第67話 探索者アルトのターン①


 再び眠りについたリリアーナの寝顔を、サイドチェストに乗せられたアルトはしばし見つめていた。

 計測する体温は平常時よりも三%高い。食事を終えたため体内の水分量は基準値を満たしており、多少心拍数が高いものの大きな状態変化はないと思われる。その呼吸も朝の目覚めよりは落ち着いて、布団をかけられた胸元が規則正しく上下している。


 インベントリからアルトバンデゥスの杖の宝玉部分のみを引き出されて、今日で千六百七十日。幼いリリアーナを常に離れずそばで見守ってきたが、彼女がここまで体調を崩したのは今回が初めてのことだった。

 かつて『魔王』デスタリオラであった頃は病魔に冒される心配など不要のもの、その体を傷つけられる者すらキヴィランタには存在しなかった。

 それが、今ではか弱いヒトの女児に過ぎない。肉体の生育や免疫機能が不十分である幼い内は、命を落とす危険も大きい。これまで大きな病に罹患することなく健康に過ごしてこられたことの方が、確率的には得難いものだったのかもしれない。


 一度その生を閉じ、どんな奇跡からか新しい生を得たというのに、彼の本質は何も変わっていない。

 なぜ自身よりも常に周囲のことばかり気にかけるのか、長く共に在るアルトにも未だ理解は及んでいない。

 『魔王』という役割から解放されたのだから、今度こそ自分の幸せと楽しみのためだけに生きてくれればと思うのに、リリアーナが自身を大切にするその理由の大半は、結局周囲のためなのだ。「自分を大切にしてくれる者たちに心配をかけたくない」「領主の娘として将来の身の振り方が家族に利をもたらす」……そんなことばかり考えている。

 理解できない。わからない。だが、無機物ゆえの不理解と諦めてしまいたくはない。

 『大全の叡智』ともてはやされた自分に、デスタリオラは様々なことを教えてくれた。自らの意思を持つということ、感情の揺らぎ、生命として生きる上での選択。

 人造知性体に過ぎない思考武装インテリジェンスアーマに対し、彼はいつも個我を持つひとつの生命として扱い、導いてくれた。主であり、教師であり、掛け替えのない友でもある。

 アルトバンデゥスの杖にとっては、『魔王』デスタリオラへ常に寄り添い、共に在ることはこの上ない歓びであった。


 そんな彼、……彼女の方こそ、もっと自分のやりたいように、好きに生きて構わないはずだと。そう願ってはいても、言葉にして伝える権利が自分にはないこともまた、アルトには良くわかっていた。


<――私は意思ある道具です。あなたの望むまま、意のままに、あなたのお役に立ちましょう>



 顔色の落ち着いたリリアーナの寝顔を見て、その呼吸から眠りが深いことをもう一度確かめたアルトは、意識を己の内へと向けた。宝玉の内側ではなく、その外側を覆うぬいぐるみの内部へと。

 フェリバの手により綿を詰め直されたボアーグルのぬいぐるみは、綿の量が増えたため以前よりも若干もっちりとしている。外皮である布に張りが出て、握り心地が良くなったとリリアーナがご満悦なのでアルトもウハウハである。


 アルトはぬいぐるみの構成素材を解析し、繊維の隅々まで構成をまとわせることで角の操作などを可能としていた。が、今日はもう一段階、その操作について新たな試みを実践してみることにした。

 以前から思索は続けていたのだ。この脚部を持たないぬいぐるみを操作して、どうにか自律行動が叶わないものかと。底面を動かすことで机の上などをにじり歩くことはできていたが、芋虫以下の速度では歩いているなんて言えはしない。

 ……脚だ。移動するにはとにかく脚が必要だ。杖であった頃には、己が無機物であると自認する余り欲したことすらなかったそのパーツ。ぬいぐるみとなった今であれば、「別にあってもよくない?」と思うアルトであった。


 中綿は以前よりも増量されたから、内部での増幅はわずかでも事足りる。慎重を要するのは、やはり外側の布地の増幅と形状のコントロールだろう。

 新しく生やすには力が心許ない。ならば、余分なところから寄せ集めて足しにする、といった手段を取れば比較的安全な形成ができるはず。

 そんな結論から、アルトは自身の底面に向けて角や胴体部分の素材を少しずつ集めた。形成するのは底面両脇に、角と対になる形での脚二本。植物性の繊維質をほどき、移動先で再構成。袋状にしながら内側に詰まった綿も同様に、少しずつ増幅をしながら移動させる。

 手乗りサイズのぬいぐるみが一回りほどしぼみ、代わりに角とそっくりな二本の脚がまるで生物のように蠢き生えていく。

 目撃者がいれば正気度の減少は免れない不気味な変化であったが、幸いにして形成完了まで静まりかえった寝室に入り込む者はいなかった。


<フッフッフ、我ながら抜群のアイデアとあふれる才能が恐ろしい。こんなものでしょうかね>


 アルトはぬいぐるみに含まれる繊維を移動、増殖させて作り出した脚部を満足そうに揺らす。

 本体である宝玉が底の方にあるため、重心を考えてやや太めに設計。すでに組成は把握し、行き渡らせた構成も問題ないため、角と同じように自由自在に操作することができる。

 二本の脚を新たに作成したが、もちろん二足歩行をするわけではない。

 サイドチェストの上でそろりと、角を動かして上半分を傾ける。

 接地した角と作り出した脚、それぞれを立ててみてバランスにおかしな点はないかを確認。四本脚での直立に問題はなく、右脚、左脚、それぞれを動かして重心を移動、無事に前進することもできた。歩行の方法は馬の並足を参考にすれば良いだろう。


 しばらくそうして歩く練習をしてから、そっとチェストの上から飛び降りる。

 それなりの高さはあっても柔らかいぬいぐるみであり、床には毛足の長い絨毯が敷かれているため物音ひとつ立たない。多少の段差であれば、落下は問題ないことも確認できた。飛び上がる練習もできれば、きっと階段の上り下りもこなすことが出来るだろう。

 テスト中よりもやや早めた速度で、そそくさと扉の方へ近寄ってみた。



<おおぉ、歩ける! 歩けますぞー!>


 うっきうきと移動するその姿は、端目には頭のないネズミにしか見えないのだが、自らの外観を気にするという習性のないアルトには外見への考慮は一切なかった。

 ただ、次にリリアーナが目覚めるまでにはこの寝室へ戻り、外側の布と中綿を元通りにしていつもの姿でおはようの挨拶をしなければならない。

 そのためにはぬいぐるみを無駄に汚したり、破損をさせるわけにはいかない。重要な目的のために部屋を移動するにしても、細心の注意が必要だ。


 寝室の扉に身を寄せて、その向こうで働く侍女たちの様子をうかがう。アルトは一室分程度であれば壁をも透過させての探査が可能であるため、ここで聞き耳や目星を振る必要はない。


 そうしてしばらく様子を見るうちに、フェリバがこちらへ近づいてくるのを察知した。

 彼女が扉を開けた隙に、そっと寝室から脱出しよう。

 掃除などのために常に部屋を出入りし働いている侍女たちだ、そう時間をかけず同じ手段へ廊下へ出ることもできるはず。

 そうとなれば、物陰に隠れて死角から素早く部屋を出なくては。

 アルトは扉から身を離し、隠れる場所を探した。

 小さなノックの音がする。



 ポッ      べちっ!



 ノックと同時に開けられた扉にはねられ、吹っ飛んだアルトはクローゼットの角にぶつかって逆さまに床へ落ちた。


<早ーい! フェリバ殿、ノックからの溜めがない、開けるの早すぎません?>


「あれ、なんか今ぶつかったような? ……あ、アルちゃんが落ちてる!」


 ドアの裏をのぞき込んだフェリバはすぐに落ちているアルトに気づき、そっと拾い上げた。

 いつもと少しだけ形が違うように見える頭部の二本と、底の方にも似た形状のものが二本。


「み、耳が、……耳が増えてるーっ?」


<違います、角です、そして今上になっているのは脚です!>


「あし? ……アルちゃんに脚が生えてるー!」


<フェリバ殿お静かに、リリアーナ様が起きてしまわれます!>


 おっといけないと口元を手でおさえて、年若い侍女は持ち上げていたぬいぐるみに顔を近づける。縫い付けられた目のボタンが下になっていることに気づき、「なるほど」と、アルトの上下をひっくり返す。

 その段になってようやく、アルトはうかつな思念波を送ってしまったことに気がついた。自身の失態に、柔らかいぬいぐるみがビシリと固まる。

 そんなことにもお構いなしに、フェリバはベッドから離れた部屋の隅、ボアーぐるみや秘密の箱が鎮座するあたりまで移動して屈み込んだ。


「いやぁ、驚きました、動くだけじゃなく脚まで生えるなんて。最近のぬいぐるみはスゴイですねぇ」


<……ん? うーん、んんん……、む……>


 さすがのアルトも指摘やつっこみたい部分が十三点ほど浮かんだが、かろうじて黙秘を続けた。

 ほんの少しでも目を離してくれれば、その隙に脚を元に戻すことができる。そのまま素知らぬ振りをして、気のせいということで何とかごまかしきれないだろうか。形さえ元通りにしてしまえば、念話を通したことも含めて証拠は残らない。床に落ちていたのは、たまたま重心が傾いたからとか何とか……。


 そんな姑息なことを考えるアルトをよそに、フェリバは新しく生えた脚部を指先でつんつんと突ついて、そこにしっかり綿が入っていることを確かめながら柔和な笑みを浮かべた。


「アルちゃん、どうしたんですか、私たちに何かご用でした? それともお部屋を出たいとか?」


<…………>


「ちょっとだけ待ってて下さいね、リリアーナ様のお加減を見ておかないと。アルちゃんがそばを離れている間にお目覚めになったら、きっと寂しがっちゃいますし」


<フェリバ殿……>


 訝しがるでもなく、怖がる素振りもなく、ごく当たり前のようにボタンの目を見ながら話かけてくるフェリバに、アルトはあっさりと観念した。

 ぬいぐるみに宝玉を埋め込んでくれた恩人であり、この四年の間ずっと甲斐甲斐しくリリアーナの世話をする様子を見てきたのだ。主人が信頼する相手であると同時に、その精神性は信用のおけるものであるとアルト自身も考えていた。

 そんな彼女にであれば、ぬいぐるみの秘密の一端を知られてしまうことくらい大した問題ではないのではなかろうか。

 それからフェリバはベッドで眠るリリアーナの寝息を確認し、ずれていた上掛けを肩へかけ直すと、再びアルトを携えて壁際へ移動した。


「それで、アルちゃんはどうしてあんな所にいたんですか?」


<いえ、それは……。というかフェリバ殿、ぬいぐるみである私が動いたり話したりすることを、おかしいと思われないので?>


「んー? おかしいも何も、今さらっていうか、ずっと知ってましたし」


< え >


 ぬいぐるみであるため表情は変えられない、それは杖でも玉でも同様なのだが、ぽかんと口を開けてしまいそうな心地だった。


<えぇぇ、いつからですかっ?>


「いつって、だってもうずっと何年も、アルちゃんの耳が動いたりとか、リリアーナ様とおしゃべりしてたじゃないですかー。隠したいみたいだから、トマサさんと一緒に気づかない振りしてましたけど」


<ホェ……>


 驚きと自らの迂闊さに唖然とする余り、フェリバの手の上で思考も動きも停止するアルトだった。


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