第116話 イグナシオ宝飾品店にて


 何だか釈然としないものがあるけれど、言葉遣いも依頼の仕方も問題がなかったと、他でもないこの男が言うのであればそこは信じて良いだろう。

 バレンティン夫人から受けた教えの抜き打ち検査のようになってしまったが、カミロから見ても自分の「令嬢らしい」振る舞いは合格点だったようだ。

 背後に立っているため表情までは見えていないのは幸いだった、次の機会までには外向きの笑顔ももう少し練習しておこう。


 そんなことを話していても、イグナシオは一向に戻ってこない。見本品を二種類も要求してしまったから、取り出して揃えるのに時間を要しているのだとしたら面倒をかけて悪いことをした。

 早々こんな場所へ来られる機会もないから、用件は一度に済ませてしまおうと思ったのだが、先にアダルベルトのタイリングだけ依頼して、納品の際にカステルヘルミの髪飾りについて話せば良かったのかもしれない。

 手持ち無沙汰に香茶が淹れられたカップへ手を伸ばす。何だか先ほどから嗅ぎ慣れない、甘い香りがして気になっていたのだ。


「リリアーナ様、お待ちを」


「ん? どうした?」


 カップへ伸ばしかけた手を止め、再び背後を振り返る。

 カミロは眼鏡の奥に躊躇いのようなものを滲ませながら、こちらを見下ろしていた。


「お毒見をさせて頂くことができませんので、申し訳ありませんがそちらのお茶へ手をつけるのはお控えください」


「この店は夫人の紹介だぞ、危ないものを出される心配はないのでは?」


「それでも、万が一ということがございます。イグナシオ氏はともかく、先ほどの給仕は身元も知れませんし。喉がお渇きのところ誠に申し訳ありません、馬車にポットを備えておりますので、店を出ましたらすぐにご用意いたします」


「まぁ、そこまで喉が渇いているわけでもない、大丈夫だ。いつも飲んでいるお茶と違う香りがしたから気になってな」


 薄い湯気をくゆらせる香茶は、普段屋敷で淹れてもらっているものより幾分色が濃い。そして果物の類とも異なる、これまで嗅いだことのない妙な甘い匂いがする。

 こちらの外見年齢を見て、何か子ども向けの甘いものを淹れてくれたのだろうか?


「この香りは、おそらくティエン茶ですね。南海の向こうから最近入ってくるようになったもので、一度だけ口にしたことがありますが、ほのかな甘みがあり健康にも良いとか」


「ほう、いつも取り寄せているシルヴェンノイネン領以外で採れるお茶か。覚えておこう」


「好みの分かれる味わいかと思いますが、街でも流通していますから、取り寄せたらお部屋までお持ちいたします」


 領外の特産品どころか、海の向こうからやってくる品だとは。

 食事をとるようになってまだ数年、自分の知らない食べ物や飲み物はまだまだたくさんある。普段の食事でも驚くばかりなのに、それが領外や国外となると想像もつかない。

 未知なる食材はこの世界に一体どれだけあるのだろう。生きている間に全てを網羅することは無理でも、手に入る範囲のものは一通り試してみたいものだ。

 食材さえ手に入ればアマダが何とかしてくれる。どんな食材だろうと、アマダの手にかかればおいしい料理へと化けるに違いない。

 今日のところは普段食べられないものを口にする貴重な機会ということで、街での食べ歩きを楽しみにしてきたけれど、こと「料理」に関してはアマダの腕に全幅の信頼を寄せている。


 目の前のカップをソーサーごと少しばかり端へ避けると、扉がノックされイグナシオが戻ってきた。

 その後ろには小柄な男を連れており、ふたりとも底の浅いケースを恭しく両手で持っている。

 イグナシオはテーブルの横で改めて礼をして待たせた謝罪をし、持ってきたケースを置いてから初対面となる男を自身の隣へ促す。


「リリアーナお嬢様、ご紹介いたします。こちらは当店併設の工房で細工物を扱っております、ラロと申します。若く見えますがうち一番の腕前です、きっとご満足頂ける品を仕上げることができるかと」


「あ、の、ラロです。精一杯やらせてもらいます」


 小柄な男はそれだけ言うと、ぺこりと頭を下げた。ヒトの外見年齢についての推察にはまだ慣れないが、ファラムンドと同じくらいの年頃だろうか。

 短く切りそろえた髪に、白い手袋、真っ白なシャツと濃い灰色の上下が妙に浮いている。何だか衣装に着られているようだから、普段はもっと違う格好をしているのだろうと思った。

 職人ならばいつも通りの仕事着で構わないし、何なら仕事の様子を見学させてもらいたいくらいなのだが、ここは我慢だ。

 令嬢らしく。令嬢らしく。心の中で唱えて演じる自分へと切り替える。


「お初にお目にかかります、リリアーナ=イバニェスです。兄と先生が喜ぶような物を作ってもらえると嬉しいです、どうぞよろしくお願いしますね」


 気合を入れ、顔中の筋肉を微細に調整し、これぞという笑みを作り上げた。

 鏡がないため確認はできないが、おそらくそれなりに良い仕上がりではないだろうか。そうは思いつつ口の端が痙攣してきたのでもう少し力を抜く。

 ……難しい。

 笑顔を作り、座ったまま見上げるふたりの大人は、どこか驚いたような面持ちでしばらく固まった。ラロは額に汗を浮かべて顔面を紅潮させ、互いに次の動作へ移ることができず微妙な間が空く。

 やがて硬直が解けたイグナシオは緊張した様子で対面の席につき、続いてラロもカクカクとした動きでその隣に腰を下ろした。


「ええと、あ、髪飾りとタイリングの見本品をいくつかお持ちいたしました。勿論、この通りのものを作るのではなく、あくまで意匠の方向性を確認するためのサンプルとしてご覧ください」


「ありがとう。先生は豪奢なものがお好みなので、髪飾りのほうは華のある仕上がりにしてもらいたいのですが」


「そうですね、こちらのような花のモチーフなどご婦人方に人気がございます。花弁の広がりでボリュームも出せますし、お好みの花を模ることが可能です。土台となる髪留めもいくつかございますが、髪をひとまとめにする用途でしたら、こちらかと」


 どうやら髪飾りというのは留め具の部分があらかじめ用意されており、そこへ金属や石で飾ったものを取り付けるようだ。

 生前にステンドグラスや燭台を造る様子は間近で観察したことがあっても、こうした装飾品については全くふれたことがなかった。興味深い。

 やはり仕事の様子を見学させてもらいたいなと思うが、今の立場を考えるとその依頼は難しいだろう。


 花のモチーフを選び、ラロが描いたいくつかの図柄を見ながら相談をして、カステルヘルミの髪飾りについては意外と早く話がまとまった。

 やはり見本となる物が目の前にあるとわかりやすい。本人を連れて来ることができなかったため若干の不安はあったけれど、これならきっとカステルヘルミも喜んでくれるはず。


 続いてタイリングのケースがテーブルの中央へ移される。

 そこで冷めてしまったお茶を見たイグナシオが替えを訊いてくるが、今は喉が渇いていないからと断った。せっかく淹れてくれたものが無駄になってしまって申し訳ないけれど、仕方がない。

 ファラムンドたちもこういった席では何も口にしないのだろうか。自分などより、仕事で会話の多い彼らのほうが余程喉が渇くだろうに。

 身の安全のための慣習とはいえ、難儀なことだ。


「タイリングは意匠こそ限られますが、この見事なサファイアが嵌っていればどんな彫金も霞むでしょう。十五歳記の特別な贈り物ということでしたら、こちらの大人びたデザインなどもよろしいかと」


「そうですね……」


 布を張った浅い箱に収められたいくつものタイリング。指輪と同じように窪みに嵌った形で並んでいるが、いまいち違いや良さがわからない。

 形状は全て同じような幅の輪っかで、異なる金属をクロスさせたり、銀を蔦のように編んだり、名前を模様に見立てて彫ってあったりと様々だ。小さな石を輪に沿ってびっしりと並べたものまである。

 カミロから受け取ったペンダントから着想を得て、構成を刻んだ石で何か作ろうと思いついたのは良い。

 普段装飾品を身に着けないアダルベルトでも、唯一タイリングだけはいつも着けているからそれにしようと決めたのも良かった。

 だが、自分にはそういった品の良し悪しがわからない。

 いくつか石の嵌ったタイプの見本を見比べて、唇に指の背を沿わせながら悩む。

 そもそも自分の好みで選んでも仕方ない。贈り物なのだから、アダルベルトの好みに合わなくては意味がない。

 いつも自分には嬉しい実用的なものばかりプレゼントしてくれる長兄だが、どんな意匠なら彼を喜ばせることができるのだろう。

 選ぶ楽しさを楽しめば良いとキンケードは言ったが、こればかりは話が異なる。自ら注文して作らせる以上は全て自分の責任だ。こうして職人たちまで関わらせてしまったのなら尚更、「失敗したくない」という気持ちが湧きあがる。

 十五歳記の特別な誕生日。やはり喜んでくれるような、好んで使ってもらえるような品を贈りたい。


「……リリアーナ様、よろしいですか?」


 黙考、熟考、ぐるぐると思考を渦巻いていると背後からカミロが声をかけてきた。


「アダルベルト様はいつも色味の少ない柄のタイを好まれております。ですので装飾があるものよりは、シンプルなものがお似合いになるのではないかと」


「な、なるほど、そうですね。兄上は細かな柄の入った、落ち着いた色合いのものを着けていらっしゃいました。では線の少ないこちらかこちら……、青い石にはどちらが合うでしょう?」


「そういうことでしたら、下側に擦ったラインを入れたこちらがお勧めです。上側の輝きとの対比で、中央のサファイアも映えることでしょう」


 カミロの助言とイグナシオからの推薦により、タイリングのほうも無事に決めることができた。ほっと息をつき、背もたれへ体重を預けそうになるのを腹筋に力を入れてこらえる。

 図案をスケッチする以外に発言のなかったラロだが、決まった意匠にはこくこくと頷いて了承を見せていた。細工をする当人から何も異論が出ないのであれば、任せてしまって良さそうだ。


 あとは仕上がりの予定日と屋敷へ届ける段取りなどを話し、最終的な納期の確認する。アダルベルトの誕生日には余裕で間に合いそうで良かった。

 髪飾りは急がないため、同じ日でも後日でも出来上がり次第で構わないと伝えておく。もっとも、二度手間になってしまうから同時に届けてもらえるならその方が良いだろう。

 礼を言って席を立ち、イグナシオの先導で店の出口まで歩く。

 こういった商店の作法として、最後にするのかと思って成り行きを見ていたが、肝心の話がされないためカミロの袖を引いて足を止めさせた。

 まだ金額の確認や支払いなどが何も済んでいないのだ。


「どうかなさいましたか?」


「いえ、支払いなどのお話は……?」


「そういったことは後日、こちらで。何もご心配はいりません」


 その返答にいささか驚く。金額を聞かないどころか、店で支払いもしないとは思わなかった。

 素材を持ち込んだとはいえバレンティン夫人が利用するような店だ、加工の手間賃だけで相当かかるのではないだろうか。金額が非常に気になるけれど、そう言われてしまえば問い質すこともできない。

 こういった高級商店での作法、領主邸へ直接納品に来るような店との付き合い方というものか。具体的な金額を提示、もしくは問うこと自体が無粋とされているのかもしれない。

 なるほどなという納得と、やはりどこか釈然としない気持ちを抱えながら店の外へ出た。

 そして深々と礼をするイグナシオやラロ、店員たちを背にカミロに手を取られ、待っていた馬車へと乗り込む。


 一口に商いと言っても、露店に建屋の商店、高級商店と、それぞれに独自のルールがあるようだ。

 扱っている品が異なるだけでなく、客の階層や範囲によって常識そのものが変わってくる。

 バレンティン夫人が言っていた、「見定め方と選び方を覚えなさい」という言葉には、様々な意味が込められていたのだと今になって理解した。

 このあたりはやはり、実地で体験しないとわからない事柄ではないだろうか。夫人のように屋敷へ商人を呼んで選ぶだけでは、違いに気づくこともできなかった。


 いる階層によって見えないもの、そう考えてふと裏庭で行ったカステルヘルミへの授業を彷彿とする。

 視えている層が異なるせいで、精霊眼の有無によって見えるものが違う。丸と三角を描いて重ねた紙のように。

 それらを透かして見るか、俯瞰して視ようとしない限り、単一視点から異なる層を把握するのは難しい。「見えていない」ということ自体に気づけないからだ。


 自ら望んで街へ出てきたのは間違いではなかったと、リリアーナは再び走り出した馬車から窓の外を眺めた。


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