第127話 自治領サルメンハーラ①


 どこか満足げにしている男の手元を見ると、いつの間にか屋敷で働いている時と同じ白い布製の手袋に替えられていた。

 食卓についたから外歩き用の皮手袋は外したのだろう。だがその準備のわりに、もりもりと食べ進めるこちらと違い全く皿に手をつける素振りがない。

 毒見の必要がないからとはいえ、早く食べなければ冷めてしまうだろうに。何か食が進まない理由でもあるのだろうか。


「カミロ、もしかして甘い物は好かないか? それなら何か別のものを注文しても良いのだぞ?」


「いえ、そういうわけでは……」


「オーウ、カミロサン、お腹空いてない? 甘い物好きだよネ?」


 横からポポが体を横に折って顔を突き出した。足の幅はそう広げていないのに、不自然な体勢でも安定している。筋骨隆々とした見た目に偽りなく、体幹もしっかりしているようだ。


「甘味は疲労時に嗜む程度ですよ。本来であれば、リリアーナ様たちとテーブルをともにさせて頂くなど恐れ多いことなのですが」


「イイヨー、今日はブレイコーだから!」


「そうだぞ、細かいことは気にせず早く食べろ、冷めてしまう」


「では、お言葉に甘えまして」


「……」


 我関せずといった様子でパンケーキを口に運んでいるノーアの横で、ようやくナイフとフォークを手にしたカミロは静かに食べ始めた。

 以前に茶飲み話をしながら菓子をつまんだことはあっても、きちんと食事をとっているところを見るのは初めてだ。

 そう扱うべき道具を、過不足なく扱っているというような所作には一切の無駄がなく洗練されている。

 お手本というのはこういうものかと思いながら眺めていたが、ナイフで切り分け、フォークに取り、口へ運ぶ間に全く音がたたない。

 皿とカトラリーがふれる度に音をたててしまう自分などは、まだまだ作法の修練が足りないようだ。


「……確かに、とても軽いですね。不思議な食感です。空気をこんなに含んで焼き上げられるものとは」


「お腹にたまらなくテ、おいしいよネ! 喜んデもらえてポポも嬉しい!」


 口溶けの軽さは爽やかに素材の風味を残していくが、ポポのパンケーキは後味も良い。蜂蜜よりもえぐみのないメイプルシロップは甘みが舌の根に残らず、すっと喉を通っていく。

 軽食との要望通り、驚くほど軽い菓子だがその味わい実に奥深い。味覚も嗅覚も存分に満足させられる。

 リリアーナは感嘆の息を吐きながらナイフを置いた。


「とてもおいしかったです。厨房長のアマダに勝るとも劣らない、素晴らしい腕前ですね……ポポさんもすごいです、驚きました」


「エッヘッヘ! リリちゃんに喜んでもらえて嬉しいヨ! まだまだアマダサンには敵わないケド、ポポもっとおいしいお料理作るから、またいつでも食べに来てネ?」


「ポポさんは、アマダとお知り合いなのですか?」


「ウン、ポポ、アマダサンとも仲良しヨ! 旦那サンも、カミロサンも仲良し、お友達ヨ! 友達の友達はミンナお友達ネ!」


 その言葉を聞いて天啓のごとく閃いた。つまり、自分がポポと友達になればファラムンドとも友人関係になれるということでは。……と、一瞬浮かんだそんな考えを瞑目して振り払う。

 領内の発展を目指す彼と友のように語り合いたいとの思いは、生前に出会えていたらという仮定の話だ。娘として生まれた今となっては、それはどう願ったところで叶わない。

 将来的に何か手伝うくらいはできるかもしれないが、肩を並べて同等の立場で話すことは一生あり得ないのだから。

 もしそうだったら楽しいだろうなという、ただの夢想だ。


「リリちゃん、どうしタの?」


「いえ、何でもありません。お友達だから、父上も安心してポポさんのお料理を食べられるのだなと思っておりました」


「ウン、いつも旦那サンいっぱい寛いで、いっぱい食べてくれるヨ! 安心、リラックス、おいしいく食べるために大事なコト! だからリリちゃんもポポのお店いル時は、いつも通りに楽にしててイイヨー!」


「……?」


 それはつまり、令嬢らしい振る舞いの演技をやめろという意味だろうか。

 カミロとノーアに対しては声をひそめて話していたが、そこから何かを察したのか、それとも普段は違う口調だとファラムンドから聞いていたのかもしれない。

 念のためチラリとカミロへ視線を送ると、傍目にはわからない程度の首肯が返ってきた。

 取り繕わなくても構わないのであれば、自分もそのほうが楽でいい。

 今日の外出は対人対応の練習も兼ねているつもりだったが、ここはファラムンドも気楽に過ごしている店だと言うし、令嬢らしさはイグナシオの店で頑張ったからもう良いだろう。

 そう自身を納得させて、再び肩から力を抜いた。


「で、では、……うん。その、楽に話させてもらおうか」


 一度それらしく演じていたところから素に戻るのは、何だか気恥ずかしいものだと感じた。

 もっと自然に振る舞えればこうした違和感もなくなるかもしれない。今後も外出するなり客人を迎えるなりして、授業以外でも令嬢らしい言葉遣いができるよう努めよう。

 食後用にと淹れ直してもらったお茶を口に運びながら、頭の中で今後の課題に二行ほど加えておいた。


 カップの中の水面を軽く吹いて、薄い湯気を霧散させる。さっぱりとしておいしい香茶だが、この後も歩くことを考えればこれ以上おかわりはできない。

 次に向かう先、商店通りのことを考えて、そういえばポポには訊ねたいことがあったのだと思い出した。


「あの、ポポさ……いや、ポポ。少々訊きたいことがあるのだが、まだ時間は大丈夫か?」


「ウン、下のお店は他のミンナに任せてあるからダイジョーブ! ポポ何でも答える、何でも訊いテ!」


 朗らかな笑みでそう請け負うと、ポポは握った拳で自身の胸板を叩く。土壁を打つような鈍い音がした。


「店の入口に黒い木製の顔がふたつ置いてあるだろう、あれはどこで手に入れた物だ?」


「顔? あー、アレはポポのお気に入り、トッテモ可愛い! ずっと前にサルメンハーラに買い出し行った時、市で見つけて買ってきたヨ! 掘り出し物、お買い得品、すっごく安かったネ!」


「サ、サルメンハーラ……?」


 あの顔が可愛いとかテルバム杉が安価だったとか気になる部分は色々あるが、意外すぎる名前を聞いて驚いた。久しく耳にしていない名だが、記憶違いや聞き間違いということはないはずだ。


「自治領サルメンハーラ。イバニェス領の北に隣接しているクーストネン領と、ベチヂゴの森との間にある私設交易街です」


 こちらの驚きを初耳の地名に対するものと捉えたのか、カミロがその地に関する補足をしてくれる。


「自治領、とは?」


「聖王国に公式に認められた領地ではなく、住人たちが自治領を自称しているのです。ベチヂゴの森付近は長くどこの領にも属さない土地でした。そこに魔物を狩る者たちが滞在する小屋ができ、居住者が増え、森で得た素材を他領や商人たちへ卸す市が開かれるようになり、急速に街へと発展した場所です」


「なるほど、自治領サルメンハーラ……」


 口に乗せる懐かしい響き。それは、かつて魔王城に出入りしていた武装商団の名前だった。

 同じ名前がこの世にあっても何もおかしくはないが、位置的に全くの無関係とも考えにくい。とはいえ、あの自由気ままな連中がそんな場所に拠点を置くとも思えないのだが。


「ベチヂゴの森は危険な場所なのだろう、そんな所に街を作って大丈夫なのか?」


「危険だからこそ見過ごされているという面もありますね。あの地には腕自慢の屈強な冒険者たちが集まり、森から漏れ出る魔物を狩ってその素材を売っているようですが、生半可な腕では森の魔物に敵いません。自発的に魔物を狩ってくれるのは聖王国側としても助かりますし、すでに交易の一拠点となっているため、今さら手を出せないのでしょう」


「ふむ……そうか」


 魔王領キヴィランタへと繋がるベチヂゴの森は広大であり、一部イバニェスも隣接している。

 幸い岩場の多い地帯であり、近年では大型の魔物がこちら側へ来ることはほとんどないらしい。

 ――というか、種を明かせば、自分が『魔王』在任中に、意思疎通の叶う者にはベチヂゴの森を越えてヒトの領域へ出ないよう通達をしていたのだ。

 別に命令ではないし、そう強制力のあるものでもないため、死後数十年もすれば当然漏れ出る者くらいはいるだろう。好奇心だとか餌を求めてだとか、理由は様々あるだろうが、行動を縛っていない以上はその後どうなろうと知ったことではない。

 それにしても、自治領なんてものが森のそばにあるとは知らなかった。


「カミロ。その自治領は、いつ頃からそこに?」


「狩人たちの小屋はずっと昔からあったそうですが、自治領を名乗り始めたのは……たしか四十年ほど前のことだと聞いております」


「サルメンハーラの名はどこから、とか何か由来は知っているか?」


「申し訳ありません、私もそこまでは。お屋敷へ戻ればもう少し詳しい資料も置いておりますが、リリアーナ様はサルメンハーラにご興味が?」


 聖王国に属さない狩人たちの拡大集落。興味が引かれるのは確かだが、まずは好奇心を満たすよりも、かの武装商団との繋がりをはっきりさせたいという気持ちのほうが強い。

 『武装商団サルメンハーラ』。魔王城で彼らの顔を最後に見てから、すでに五十年近く経っている。いくら屈強な者たちだったとはいえ、構成員のほとんどは寿命でこの世を去っているだろう。

 それに、商団の生き残りがいたとしても、今の自分はイバニェス領主の娘だ。会って「久しぶりだな」なんて昔話に花を咲かせることもできはしない。

 だが、もし名称通り彼らの建立した街だというのなら、この目で一度見てみたいとは思う。


「……正直に言えば興味はある。が、クーストネン領の向こう側では直接赴くのは難しいだろう?」


「ソーダネー、ちょっと今はオススメできないケド、きっとそのうち行けるヨ! ダイジョーブ!」


 ポポが彫りの深い顔を緩めて柔らかな笑みを浮かべる。

 きっと、そのうち。未だコンティエラの街ですら一部分しか立ち入りを許されない身で、一体いつになればクーストネンの向こう側まで行けるのだろう。

 招待を受けているというサーレンバー領へ赴いた後、アダルベルトの十五歳記で中央への旅を経た後、……それとも、自分が十五歳の成人を迎えるまで、個人的な遠出は許されないのだろうか。

 すでに湯気の消えた香茶の水面に顔を映し、ふうと吹きかけてそれを揺らした。


 少しばかりの気落ちと、わずかな静寂。

 そこに、ノーアがカップを置く音が妙に大きく響いた。

 顔を上げると、自分と同じ色の目が真っ直ぐにこちらを見ている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る