第87話 リリアーナ師匠の魔法講座③


 円形に定めた『領地』、その直径はリリアーナの歩幅で十歩分ほど。

 葉のよく生い茂ったクチナシが二株も植えられているため、土地として使える地表部分は少ないが、ひとまずは十分な広さだ。別に走り回るわけでも何か設置するわけでもないので、木が邪魔になることはない。

 力をよく蓄えたベーフェッドの骨を撒いたことで、構成も馴染みやすい土壌になっている。

 遠い領道のナスタチウム畑とは違い、たとえ狭い範囲でも身近な場所に自分の『領地』を手に入れることができた。ここがあれば今後は色々なことに使えるだろう。

 すでに宣言も軽い陣地構築も済んでおり、この範囲であれば魔法の行使も大した負担なく実行できる。未成熟な体のことを考えれば大がかりな構成は描けないため、こうして『領地』を入手できたことは大きい。


 クチナシの葉や花にきらきらとまとわりついている汎精霊たちの煌めき。浮かれるリリアーナの気持ちが伝わったのか、せわしなく動く金色の粒たちもどこか楽しげだ。

 領道のときよりも集まりが悪いように見えるのは、やはり聖句という餌が足りないせいだろうか。

 アレは個人的にあまり好きではないし、アレンジ後の詞は他の者に聞かれると何かとまずい。構成を回すには十分なのだから、今はこれで良しとしよう。


 カリカリざりざりという音を背景に、リリアーナは両足を肩幅に開いて腕組みをしたままクチナシの木を見上げる。

 花が減って緑の割合が増した木は、幾分香りも落ち着いている。もうすぐやってくる乾きの風で、冬前には残っている花たちもみな落ちてしまうだろう。


「優先順位で言えば、やはり屋敷の防備を固めたいところだが。全てを覆うには広すぎるかな……」


<そうですね、半円で囲むにしても相当強力な構成陣が必要になりますし、それを長期間に渡り保つとなると、今のお体では難しいものと思われます>


「ん、せめて不意打ちの狙撃や遠距離攻撃を弾く程度のものは張りたいが、それでも屋敷の前面と側面……。うーん、仕方ない、まずは居室の窓に絞るか」


<それがよろしいかと。リリアーナ様のお部屋と、あとはご家族の皆さまのお部屋、父君の執務室。……急襲の恐れがあるのはその辺りでしょうか?>


 ひとまずはアルトの挙げた箇所で良いだろう。可能であれば書斎や厨房も守りたいが、それらは襲撃の可能性で言えば低めと見て構わないはず。

 今は余力があまりない以上、優先度の高い場所から防御の構成を張っていくしかない。

 透明度を高めた代償に脆弱な作りの窓ガラス。居室のそれが守られるだけで、得られる安心感はずいぶんと違う。


「耐衝撃、耐斬撃、耐熱、コストが安いのはその辺りか。集束光線にも耐えるとなると、さすがに難しいな」


<リリアーナ様が仰っておられた例の魔法ですね。可干渉性を備えた光熱線……恒常の予防よりは、射程限界を調べてそのラインへの侵入に対策を施すほうが現実的かと>


「魔王の肉体をも切断するような、とんでもない代物だからな。防ぐよりも撃たせない、撃たれる前に察知する、今はそのあたりが限度か」


 浮かび上がりそうになった悪夢の残滓を、強く瞼を閉じてカットする。現実であんなこと絶対に起こさせはしない。

 為すすべもなく大切なものを奪われるだけだった夢とは違い、対策を施すことも動くこともできるのだ。もし万が一、夢の中のように赤い男勇者が攻めてきたとしても、ただやられるだけでは済ませない。


「もう少し余裕ができたら、次は前庭に警報線を敷く。自動迎撃機構や土人形の機動なども一緒に置きたいが、それらはもっと成長してからだな。力が足りない……」


 ――もしくは、かつての臣下たちがここにいてくれたら。こんな風に、自分ひとりの微弱な力で防備を固める苦労なんてなかったかもしれないのに。

 ないものをねだっても仕方がない。……それをわかってはいても、皆と一緒に防衛について話し合った賑やかな城が懐かしい。

 脳筋ばかりであまり、いまいち、ほとんど足しにはならなかったけれど、それでも様々な案を出し合って、時には拳も出し合って色んなことを決めたものだ。

 彼らの大半が最終決戦――……魔王城での勇者迎撃まで付き合ってくれた。

 各々強靱な者たちだから全滅はないと思いたいが、一体どれだけがあの戦いを生き延びたのだろう。キヴィランタの住人は長命な種族が多いから、もし無事でいたら今も生きながらえているかもしれない。

 『勇者』という脅威が去り、統治する『魔王』も滅んだ今、キヴィランタの者たちは健やかな日々を送ることができているだろうか。

 種族や力の多寡に関わらず、何ものにも脅かされることのない安全な住処であるよう。そのために様々なものを造り、遺してきた。

 自らの施策が彼らの生活にどうか安寧と利便をもたらしている様、今は離れた地から祈るより他ない。

 つま先の小石を軽く蹴ると、木の幹に当たってこつりと跳ねた。


「……どんな構成を描くかはもう少し練るとして、先に父上とアダルベルト兄上の部屋がどこにあるのか調べないとな。レオ兄の部屋へ行った時、付近にそれらしい反応はなかったか?」


<はい、近隣の部屋はすべて無人でした。常駐の侍女の気配もありませんでしたので、階が異なるのかもしれません>


「本当に無駄に広いな、この屋敷は……」


 一息ついて、ざりざりという音の元へ歩み寄る。

 軽装に着替え、綿のような髪をひとまとめにした魔法師は、今日もしゃがみ込んで地面に丸を描き続けている。

 右手には握りやすいように削った石、左手にはアーロンが作ってくれた小型の熊手。

 右手で描いて左手で消す、この繰り返しにより移動の必要がなくなり、腰もあまり痛まなくなったらしい。

 黙々とそれを繰り返すカステルヘルミは、描いている間の無駄口も減ってきた。地道な反復作業にハマるタイプと見える。


 上からのぞき込んだ丸印は、以前よりも円と言って差し支えない程度には形になっているが、やはり微妙に潰れて歪んでいた。

 始点と終点も合っていない。最後に合わせようとして微調整をするから余計に歪むようだ。正しく円を描いていれば合わせようとする必要もないはずなのだが、どうしてこうなるのか。


「うーん。……何で描けないんだろうな?」


「そ、それは、わたくしのほうが訊きたいですわ……」


 カステルヘルミはそう答えると、石と熊手を握りしめたまま地面にぺたりと尻をつけ、そのまま足を抱えて丸く縮こまってしまった。

 膝に顔を伏せ、「わたくしはダメな子なのですわ、どうせ何をやっても失敗ばかりで、ダメダメで、ううぅ」と呻きぐずっている。そこまできつい練習を課したつもりはないのだが、どうやら相当参っているようだ。

 むしろ簡単に思えることができないからこそ、自分を卑下する状態に陥っているのかもしれない。自信家のように見えていたが根は意外と繊細らしい。


「お前がダメだとか出来が悪いとか、そういう風には思っていないぞ。最初はちょっと思ったけどな。指示はちゃんと聞くし、投げ出さず継続する根気もある、お前はよい生徒だ」


「ううう、お嬢様ぁ……。でも、ダメですわ、丸を描くこともできないだなんて、わたくしは要領が悪いし不器用だし魔法だって本当は大した才能もないし……」


 あ、そこ自覚はあったのか、とリリアーナは少しばかり驚いた。

 慢心していないなら尚良し。素直に話を聞くし性根は悪くない、その精霊眼の紋様だって間近で見れば綺麗なものだ。

 きちんと正しい手順を覚えて訓練を積めば、勇者やペッレウゴ程とはいかずとも、きっと腕の良い魔法師に育つはず。

 本人は丸くなってすっかりいじけてしまっているが、何がいけないのか原因と教え方を一緒に考えたい。おそらく根底にある常識が自分と彼女とでは異なっているせいで、自分にとっての「当たり前」がカステルヘルミには考えも及ばないことなのだ。その反対も同様に。


「円を描くことには、器用さも魔法の素質も関係ないぞ? 自分の中に思い描いた円を、そのまま描写するだけなんだが……。皿とかコインとか、円がどんなモノかはわかるだろう?」


「もちろん、それくらいわかりますわ。でもどうしても、お嬢様が描いたような綺麗な円にはならなくて。お皿を想像しながら描いてみてもやっぱりダメですし……」


「いや、皿を浮かべてどうする、ただの円でいい。その眼に円を浮かべて、視えているまま描けば良いはずだ」


「…………?」


「…………?」


 膝から顔を上げたカステルヘルミの怪訝な視線と見つめ合う。しばしそうしてから、互いに首をかしげた。


「みえているまま描く……?」


「う、うむ。構成を視る練習も兼ねているのだから、まずは自分の中に思い描いたものを視ながら描くのが良いと思ったんだ。……ええと、こう、うーん?」


 感覚的なものを言葉にして伝えるのは、存外難しい。

 自分には始めから普通にできていたことだから、できない状態の者にどう教えれば理解に至るのか、説明の切り口がわからなかった。

 目を開けばものが見えるし、物音がすれば聴覚がそれを捉える。そのを教えようとしているようなものだ。

 視るには目を開けばいい、聴くには耳を傾ければいい、そういうことを言っているつもりなのだが、果たしてこれが正しいのかどうか。

 だが、目や耳が不自由だというわけではない。カステルヘルミの場合はきちんと精霊眼を備えているのだ、その扱い方さえ把握すればこちらの言わんとしていることも自ずと理解できるはず。


 両手を前に出して、その間に小さな構成を浮かべて見せる。

 ただの円環、まだ何の効果も描き込んでいない意味のない構成陣。

 触れないし、光っているわけでも何か色が付いているというわけでもない、ただそこに在って視えるもの。


「精霊眼を持たないヒトには、これが視えない。だがお前には視えるだろう?」


「え、ええ、薄らぼんやりとした小さな円が浮いて見えますわ」


「今この円を見ている時は、地面やそこらの物を見る時とは異なる見方をしているはずだ。物質とは違う層に描かれたものを、お前の眼は視ている」


「確かに、物ではないですけれど……」


 一旦浮かべていた円を消し、少し考えてそばの露台に置いていた荷物まで移動する。

 暇つぶし用の本や筆記用具などをまとめている中から、書き取り用の白紙を二枚抜き取った。片方に適当な大きさで丸を、もう一枚に三角と四角の図形を描き込んでから、カステルヘルミがしゃがんでいる所まで戻る。

 移動する間に息を吹きかけてインクを乾かし、三角と四角が描かれたほうの紙を座り込んだままの女へ手渡した。


「その紙が仮に地面だとしよう。三角はお前で、四角はこの屋敷だ。触れるもの、見えるもの、全ての物質がこの地面紙面にあるものとする。我々が今立っているこの場所だな」


 リリアーナの言葉に、無言のままこくこくとうなずきながら見ている紙の下側へ、丸印を描いた紙を差し込む。


「この丸が描かれた紙は、構成が描かれる層だ。三角と四角の紙にいる者からは見ることができない。……見えないだろう?」


 カステルヘルミが再びうなずいたのを確認してから重ねた二枚を受け取り、それを空へと掲げる。

 厚い雲に覆われてはいても、太陽をその向こうに隠す日中の空は十分に明るい。重ねた紙を透かして、三角と四角の間に丸印が浮かんだ。


「これが、我々精霊眼を持つ者の視界だ。異層を透かして構成も精霊も視ることができる。……視ようとすればな。こうして紙を下ろせば、重なった紙は表面しか見ることができない」


「透かして……視る……」


「うん。視覚の使い方というか、見方が違うと思っていい。その眼は外側にあるものを視るだけではなく、自分の内側にあるものも視ることができる。そこに、円を描くんだ」


 足元に落ちていた小石を拾い、少し前にもそうしたように地面へ円を描いて見せた。思うままの円、視えるままに描いているだけなのだから容易いことだ。

 器用さがどうこうと言うカステルヘルミは、おそらく腕の操作だけで円を描こうとしていたのだろう。

 全ての基本だからと円を描かせていたのだが、眼の訓練も兼ねていることはもっと詳細に説明をしておくべきだった。お互い視えているものも、知っていることも違うのだから。


「わたしは円を思い浮かべて、眼を通してそれを空中や地面に描画している。描く前から自分の中……眼の内側と言ってもいいかな、そこに真円を思い描いているんだ。感覚的なものだが、伝わるか?」


「えーと、んー……、想像するだけではなくて、目の使い方を変えてみるということかしら。見える……視えるように思い浮かべて、描く……?」


「うん、まずはそんな感じでやってみろ。そのうちコツが掴めるかもしれないし」


 あまり上手く説明ができたとも思えないが、それでも何らかのヒントにはなったのだろう。光明を見出した輝きを目に灯し、カステルヘルミは地面につけていた腰を持ち上げた。

 石を握り直し、熊手を掲げ、再び地面へと向き直る。


「視えるように、思い浮かべて、描く……」


「……その、何だ。できないとか無理だとか思うようなことを指示していても、それはわたしの期待だと思ってくれ。お前ならできると判断したからこそ、やらせているんだ。訓練して身につければちゃんと実になる、と思う。だからこうして時間を割いて教えているわけで……」


 真っ当な魔法師になってもらわなければこちらが困る……という事情はもとより。

 素質自体は悪くないと思えばこそ、丁寧に基礎の基礎から教導しているのだ。実りの可能性もない、内面も気に食わない魔法師だったら弟子になんてしないし、教えるにしてもここまで手はかけていないだろう。

 自信は持ちすぎなくても良いが、自負は抱いて良い。元魔王である自分が、手ずから教えるに足ると認めたヒトなのだから。


 そんなたどたどしいフォローをする間にも、カステルヘルミは石で丸を描いては土を均して消してを繰り返す。

 ただがむしゃらにそれをしていた時とは異なり、何かを視ようとしている様子は伺えるのでしばらくそっとしておこう。……と思ったところで、鼻を啜る音が聞こえ、袖口で目のあたりを擦るのを見てぎょっとする。


「……まさか、泣いているのか? 厳しすぎたか?」


「泣いてなんていませんわ、ちょっと土埃が目と鼻に入っただけでしてよ。大丈夫、ええ、期待していてくださいまし、わたくしきっと成し遂げてみせますわーっ!」


 雄叫びとともに、その背中からは気迫のようなものが立ち上る。やる気と意気込みは十分なようだし、今度こそしばらくそっとしておこう。

 邪魔にならないよう、カステルヘルミが猛然と円を描くその場から静かに離れる。

 言葉やたとえ話を伝えただけで、すぐに眼の扱いを把握するとは思っていない。

 それでも繰り返す中で何かを掴めれば、今日のところは十分と言える。試行と失敗の繰り返しから学び取る、自分も通ってきた道だ。



「……さて、どうしようかな」


 ステップを上がって露台に出された木製の椅子へ腰掛け、白い空を仰ぐ。曇り空だが風は澄んでいて心地よい。

 散歩も済んでしまったことだし、持ってきた本でも読んでいようか。そう思い荷物へ手を伸ばしたところで、裏口からこちらへ歩いてくるエーヴィの姿が目に入った。


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