第39話 崩落⑤

※多少惨い流血描写などが入ります。




 斜面を下りきったキンケードが、駆けながら目を塞いでこようとする手をリリアーナは首を振ることで拒絶した。見せたくないものが何なのかは明らかだが、こちらの中身が年相応でない以上、その配慮は無用だ。

 なだれ落ちた大量の土砂にすり潰されたもの、崩れる岩盤に切断されたもの、落ちる岩の下敷きになったもの。道に散らばる骸からは崩落のすさまじい勢いと、それに直面した際のヒトの無力が伺える。埋もれた土から掘り返したのではなく、埋まった土と岩だけをどけたことにより、目に見える被害の凄惨さは一層増していた。何も異変のない道の上に、複数のヒトの破片と臓物、血液がばらまかれているのだから。

 岩場から下りきると、ひどい生臭さと鉄臭さが鼻をついた。散らばる断片たちへ顔を向けることもなく、大きな血溜まりを作っている馬の死骸を飛び越え、キンケードは真っ直ぐに潰れた馬車へと向かう。


「これで、本当に、生きてるってのか……っ」


 独り言のように漏れた呟きは疑念からではなく、願いの吐露だろう。駆け寄った馬車は前後の判別が難しいほどに損壊していた。屋根は半分近くまで潰れ、窓も全て枠ごと割れている。金具もろともひしゃげた扉は力ずくででも外さなければ開きそうもない。

 その扉の隙間からは、おびただしい量の赤い血が滴っていた。それを見てほんの一瞬だけ手を止めたキンケードは、それでもステップに片足をかけ、空いた右手だけで壊れた扉を無理矢理こじ開けた。


「……っ!」


 破砕音をたてて外れた扉と共に、力の抜けきったヒトの上半身が外側へ倒れ込む。

 ぐにゃりとしたそれは不出来な人形のようだ。頭蓋が潰れて血液と中身が衣服を汚しているが、格好から侍女だと判断できた。もう息はないことは一目でわかる。倒れている位置と天井部分に空いた大穴を見るに、馬車の外へ出ようとしたところを岩か何かに潰されたのだろう。

 その穴からは大量の土砂が流れ込んだはずだ。圧縮され、梁や柱も折れて、狭くなった空間へ縦横無尽に刺さっている。

 それまで閉じられていた分、濃厚な血臭を一気に浴びることになって気管が詰まる。臭気を吸い込まないよう口呼吸を意識して、せり上がるような吐き気をやり過ごす。


 血が。開けた箱の中は、一面が赤に染まっていた。


「おいっ! ファラムンド、カミロッ!!」


 その凄惨な色彩に息をするのも忘れる。

 崩れた侍女の奥、天井が傾いで狭まった中にふたりの大人が折り重なるように倒れていた。灰色の髪のほとんどを赤くして、着込んだ深緑の衣服までぐっしょりと濃い色に染めている男は、もうぴくりとも動かない。その脚は不自然に潰れ、馬車の梁のひとつが男の腹を突き破っている。


「カミロ……」


 涸れた喉からひどくかすれた声が漏れる。

 名を呼んでも、血溜まりに沈む男はうつ伏せたまま返事を寄越すこともない。広がる鮮血が冗談のように鮮やかだ。

 きれいな所作で香茶を入れていた手は、自身を守ることなくいっぱいに伸ばされている。庇うように、護るように、その身を挺して。


「……ぅ」


「ファラムンド!!」


 キンケードの叫びにかき消されそうな小さな呻きは、カミロの体の下から発せられた。その身でもって庇われた体躯が身じろぐ。仰向けになった精悍な顔が苦しげに呻き、乱れた黒髪の奥で眉根が寄せられた。

 父は、生きている。目の当たりにしたその確証に息を飲みながら、伸ばされるキンケードの腕を咄嗟に掴んだ。


「待て!」


「な、おい、だって」


 生きていた、これだけ凄惨な血臭けぶる中に生存者がいる、どれだけ奇跡的なことか。信じがたい、それでも逸る気を抑えられないキンケードは救助の手を止める少女を驚きの顔で見返す。制止の叫びを上げ、太い腕を押さえつけるリリアーナはすぐに自身のポシェットへ呼びかけた。


「待てキンケード、まだ動かすな、もう少しだけ待て。……アルト」


<はい!>


「カミロを、診られるか?」


<お任せください!>


 アルトバンデゥスは既知の物質、生物であれば材質も構成もすべて遠隔で走査することが可能だ。その分子組成の詳細から、中身の状態までも。ぬいぐるみの操作もその応用だろうと考えていたのだが、やはり宝玉だけの状態になっても物体への探査能力は健在らしい。

 ポシェットから半ば身を乗り出したアルトは両の角をへこへこと動かしながら、ファラムンドへ乗り上げたまま動かないカミロの精査を始めた。


「その、ぬいぐるみ……しゃべるのか?」


「すごいだろう」


「いやまぁ、スゲーけどよ。それ何してんだ、早くファラムンドを、」


<リリアーナ様、生きてます、眼鏡男もまだ生きております!>


 キンケードと揃って息を飲む。

 そこからは急を要するため抱えられた腕から抜け出し、アルトをポシェットの中から引き抜く。全身に倦怠感が渦巻き、動作のひとつひとつがひどく苦しいがそんなことも言っていられない。寸分の間も惜しい。周囲に未だ残存している汎精霊たちを呼ぶため、視力に集中する。


「父は大丈夫か、あわせて状態を報告しろ」


<はい、父君は特に目立った負傷はありません。生命活動へ支障の見られる眼鏡男の負傷部位を先に申し上げます。後頭部左側に打撲、裂傷、内部への損傷は軽微。左肩関節脱臼及び上腕骨の骨折>


 集中の助けに両手をかざす。領域の宣言はすでに済んでいる、今やこの場所は精霊たちを従える限りリリアーナの意のままとなる領界だ。


【損傷部位の修復と治癒促進を手伝え】


 興味深げに様子をうかがっていた汎精霊たちが、その呼びかけに応え一気に集う。燐光をちらつかせながら横たわるカミロの全身へまとわりつき、その小さなものたちは力の欠片を集約してリリアーナの指示を実行する。

 部分である皮や肉を増幅し、骨を接ぎ、途切れた血管を繋ぎ合わせる。


<腹部、左内腹部を木材が貫通。腹膜と臓器損傷、血管の一時収束を確認、出血は軽微。治癒の準備ができましたら木材を引き抜いてください>


「キンケード、頼む」


「お、おう、抜いていいんだな!?」


 梁が貫くカミロの腹に、水場へたかる蝶のように光が集まっている。太い梁ではなかったことと、貫かれた後に身じろぎもしなかったらしいことが幸いした。梁自体が傷口を塞いで太い血管からの出血を防いでいたのだろう。体を覆っていた土砂もそれを助けたかもしれない。そうするとなぜ窒息死を免れたのか等の疑問も残るが、それらの探求は後回しでいい。

 キンケードが折れた梁を引き抜くと同時、肉と内臓の修復、血管と神経の接続を促す。痛み止めを施す余裕がなかったせいか、そこで初めてカミロの体が動いた。


 ……生きている。ふれる背中から微弱な鼓動を感じる。未だ生々しい肉の色を見せる傷口からは鮮血がこぼれるが、ちゃんと温かい。喉の奥が詰まる感覚をぐっと飲み込み、余分な感情を振り払って再生に専念する。


<右側腹部に打撲、内臓及び血管への損傷は軽微。左脚膝蓋骨破損、左腓骨より下が粉砕、下腿筋と血管が断裂しております、早急な修復を>


 腹へあてていた手を腿へ、膝から下が不自然に陥没している脚部へ。梁や木材の類は周囲にないため、おそらく落ちてきた岩にやられたのだろう。侍女の頭を潰したのも同じものかもしれない。

 手を添えて促すと、光の粒子はカミロの左足へと集まった。衣服の上からでもわかるくらい、原型を留めないほどに潰れてしまっている。さすがに骨と神経の組成を戻すには時間がいるだろうかと思ったところへ、アルトがぐるりと角を回す。


<汎精霊たちが、材料が足りない……と、言っているようです?>


「材料? 血も何も、ここに落ちているものを戻して再生できないのか?」


<水や炭素は周辺から調達していますが、骨と肉は破損が大きいため細胞組織を接ぐものが必要らしく。流れ出た血液も凝固がはじまって再利用が難しいようです。何か代替となる物はないでしょうか?>


 言われて周囲を見回す。侍女の死体がすぐそばにあるが、ソレを使うのはためらわれた。代替手段としては悪くはないが、単純に心情の問題だ。かといって自身の指などを差し出すわけにもいかない。


「これはどうだ、使えるか?」


 代わりに髪を一房つかんで差し出す。スカーフから引っ張り出したそれは、返事を得ることなく半ばからふつりと溶けて消えた。


<あ、あの、私の中綿もお使い下さい、動物の体毛なので組成は近いかと!>


 細かく振動して有用性を伝えるアルトを、修復が進む脚のそばへ置く。素材として中身を抜かれたのだろう、見る間にぬいぐるみがしぼんで外側の布地がぺたりと落ちた。

 あの雑貨屋で購入した骨の置物があれば良かったのだが、買った品は全てトマサへ預けたままだ。残る手持ちの物品としてポシェットを肩から外し、ブーツを脱いだ。いずれも動物の外皮からできており、留め具には牙も使われているはず。金銭を入れている小袋も薄いなめし皮だ、体毛が使えるならこちらも足しになるかもしれない。


「オレも何か出すか、何が要るんだ?」


「え、いや……お前をカミロの材料にするのは、ちょっとな……」


「なんだよそれ?」


「気持ちの問題だ」


「オレの気持ちはどうなるんだよ!?」


 そんな下らないやりとりをしていると、奥から再び小さな呻き声が耳に入る。

 はっと息を飲み、ファラムンドへと目を向けるとその瞼がゆっくり持ち上がるところだった。藍色の瞳がしばしさまよい、こちらを見る。


「リリアーナ……?」


「父上っ!」


「おぅ、ファラムンド……良かった、よく生きてたなぁお前」


「え、誰?」


「ほんっとお前ら親子揃ってオレの扱いひでーな! 回復したら覚えてろよマジで!?」


 ファラムンドとキンケードがうるさく騒いでいる間に、何とか脚部の修復は終わったらしい。集まっていた精霊たちが、仕事は終わったとばかりに散っていく。


<大きな損傷部位は修復できました。あとは本人の治癒能力に任せて、失われた体液などの再生に励むのがよろしいかと>


「そうだな。キンケード、もうカミロを移動しても大丈夫だ」


「これ、カミロなのか。重いから早くどかしてくれ」


「てめーな、命懸けで庇ってくれたヤツに対する台詞かそれ?」


 そう呆れながらも、慎重な手つきで伏せていたカミロを支えるキンケード。ゆっくり仰向けてやると、顔の半分が血で真っ赤に塗れていた。目を閉じた白い顔は、見慣れた眼鏡がないせいで別人のようだ。外したスカーフでその汚れを拭っているうちに、薄い瞼が震える。


「カミロ! カミロ、目を開けられるか?」


「……ぅ……、」


 薄く開いた唇から吐息混じりの小さな声が漏れる。

 乾きかけの血で貼りついた前髪を指で払ってやると、閉じていた目がうっすらと開かれた。

 その瞳に自分が映っている。こちらを認識したカミロが「リリアーナ様……?」と名を呟いたのを聞いて、やっと詰めていた息を吐き出した。それまで堪えていたものが吹き出し、眼球の奥が途端に熱くなる。視界が滲んですぐそばにある顔も見えない。


「こちらの身を案じていたくせに、お前が死にかけて、どうする……馬鹿者」


「……えぇ、不甲斐ないところをお見せしまして、誠に申し訳ありません」


 未だ全治とはいかず、体中が痛むのだろう。それでも目を細めて不器用な笑みを浮かべる男は、押し当てていたスカーフの上からリリアーナの手を握る。

 しっかりとした握力とその体温にしゃくりあげそうになって、濡れた胸へ顔を押し当てた。頭の後ろに手が添えられたのを感じる。コントロールの手綱が外れ、抑えきれない感情が溢れ出すが、また泣いてしまうのもみっともなくて顔をぐりぐりと押しつけた。


「旦那様は……?」


「おう、ファラムンドも何とか無事だぜ」


「……固い枕だと思ったらあなたでしたか」


「お前ら、ホント、何なの。鉄の心を持つオレでも泣くぞ?」


 しがみついたカミロの体は未だ乾かない血液で濡れていたけれど、押し当てた額にしっかりと鼓動が伝わる。血を失ったためか、やや低めの体温も。しゃべるたびにその振動が直接鼓膜を震わせる。

 おそらく、パストディーアーの観測ではカミロは死人に分類されていただろう。予めあれだけの汎精霊たちを集めていなければ、肉体の修復も間に合わなかった。梁と土砂で失血が遅れ、低体温の酸欠状態が続いたことでギリギリ命の雫が落ちきる前に再生の手が届いた。……生きている。失われずに済んだ命を、残っている力で精一杯抱きしめた。もう一滴たりともこぼさないために。


「何でうちのリリアーナがカミロに抱きついているんだ? アァ?」


「コイツが瀕死だったのは間違いねぇんだから、こんぐらい大目に見ろや」


「瀕死? そういえば馬車が揺れて、突然カミロが襲いかかってきたから華麗なカウンターブローを土手っ腹へ叩き込んで……」


「あぁ……右腹の鈍痛はそのせいですか。後で労傷申請通しますのでポケットマネー握り締めて楽しみにお待ちくださいこの野郎」


 頭上で交わされる大人たちの軽口を聞いている間に、少しずつ鼻と目の奥の熱が収まってくる。

 情けない顔を父たちへ晒すのはためらいを覚えるが、こうして無事の確認ができた以上そうも言っていられない。街からの人手が着く前に、詳しい状況がわかっていないファラムンドたちへ説明をして、それから上手いこと収めるための言い訳も用意しなくてはならない。

 一度街まで戻した自警団員たちは崩落した現場を目撃しており、馬車の内外には不自然な死体も転がっている。何もなかったでは済まないし、何かあったのなら崩れた山はどうなったという話になるだろう。ふたりが一命を取り留めたのは喜ばしいが、この後を一体どうするか。


<リリアーナ様、父君のすぐ後ろ、もうひとりいます>


「後ろ?」


 しがみついた格好のまま頭を悩ませていると、アルトからひそめた声音の念話が届いた。先ほどまではキンケードにも届くよう思念を飛ばしていた様だが、今はリリアーナだけに声をかけているということだろう。視線を向けると、くったりとした皮だけのアルトがボタンの目でこちらを見上げている。


<背にしている窓のすぐ外です、馬は死んでいますが、ヒトがひとり生きております>


「キンケード! 外だ、父上の背中側にもうひとり生存者がいる!」


 顔をあげてそう伝え終えるのと、キンケードが馬車を飛び出して行くのはほぼ同時だった。


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