第165話 探索者アルト、再び④
歯ぎしりをするファラムンドをよそに、香茶を淹れ終えたカミロは胸元から細い封書を取り出した。
片手に収まるほどの小さなものだ。表面に記載された文字を読み取ってみると、イバニェス領主ファラムンド宛てとなっているが、差出人の名は見当たらない。
三つに折られていたらしき折り目もついているし、何か他の書簡とは異なるのだろうか。
そんなことを思いながら見ていると、侍従の男は指先で叩きつけるようにして机へその手紙を置いた。
硬質な音と同時に、香茶を飲んでいるファラムンドの手元が揺れる。
何でもない風を装っていても若干目が泳いでいるようだ。何かやましいことがあるらしい。
「……その、燕便で届いた速達の末尾に、第四王子からの釣書について返事はまだかと催促の記載がございましたが、一体どういうことでしょうか旦那様?」
「え、まぁ、うん、そういうこともあったかもしれない?」
「あったかもではございません。いつですか、私はそのような釣書が届いたなど全く存じ上げませんが?」
「あー、先々月、お前が空けてた時に来たかもしれない?」
「来たかもではございません、何考えてるんですかあなたは。王家からの婚姻の打診を受けておいて、ふた月も放置する人間がありますか。頭蓋に藁でも詰まってるんじゃありませんか、一度燃やしてすっきりしてはいかがです、中身が灰でも大差ありませんよ」
これが厄介度数の二桁かと、内心で納得をするアルトだった。
どうやら国王の四番目の息子からリリアーナに婚姻の申し込みがあったのを、ファラムンドが返事も書かずに長らく放っていたらしい。
王の身内というからには、身分的にもイバニェス家より上位にあたると思われる。
リリアーナは自分の伴侶についてファラムンドに一任すると言っているが、これは選択の余地もなく、断れない話の類ではないだろうか?
「だって、第四王子って言ったら例の妾腹だろ。不要だからとりあえずウチとの繋がりに使っとけって魂胆が見え透いてるっての。冗談じゃない、リリアーナをそんな奴に嫁がせられるか」
「だってもへったくれもありませんよ。強制ではないのですから、逸らし方なり断り方なりを考えれば良いことでしょう。放置などして後手に回るほうが余程……ああもう、本当に、子どもたちの事となるとどうしてこうも無能になるのでしょうね、親馬鹿というよりただの馬鹿です」
声を荒げていることに気づいたのだろう、男はいつもの仕草で眼鏡を押さえ、表情を隠して深い嘆息を吐き出す。
このふたりからの評価が低いということは、第四王子とやらはあまり望ましい男ではないようだ。
リリアーナ当人が自身の婚姻に興味を持っていなくとも、できることなら相応しい相手と添い遂げてもらいたい。
その類のことに手出しができないアルトとしては、断れるならどうか断ってくれとワゴンの下から願うばかりだった。
「失礼な奴だな、雇い主に向かって馬鹿とか言うか普通。敬意が足りないにも程があるだろ」
「私が、これまで一度でも、旦那様を敬ったことがありましたか?」
「ないな、一度もないな。もっと敬えよ!」
「では雇用契約書に書き加えておいてください。いかに尊敬に値しない雇用主だろうと就業中は敬意を表するように、とかなんとか。そんなことはともかく、定例親書とは別便できちんと返信を書いて下さい、早急に」
感情の色を全く乗せない従者の視線を受けながら、ファラムンドはそっぽを向いて皮つきの果実を齧っていた。
その稚気じみた様子を観察し、自分にとってまずい話題の時、少しだけ唇をとがらせるのはリリアーナと似ているなと気づく。新たな発見だ。
「……ひとまず時期尚早である旨と、様々な条件を加味して思案中であることを適当に綴っておけばよろしいでしょう。この手の話が舞い込む前に、さっさと仮の婚約者でも何でも見繕っておけば良かったのですよ。今からでも遅くはありません、釣書から適当なものを拾ってはいかがです?」
「後で破棄するにしたって、リリアーナの風聞に関わるだろ」
「先方からの破棄申し入れ、もしくは相手方に何らかの不祥事でも起きれば、こちらに瑕疵はありませんよ。貴公位の家など、どこだって叩けば埃が出るのですから、火でも煙でも立たせるのは容易い」
「別にどれを燃やそうと構わないがな、仮とはいえ婚約が決まれば顔合わせだってある。一度でも対面した相手が落ちぶれたら気にするだろ、リリアーナは可愛い上に優しいから」
「では顔合わせが難しい距離の領から見繕って、リリアーナ様へ知らせることなく終える手筈を整えましょう」
「まぁ、その辺が妥当か」
わ、悪い大人だー!
流れるように進むふたりの会話を聞きながら、その内容と雲行きの怪しさにアルトは震えた。
これは、盗み聞いた情報ということを抜きにしても、とてもリリアーナに報告できるような話ではない。
父親の質実剛健とした政策や、侍従長の弛みない働きぶりに敬意を抱いているというのに、当の娘の見ていないところでこんな悪だくみをしているとは。
リリアーナに打ち明けたら驚くどころか、アルトの話でも信じてもらえないかもしれない。こわい。聞かなかったことにしておこう。
生前から気質が真っ直ぐな『魔王』は絡め手を嫌っており、そういった小汚い仕掛けなどは得意とする者がこっそり行うことも多かった。
とはいえ力がものを言うキヴィランタでは、小細工に長けるような知得者は少ない。たまに訪れるヒトの商人に知識を借りていたくらい、直情的、もしくは単純な者ばかりなのだ。
『魔王』という立場にありながら、デスタリオラの生来の素直さや純粋さが損なわれなかったのは、そうした環境によるもの――もしくは、集う周囲がその真っ直ぐさに感化されたとアルトは見ている。
……が。
このふたりは魔王領のどんな魔物より余程悪辣だ。
なんと恐ろしい。けれど、できれば生前のデスタリオラのそばにも、こうした人材がいてくれたら良かったと、ほんのわずかばかり思わずにはいられない。
複雑な思いを抱くアルトの盗み聞きも知らぬまま、ふたりの大人の密談は続く。
「残り一年半、十歳記が来ればお披露目が待っております。リリアーナ様が人前に出てからでは遅いということは、重々おわかりでしょう?」
「わかってる、嫌ってほどわかってるっての。八歳であれだけ可愛いのに、この先成長したらどうなってしまうんだ俺の娘は。限界を知らぬ可愛さが恐ろしい、美の化身か?」
「ひとたび公式の場で人目にふれれば、目の当たりにした人間を虜にするだけに収まらず、噂も広がります。釣書の殺到も今の比ではないでしょう。見目の麗しさだけでなく才覚も秀でているとなれば尚更」
「それまでに壁をこさえとけって言いたいんだろ、さっき聞いた」
ファラムンドは面倒臭そうに言い捨てると、残り二切れとなったサンドイッチを頬張る。
反対側からチーズがこぼれそうになるが、ひっくり返して大きな口で半ばまで食べてしまう。
「……先ほどは、ないと申し上げましたが。もし彼から同様の打診が寄せられたら、受けてしまっても良いのではと思うのです。防波堤役などではなく、正式な婚約として」
「は? んごっ」
その提案に驚いたファラムンドが喉を詰まらせ、咳き込んで香茶を飲み干す。
「彼って、聖堂の、その、一昨日のガキか? 正気か?」
「いたって正気ですとも。そこらの木っ端貴公位や信頼の置けない王家などと婚姻を結ぶよりは、ずっとリリアーナ様のためではないかと」
「お前な、相手の立場わかってるか?」
「承知の上です。今の体制はともかく、彼が立てば何らかの変化も期待できますし。この辺で不和を解消しておくのも手では……いえ、政略結婚をと申し上げているつもりはありません、誤解なきよう」
「……」
カップを手にしたまま黙り込むファラムンド。
街でのひとときを共有し、カミロから見てあの白い少年は目にかなったということだろうか。
終始、言葉にしない警戒を向けていたようにも思えたため、少年を推薦するような言葉はアルトにとっても意外だった。
「彼がお相手ならば、他からの横槍が入ることもありません。何より、共に過ごしてみて双方気が合うようでしたし、同年代でリリアーナ様と同レベルの話が出来る相手なんて、他に思い当たりませんよ。本人の意向を重視されるのでしたら、彼以外にないのでは?」
「ぐぬ……。まぁ、リリアーナ自身が気に入っているって言うなら、ちょっとくらい考えないでもないけど……」
語尾をしぼませながら渋い顔をするファラムンドは、指先でカップの縁をなぞりながら口をとがらせた。
アルトから見ても一昨日のリリアーナは楽しそうな様子だったし、大人たちの与り知らない事情からも、あの少年が『同レベル』の相手であることを知っている。
再会の機会を望んでいる初めての友人だ。もし伴侶として共に生きる相手に選ばれれば、リリアーナは喜ぶのではないだろうか?
主の願いはアルトの願い、主の喜びこそアルトの歓びでもある。
……なのに、なぜか納得のいかないような、自身の思考とその結論にどこか噛み合わないものを感じた。何らかのエラーだろうか。
「もっとも、先方からその申し入れがあればの話ですが」
「なんだと! リリアーナに会って惚れない男がいるか! 嫁に欲しいに決まってるだろ! ふざけんな嫁になどやるかー!」
ダン、と机に拳を打ち付けられ、そばに置かれたティーセットがか細い悲鳴を上げる。
「ともあれ、このあと速やかに返信をお書き下さい。以上が三つ目のご報告になります」
「……今の、度数はいくつなんだ?」
「厄介具合では十一といった所でしょうか。続けて次のご報告へ参ります、こちらは厄度:三十ですね」
「聞きたくねぇー!」
机に肘をついてうなだれるファラムンドに構わず、カミロは空になったカップを回収し「おかわりは?」と訊ねる。
疲れた顔で首を横に振る主人に対し、男は休息の間を取ることもなく次なる報告に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます