第52話 強盗と髭男


 中庭での散策を終えてフェリバと自室へ戻る道すがら、追い剥ぎ強盗の捕縛に対しどんな協力ができるかを考えていた。

 いつどこへ出没するのか予測がつかないからこそ、自警団員が囮になって商人のふりをしたという作戦は悪くないと思える。遭遇に関しては試行回数、及び相手の興味を惹くような武器を帯びたまま道を行けば釣り上げることができるだろう。


 一番の問題はやはり、強盗自身が強すぎるという点だ。投網や罠などは一通り試しただろうし、複数人でかかっても敵わなかったというなら数押しでは駄目だ。それこそ相手の望む通り一騎討ちで打ち負かせるか、勝つことを諦めてもっと悪辣な罠を準備するか。

 犯行を重ね大勢の人々へ迷惑をかけている賊なのだから、後者の解法でも問題はないように思える。

 生前は割と力押しでどうとでもなる身だったため、罠を仕掛けて相手を陥れるという経験は少ない。さてどんなものが有効か、と歩きながら唇をなぞれば、腹のあたりが「くぉー」と鳴った。


「あれ? 何ですか、今なんか音しました?」


「……すまない。少し、小腹が空いたようだ」


「あ、リリアーナ様のお腹の音でしたか。お散歩して朝食を全部使い切っちゃったんですかね」


「それは燃費が悪いな。いや、だが空腹感はたしかにある……さきほど食べ終えたばかりだから、昼までずいぶんあるのに」


 胃のあたりを押さえてみると、また小さく不服げな音がする。今日の朝食はいつも通りおいしかったし、量も少なすぎるということはなかった。この物足りなさは幼い頃、食事とおやつの量が足りなくて空腹を我慢していた日々のことを思い起こさせる。久しく感じることはなかったが、こうも腹が切ないと全身に力が入らない。


「ふっふっふ、こんな時こそ私の出番ですね。秘蔵のお菓子をこっそりわけて差し上げますから、そのかわりトマサさんには内緒ですよ?」


「フェリバ……! お前は有能な侍女だな!」


「でへへへへ、もっと褒めてくれていいですよー!」


 午前の授業が始まる前、使用人たちの居住棟とリリアーナの私室を大急ぎで往復したフェリバが持ってきてくれたのは、街で買えるという硬めのクッキーだった。

 渡された紙袋の中には五枚入っており、淹れてもらった温めのお茶に浸して手早く食べる。練った生地に何も混ぜていないクッキーは見た目も味も至って素朴、甘さ控えめで食べやすい。お茶につけなければ歯応えもざくざくとして面白いから、次はちゃんと味わって食べてみたいと思う。


 腹が多少満たされたところで教師が来訪したため、気合いと我慢で午前中の授業を乗り切った。

 一度も腹が鳴らずに済んだのはフェリバのお陰だ。あとでもっと褒めておこう。




 待ちに待った昼食をゆっくりと堪能し、濃いめのお茶を飲みながら満足の息を吐く。

 食事は良い。おいしくて腹が満ちて体が温まって幸せな心地になる。辛い空腹感も癒やされるし。食べ物の味を覚えてしまった今、食事や味覚を取り上げられたらきっと生きてはいけないだろう。

 デスタリオラであった時はこの幸福を知らなかったからこそ、必要がないものと割り切って生きていられたのだ。むしろ、知らずにいたことがひどく損に思える。食事も睡眠も風呂も必要がなかったなんて、生きる理由の九割くらい損をしていないだろうか。

 ……もっとも、意味や理由がなくても役割は存在するため、残りの一割を捨ててでも『魔王』の役を全うしなければならなかった。

 捨てるくらいなら知らない方がマシだ。



「はぁ……、今日もおいしかった。アマダにはずっとここで働いていてほしいな」


「それを聞いたらきっと喜びますよー。このお屋敷でのお仕事が大好きらしいですから、きっとヨボヨボのお爺ちゃんになるまで居座る気じゃないですかね」


「大歓迎だとも。弟子たちのこともよく育ててもらいたいし、腕のいい料理人が増えればそれだけ料理の幅も広がる。うまいものが増えれば、領民たちだって喜ぶだろう」


 それには就業の場も必要となるのだろうが、その辺は辺境伯邸で弟子を取っている以上、ファラムンドたちが上手く差配をするのだろう。

 料理を作る者と食べる者、提供する場所、あとは材料。うまい料理のためには良い食材が必要だ。イバニェス領の食の発展を促すためにも、他領からの流通を阻害し続けている追い剥ぎ強盗は許し難い。


 そういえば出没からもう一年前後経っているらしいが、犯人は領外へ出ていないのだろうか。もしイバニェス領内だけの犯行であれば、この地に執着する理由があるか、出られない訳があるか、もしくは他領から仕組まれた妨害工作という線も考えられる。あまり屋敷の外の厄介事へ興味を示すのは感心されないだろうけれど、そのうちカミロへも訊いてみよう。


 フェリバが食器類をのせたワゴンを押して部屋を出て行く。何となくそちらへ視線を向けると、エプロンのポケットからはみ出ている紙が目に入った。朝受け取ったクッキーの紙袋と同じものだ。まさか仕事中につまみ食いはしないだろうし、他の誰かへ渡す分だろうか。


「リリアーナ様、お茶のお代わりはいかがですか?」


「そうだな、もう一杯だけ飲んだら書斎へ向かう。なぁ、トマサは武器を狙った追い剥ぎ強盗の話を知っているか?」


「……フェリバですか」


 一瞬で情報源が割れた。だが、最初に教えてくれたのはアーロン爺だから、その断定へは首を横に振るのみで答えておく。

 トマサもそういった話に首を突っ込もうとするのは良しとしないのだろう、一度肩を落としてからなめらかな手つきでお茶を注ぐ。澄んだ赤色の水面が揺れ、諦めたように眉尻を下げた侍女の顔を映す。


「自警団とコンティエラの商会が協力をして解決に当たっているそうですが、あまり芳しくはないようですね。陽の季はしばらく姿を見せずにいたのが、ここ最近再び出没するようになったとか」


「ほう、暑い間は隠れていたのか。それとも、どこか他の場所で悪さをしていたとか?」


「どうでしょう、悪人の考えることですから我々には想像も及びません。ともかく、不甲斐ないと領民から呆れられてしまう前に、自警団には成果を挙げて頂きたいものですね」


「なるほどな。まぁ、出没が再開した今こそ捕縛のチャンスという見方もできる。キンケードもきっと頑張っているだろう」


 その名前を出した途端、トマサのつるりとした眉間に深くしわが寄った。柳眉が鋭い角度に持ち上がりかけて、すぐにいつもの表情を取り繕う。何やら感情に大きな波風が立ったようだが、一体何だろう。


「キンケードがどうかしたのか?」


「いえ、その。……あくまで噂なのですが。あの男は囮となって賊を引き寄せたものの、その戦いにあっさり敗北したとかで、ここ最近はひとりで腐っているそうです」


「腐ってる?」


 いじけているとか、落ち込んでいるという意味合いだろうか。

 それにしても、囮作戦で追い剥ぎに挑み、挙げ句敗北したという自警団員がまさかキンケードだったとは。さすがにそこまでは想像していなかった。

 単身で領主の娘を護衛したり、その五歳記という特別な機会に護衛を受け持ったりと、おそらく実力を鑑みての任務に当たっていたらしき男が負けるとは。知り合いだからと不当に擁護するつもりはない。キンケードが弱かったのではなく、追い剥ぎが異様に強かったのだろう。

 となると、やはり正攻法ではなく罠にはめるという路線で詰めるべきだろう。自警団にキンケード以上の使い手がいるなら話も別だが。


「ん……、そういえば前に別邸へ行った時、キンケードが副長と呼ばれているのを聞いた覚えがある。あやつが副長なら、自警団をまとめる長はもっと強いのか?」


「いえ、現在の団長はご高齢で、退職して団長の座を譲りたいと意志表明しているのですが、あの男がのらくらとその責任を逃れている次第にございます。個人の技量であれより優れている者は、残念ながら自警団にはいないでしょう」


 なぜかものすごく詳しい。

 自警団の内情がどこまで公にされているかは知らないが、キンケードが敗北したという件は、おそらく領の内外へ伏せられているのではないだろうか。

 普段のトマサであれば黙したままでいるようなことを、何か別のことに気を取られてうっかり口を滑らせている気配がある。様子がおかしいのは気になるが、せっかくの情報源なのだ、なぜそこまで詳しく知っているのかはあえて問うまい。


「ふむ、できればキンケードからも話を聞いてみたいが。街から離れている上に忙しいのでは、あまりこの屋敷へ来ることもないか」


「旦那様が外出なされる際、護衛の任が発生すればこちらまで出向くこともございます。……リリアーナ様、お話というのは、その強盗についてでしょうか?」


「うん。自警団の知り合いなんてキンケードしかいないし、当事者であるならなおさらだ。直接対峙した時のこと、刃を交えた感想などを聞いてみたいと思う」


「……左様でございますか」


 犯罪者の捕縛は大人の領分だ。無力な子どもがおかしなことへ興味を持つべきではないと、反対されるだろうか。そう身構えたリリアーナだったが、トマサは平静を取り戻した顔でひとつ首肯して見せた。


「承知いたしました。手が空き次第こちらへ顔を出すよう、連絡しておきましょう」


「え。いいのか? いや、危ないことをするつもりはないし、本当に話を聞くだけだから、久しぶりに会わせてもらえるのは嬉しいが……」


「お諫めしても、リリアーナ様でしたら他の手段をお考えになられるでしょうから。お手を煩わせてしまいますが、どうかあのふやけた男をきつくお叱りくださいませ」



 髭の大男は現在、腐ってふやけているらしい。


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