第166話 探索者アルト、再び⑤


「先ほど街まで降りて、詰め所で話を聞いてきた件についてのご報告です」


「ああ、キンケードの具合はどうだった?」


「顔や手足に軽いやけどを負ったのみで、あとは何ともないようでした。リリアーナ様も心配されているでしょうから、明日にでもご報告に上がりたいと思います」


 あの『勇者』から追われている最中、足止めに入ってくれた自警団の男は、どうやら無事でいたらしい。

 相手方の実力を考えれば、その程度の怪我で済んだのはまだ幸いだった。

 精霊たちの護りがあったとはいえ、ただのヒトが敵う相手ではない。やはり同族同士ということで加減をされたようだ。

 もし命に係わるようなことがあればリリアーナがひどく気に病む結果となっていただろうから、彼の無事は喜ばしい報せだった。


「あのヒゲがそう簡単にくたばるかよ。……そんで、肝心のこっち・・・のほうはどうだったんだ?」


 そう言って、ファラムンドは自身の頭を指先で軽く叩く。

 アルトにはその仕草の意図がわからずカミロの受け答えを待つと、男はひと呼吸の間を置いて話を続けた。


「ナポル君よりはいくらかマシなようですが。あの路地で我々と遭遇したこと、誰かと戦ったことなどは覚えていても、相手の風貌やその場でのやり取りについては、やはり全く記憶にないようです」


「ポポに裏を取りに行ったんだったな。そっちもダメか?」


「ええ。配膳をした給仕の女性ともに、記憶がはっきりしないようでした。来店したナポル君が誰かと相席していたこと、料理を二人分提供したことは覚えていても、肝心の相手についてはさっぱり。ポポが厨房の仕切り窓からテーブルを見た際の記憶をかろうじて保持していましたが、それも『旅装の男だった』ということしか」


「チッ、厄介だなほんとに。顔も何もわからないんじゃ人相書きだって作れやしねぇ」


<……え?>


 聞いた話が俄かには信じ難く、念のためもう一度反芻してみてから、アルトは愕然とした。

 ナポルという人物は三年前に別邸で遭遇した、あの青年のことだろう。彼が関わっているという話は初耳だが、そういえば菓子店の外にいた『勇者』は、自警団員と会話していた。

 逼迫した事態の中で認識から漏れていたが、あの時隣にいたのがナポルだったらしい。

 その青年も、足止めとして立ち塞がったキンケードも、対面したはずの『勇者』のことを何も覚えていないという。

 そんなことが有り得るのだろうか?

 確かに、あの『勇者』には強力な認識阻害がかかっていたせいで、現在のアルトの探査力では持ち物すらろくに調べることができなかった。

 だが、会話までした相手から、自身に関する記憶だけを消去するなんてことが果たして可能なのか。

 ……それとも、『勇者』なら、できるのか。

 『魔王』と同等の力を有した特別なヒトならば。


「私も窓越しに一瞬の確認をしたのみで、マントの色合いすら確かとは言えません。背格好からわかる範囲で街に手配書を回してきましたが、目撃情報を拾うのは難しいでしょうね」


「ったく、どんな魔法だか知らないけど厄介なのを連れてきてくれたもんだ。セットでお引き取り願ったのは結構だが、その変態野郎は、本当にまたイバニェスへ来るのか?」


「リリアーナ様はそう危惧されておられるようです。幸い、こちらの素性はまだ知られていないようでしたから、お屋敷にいる限り遭遇の危険はないかと。当面は街歩きなど、不特定多数の目にふれる場所への外出は控えて頂いたほうがよろしいでしょう。来月予定していたサーレンバー行きも、検討し直しですね」


「はぁ……、久し振りの外出をあんなに喜んでたのにな。可哀想なリリアーナ。この冬はお父さんと一緒に前庭をお散歩したり、中庭の噴水でおしゃべりしたり、裏庭で仲良くお昼を食べたりしような……ふふふ……」


 虚空を見上げながら顔を綻ばせるファラムンドには、「そんな時間があるとお思いですか」という侍従の言葉も届かない。

 共に過ごせるのであればきっとリリアーナも喜ぶのでは、と思うアルトだが、今はそんなことより『勇者』についての話が優先だ。


 転移によるその行方や、いつまた目の前に現れるのか、強大な脅威に関しての情報はアルトも気掛かりだった。

 それがまさか、出会った相手から自身の記憶を消去できるだなんて予想外も甚だしい。

 カミロが手配してくれたのだから、そのうち何らかの手掛かりが掴めるのではと期待していたのは、アルトだけではないはず。

 この件は早急にリリアーナへも知らせなくては。


「行き先は未だ不明、手の者を置いている地域へは伝令を出しました。どんな些細なことでも、何か掴め次第報告が入るかと。……彼に尋ねることが叶えば話は早いのですがね、さすがに難しいでしょうし。転移魔法については高度すぎて、当家の魔法師たちもお手上げだそうです」


「俺だって本の中でしかお目にかかったことねぇよ。うちは魔法師も手薄だからな……あいつは中央から呼び戻せないのか?」


「カステルヘルミ様を寄越して下さっただけでも、御の字というところでしょう。ここしばらく連絡もつきません」


「参ったな、魔法関係はお手上げだ。結局守りを固めるしかないか。守衛部のほうは?」


「先日の侵入者の一件もあり、鍛錬と編成の見直しを行っております。ですが、あまり人員を吸い上げては自警団も手薄になり、本末転倒ですから。慢性的な人員不足ばかりは、どうにもなりませんね」


 お手上げと言ってファラムンドは広げた両手を天井に向け、カミロは小さく肩を竦める。


 武器強盗が侵入してきた際は、リリアーナが強化した剣とキンケードの腕前のお陰で何とかなったが、そのどちらが欠けても危うかった。

 あの日の状況やふたりの言葉を聞く限り、この領地はどうやら守備のための人手が不足しているらしい。

 もし再び『勇者』がやってきたとしても、このままでは護衛として何の期待もできそうにない。

 むしろ下手に手を出して怪我でもされたら、自分のせいだと言ってリリアーナが気にしてしまう。

 カミロの言う通り、万が一にも奴とは遭遇しないよう外部の目にふれずに過ごすことが、今のところ一番の安全策に思える。


「明朝からは、指揮を兼ねて私も朝練へ加わります。この機会に旦那様も早起きされてはいかがです?」


「俺は夜型なんだよ。つか何だ急に、鍛錬は独りのほうがいいんじゃなかったのか?」


「此度の一件にて、運動不足を痛感いたしましたので」


「ふはははっ、だっせぇな、いい歳して無理するからだ」


 ファラムンドは肩を揺らして愉快そうに笑い、サンドイッチの最後の一切れを手に取った。

 それを眺めながらカミロは堪えた様子もなく眼鏡を押さえる。


「生憎と、旦那様よりはずいぶん若いので」


「キィィ! 若さだけでいい気になってんじゃないわよ、この雌猫が!」


「……まさかとは思いますが、今のは、姉君の真似ですか?」


「こんなので良くわかったなお前。実際はあいつより年上の姐さん女房なんだけどなぁ、最後まで気づかなかったな、あのヒステリー女め」


「異様に似ておりました。気持ち悪いのでもう二度としないでください、本人に告げ口しますよ」


「しないっての!」


 少年と共に姿を消した『勇者』への手立てについて思案するアルトの頭上で、ふたりの大人は取り留めのない会話を続ける。

 気休めの閑話といったところだろう。言葉が交わされる中、ワゴンの上から再び食器の音と振動が伝わってきた。

 一度お代わりを断られたから自分で飲むためだろうか、カミロはもう一杯香茶を淹れているようだ。

 片手でサンドイッチを頬張り、手元の書類に何かを書きつけながら、ファラムンドが逸れていた話を戻す。


「にしても、こっちから手の出しようがないってのは厄介どころじゃねぇな……何者なんだ一体。元々、リリアーナやお前を狙った刺客ってわけでもないんだろ?」


「リステンノーア様を追っていたのは間違いないように思います。とはいえ、不審な点は多いですね。リリアーナ様も何かご存知の様子ですが、必要と判断されることは自ら話されるはず。それがないということは、」


「話すに値しない内容、もしくは話せない事情がある、それともこっちが打ち明ける相手として信頼されてない、ってとこか? うう、リリアーナ……お父さんは寂しい……」


 なかなか核心を突いているふたりの会話に、アルトは綿の中でふるふると震えた。

 あの時は非常事態だったから仕方ないとはいえ、カミロに少年との会話を聞かれたり、魔法行使を見られたのはやはりまずかった。

 リリアーナが幼いながらも魔法を扱えることはすでに知られている様子だったが、一昨日の件でその特異性はより顕著になったことだろう。

 ただ賢いだけの少女ではないと、その程度の認識ならまだいい。

 だが、飛び抜けすぎた能力は、集団の中にあっては異常として見做される。――かつてデスタリオラが語り聞かせてくれたことが、まさか当人の身に降りかかるとは。

 父親であるファラムンドは相変わらず惜しみない愛情を向けてくれているし、カミロも変わらぬ様子なので、ひとまず彼らについては安心できそうだ。


 それでも、この先はどうなるかわからない。

 かつて『魔王』であったことを隠していても、いずれリリアーナの突出した能力が異常として扱われる日が来るのでは……。

 ただ守られる立場にある今、幼いこの時間の温かさを誰よりもそばで見ているからこそ、いずれ訪れるかもしれないそんな未来が、アルトは途端に恐ろしくなった。


「……はぁ、さてと。ひと段落ついたことだし、俺はちょっと休憩でもしてこようかなー」


「では次のご報告に移ります。先ほど街へ赴いて、」


「加減しろよ! もう腹いっぱい胸いっぱいだよ、これ以上何があるってんだよ、次はいくつだっ?」


「厄度:七十五ですね」


 何でもないように告げられたその言葉に、ファラムンドは無言で目を閉じて背もたれに体重を預け、片手で顔を覆った。

 その反応は予想の範疇だったのだろう、カミロは注いであった香茶をペン立ての横へそっと用意する。


「早くご報告して重荷を分かち合いたいので、さっさと聞いてください」


「その辺に捨ててこいよー……何だよ、わかったよ、聞けばいいんだろ。話せ」


 ファラムンドは額を押さえながら諦めたように体を起こし、カップを持ち上げて唇を湿らせる。

 様々な仕事をこなしてみせる侍従長カミロ自身が、許容値の七割を超えるという厄介事。

 これまで告げられた話も十分すぎるほど厄介だったというのに、これ以上一体何があるのかと、アルトも吸盤を保ったまま身構える。


「先ほど街へ赴いて商工会に寄った際、サルメンハーラ経由のお手紙を受け取って参りました」


「ん? あっちでは処理しきれないような陳情、いや要求か? 何だ、土地でも寄越せと言ってきたか」


「それが、筆記と文体に癖が強く、残念ながら記名は判読ができませんでした。内容については帰りの馬車で、粗方読み砕いて参りましたが……」


 そこまで言って、カミロは再び胸元から一通の書状を取り出した。

 先ほどの小さな手紙とは異なり、何重にもなった紙を丸めて突っ込んだ分厚い封書だ。

 受け取った封筒の表と裏を一瞥しただけで、ファラムンドは「確かに、読めないな」と眉根を寄せて机の上に放り出す。


「古風な言い回しも多く正確さには欠けますが、要約しますと……。先日の侵入者騒ぎで身内が迷惑をかけたという謝罪、単独犯でありイバニェス領と事を構えるつもりはないという弁明、犯人はすでに拘束しており、こちらが望めば奪った武器と共に下手人の首を塩漬けにして送る準備がある、……とのことです」


「いらねー! 何だそれ、つまりあの武器強盗の身内からの謝罪文ってやつか?」


「どうやらその様ですね。まずは返信を送り、諸般の準備が整い次第、真偽を確かめるためキンケードを伴って身柄の引き受けに向かいたいと思います」


 例の武器強盗の件がそんな進展を見せていたとは、アルトにも驚きだった。

 強盗が置いていった剣を取り戻しに来ないなら、詰め所に留め置かれていたキンケードの身も空くことになる。

 当面リリアーナは外出ができないため、彼に護衛についてもらう用事もなさそうだが、仕事の空きにでもこちらに来てくれれば無聊の慰めにはなるだろう。

 何にせよ、これでひとつ問題は解決する。

 取り調べが済めば、奴の残した不穏な言葉の意味もわかるかもしれない。

 懸念だった強盗の件が片付きそうなら良かった、……と、安堵のあまりアルトの思考からは肝心なことが漏れていた。


「引き取りに行くのは構わんが、誰なのかもわからん奴に返信するのか? その手紙、信用していいんだろうな?」


「返信先はサルメンハーラの領事館で構わないとのことですから、ひとまず信用面については問題ないかと。ただし、この手紙をしたためた人物の所在、……送信元は、その向こう側らしいですね」


「待て。向こう側って、まさか……」



 厄介度数の七十五。

 カミロ自身が許容値の限界に近いとまで宣言していたその数字を、わずかでも失念していたアルトは聴覚が捉えた言葉をすぐには飲み込めず、しばし呆然とした。



「ええ。魔王領――キヴィランタです」



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