む馬の蹄が小気味よい音を奏でる。


 しばらく進み、エーヴィが窓を覗くくらいなら構わないと言うので、窓辺に手をついてカーテンの隙間から外の様子をうかがってみた。

 サーレンバー領は石材の産出を得意としているだけあって、建物の造りも石を積み上げた形式のものが多い。通り抜けた外門すらも、コンティエラの街とは全く異なる。街の門というより、その見上げんばかりの堅牢さはまるで砦のようだ。

 様々な色彩が目を楽しませてくれたコンティエラと比べると、材質が統一されているためか落ち着きが感じられる。商店の看板や出店の幌にも派手な色合いは見当たらないから、住民らの好みの違いもあるようだ。

 そういった差異は良し悪しの問題でもなく、その領の特色が人々の暮らす街並みという形に色濃く表れていることが実に興味深い。

 建築物や物珍しそうに馬車を見上げる買い物客、軒先に様々な物品を並べた商店などを眺めていると、街の所々に甲冑を身に纏った兵士の姿が目についた。

 あれがおそらく領兵……イバニェス領でいうところの自警団にあたる役職なのだろう。街中でありながら帯剣していたり、長い槍を携えていたりと、佇まいが自警団よりもずいぶん物々しい。


 そうした街の様子を観察しているうちに、次第に通行人が見当たらなくなってきた。

 辺りは相変わらず石造りの建物ばかりだが、街の入口付近よりもずっと大きく、装飾性が増している。

 そのうち整然とした並木と石積みの高塀が現れ、それに沿って進めば周囲の建物が姿を消し、代わりに広大な庭が目に入った。

 奥に聳える四角い印象の屋敷が、サーレンバー領主邸だろう。石を積み上げた造りのせいだろうか、やけに威圧感がある。外観は荘厳でありながら、領主の住まいというよりは何だか物語の挿絵で見たことのある要塞のようだ。


「わぁ、こちらのお屋敷もご立派ですねー。迷子にならないように気をつけないと」


「外観は中々のようですが、イバニェス邸のほうがずっと大きくて素敵ですわ」


「でもサーレンバー領はお金持ちだって聞きますから、内装とか調度品がすんごいかもですよ。転んで壷とか割ったら大変。ルミちゃん先生も気をつけてくださいね?」


「わ、わたくしは大丈夫ですわ、いつも金目の物には触らず近寄らず、ちゃんと離れて鑑賞してますから!」


「……わたしから言うのも何だが。ふたりとも、くれぐれも先方に失礼のないようにな」


 カーテンを閉めた窓にしがみつくようにして、自分の頭の上から外をのぞく侍女と教師に注意を促す。

 トマサがいない分はエーヴィが埋めてくれるはずだと信じているが、このふたりを放っておくのはどうにも心配が勝るというか。フェリバもカステルヘルミも礼儀作法の面では問題ないとわかっていても、ふたり合わさると何をしでかすか予想がつかない。自分もできるだけ目を離さないようにしよう。





「よく来たな! 待ちかねたぞ、さぁさぁ座るといい、慣れない長旅で子どもも疲れているだろう。うまい茶菓子を用意してある、好きなだけ食え。足りないようなら、じき夕餉の準備も整うからな。ま、ここを自分の屋敷だと思ってゆっくりしていけ!」


 その低い声音は、広い客間の空気を丸ごと震わせるような大音量だった。

 使用人らは慣れているのか、涼しい顔で壁際に控えている。見上げるファラムンドは耐えるような渋い顔を、隣のレオカディオはいつも通り人好きのする笑顔を浮かべていた。

 用意していた愛想も挨拶用の文言も全て吹き飛ばされてしまったような心地だが、とりあえず兄を倣って外向きの笑顔を取り繕っておく。


 初めて対面したサーレンバー領主、石巌伯ブエナペントゥラは、長身のファラムンドとも並ぶような巨漢の老爺だった。

 曽祖父とも懇意にしていたというから、もっと老いさらばえた枯れ木のような老人を想像していたのに、齢を感じさせないほど溌剌としている。頭髪こそほとんど白くなっているものの、腰もぴんと伸びてまだまだ現役といった風体だ。

 ただ病を得てからは足腰が弱っているらしく、カミロのように片手で杖をついている。右足を特に痛めているのか、歩き方がややぎこちない。


「おう、レオ坊も大きくなったもんだなぁ、もう十二歳だったか。前に来た時なんてこんっなに小さかったのに」


「ご無沙汰しております。背はまだまだ伸びてる途中ですし、前にお会いした時だってそんな虫みたいな大きさじゃなく、ブエナおじい様の腰くらいは背丈がありましたよ」


「ワハハハ、そうだったかな、もう六年も前だから忘れとったわ!」


 大柄な老人はレオカディオの頭を撫でながら闊達に笑い、次いでこちらを見た。


「おお、噂は聞いているぞ、お前さんが末娘のリリアーナか。ファラムンドがそりゃあもう文面でもうるさくてなぁ、何かにつけ遠まわしに娘自慢をしてくるんだ。たまにはこっちにも孫自慢をさせろってのに」


「お初にお目にかかります、リリアーナです。この度はお招き頂きありがとうございました。ブエナペントゥラ様は、お父様とも長く懇意にされていると聞いております、こうしてお会いできるのをわたしも楽しみにしておりました」


「ほー、全くこの歳でしっかりしたもんだ、三人とも母親に似たのかね。堅苦しいのはいいから、儂のことは、おじいちゃんとでも呼んで楽にしとくれ、リリアーナ」


「はい、おじいちゃん」


「……ゴフッ」


 老領主が空いた片手で自身の胸元を掴み、小さく呻く。急に体調を崩したのかと焦ったところで、ファラムンドが遮るように間に立った。


「リリアーナ、あんまり良い顔見せるとこの爺さんは際限なく図に乗るから、呼ぶならせいぜい、おじい様でいい」


「……おじい様は、どこかお体の具合が悪いのでしょうか?」


「お前のあまりの愛らしさに心臓をやられただけだ、気にすることはない。さて、リリアーナもレオカディオも馬車に揺られて疲れたろう、あっちでしばらく休ませてもらうとしよう」


 ファラムンドはふたりの子どもの肩に手を置き、屋敷の主を放って客間の奥へといざなう。

 堅牢な外観をしていたサーレンバー領主邸は、やはり内側もイバニェスの屋敷とはずいぶん造りが違っている。

 内装材にも石が多く使われ、壁に精緻な模様の描かれているイバニェス領主邸よりも装飾の面ではシンプルだろうか。だが磨き抜かれた乳白色の壁は、下手に壁紙などを張るよりも華やかかもしれない。

 石造りということで内部は五歳記の折に入った聖堂みたいなものを想像していたが、あそこよりもずっと雰囲気が明るく、床も壁も艶やかに輝いている。採光窓が多く、外光がよく入るためだろうか。

 見上げる天井はとても高く、柱から続く梁がアーチ状に組み合わさり、その形状を生かしたレリーフが彫られている。――そうした装飾がどこか、改装を進めた魔王城にも似ていると思った。


「馬車旅がちょっと辛かったようだから、レオカディオには何かすっきりとした香茶を頼む。リリアーナも疲れたろう、甘いものでもいるか?」


「いいえ、もうこんな時間ですし、夕餉も近いようですから。お茶を一杯頂ければ十分です」


「という訳だ、ほら爺さん、もてなせ」


「ほんっとにお前さんは相変わらずだな……。まぁいい、無理を押して来てもらったのはこっちの方だ。せいぜい手厚くもてなしてやろう」


 気心知れた様子でそんな応酬を交わすふたりを見ていると、本当に昔から仲が良いようだ。

 親子ほども歳が離れているのに、友人同士としての対等な関係を感じさせる。地位が同じだからという理由だけだはないだろう。ファラムンドとブエナペントゥラ、ふたりの領主はどこか気質が似ているのかもしれない。


「そんで、クストディアはどうした? まだ部屋か?」


「ああ……まぁなあ。出迎えくらいは一緒にと思ったんだが、どうにもへそを曲げてしまってな」


「相変わらずなのはお互い様じゃないか、孫に甘すぎんだろ」


「すまんな、晩餐には引っ張り出すから勘弁してやってくれ。あれもお前に会いたがっていたんだ、三年前からずっとな」


「その件は悪かったよ。俺ももっと早くに来られれば良かったんだが」


 レオカディオと揃って出されたお茶に手をつけている間、領主同士でそんな会話が交わされる。

 どうやら自室に籠りがちだという孫娘は、この場には出てこないようだ。

 もう十歳記を越えて十分に社交対応をする年齢のはずだから、余程の事情がない限りは礼節を欠いた行いとも言えるだろう。

 ちらりと隣のソファに座る兄を見てみると、レオカディオはカップを置いて繕った微笑みをこちらに返した。


「リリアーナは、クストディアに早く会いたい?」


「えっ、……そうですね、まだあまり年の近い女性と話したことがないので、色々なことを教えてもらえればと思っていましたから。お部屋から出られないのは、体調が思わしくないのでしょうか?」


「クストディアはずっとそうだよ。前に僕と兄上が来た時も、ほとんど顔を見せなかった」


 それは、籠りがちなんて生易しいものではないのでは。

 とはいえ余所の家の事情についてあまり口さがないことは言えない。何と反応したものか考えていると、レオカディオは朗らかな笑みを一層深めた。


「ねぇ、リリアーナ。まだ夕食には少し時間があるみたいだし、僕たちふたりでクストディアの部屋まで会いに行こっか?」


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