第37話 崩落③


 突如、視界が暗転した。


 顔面と腹への圧迫感。何も見えない真っ暗な中、横方向への圧力が加わって内臓が浮く。上も下も分からない浮遊感に包まれたかと思った直後、全身を打ち付ける強い衝撃が伝わる。


「……っぐ!」


 肺腑を絞られる。その鈍い痛みにたまらず呻き、集中が解けた。

 円を描きかけた構成が、閉じた瞼の向こうで霧散するのを感じる。一体何が。脳が揺さぶられたことでひどい眩暈が起きている。状況が全く掴めないまま顔へ貼りついているものを引っ剥がした。分厚くごつごつとした、それはキンケードの手だ。


 同時に、頭のすぐそばで馬の高い嘶きと蹄の音が響く。砂を踏み、石を蹴る硬質な音。


「うぉっと、危ねっ!」


「――……っ!」


 腹の上に抱えられたまま地面を転がり、暴れる馬から距離を取る。平衡感覚などとうに手放していた。空と地面がぐるりと回って、視界も回って何が何だかわからない。痛む頭を押さえながら目を開けて状況把握に努める。


 焦点が合う。

 仰向けに寝そべって、空を見上げていた。

 視界いっぱいの青空と白いまばらな雲。視点が低いため地面がすぐ横にある。背中に感じる隆起はキンケードの厚い体躯だろう。……落馬したのか?


「っててて、……大丈夫か嬢ちゃん、痛ぇとこはないか!?」


「ぐらぐらする。何だ、落ちたのか?」


「落ちたのかじゃねぇよ! 鞍に立ち上がって妙なことおっぱじめるから、馬が怯えて振り落とされたんだよ、何してんだお前はっ!」


「……そうか、すまなかった」


 荒々しい剣幕でまくしたてられ、ようやく何が起きたのか理解した。

 振り落とされる瞬間に後ろから抱きかかえられた感触が蘇る。あの高さから落下し地面に叩きつけられる衝撃は、ほとんどこの男が肩代わりしてくれたはずだ。リリアーナを抱え、紐で固定されてままでは満足に受け身を取ることもできなかっただろう。

 未だぐらつく頭に手をあてながら、横たわるキンケードの腹の上から身をどかした。


〘あ、あぶな、あっぶなっ! ナイスよヒゲダンディ!〙


「うぉ! 今度は何だ!?」


〘あとちょっと遅かったらリリィちゃんの体が眼球ごとパ――ンってしてたんだから! んっもう、はちゃめちゃ焦ったわ、数百年振りに焦ったわよ!?〙


「何だ、このえらい別嬪なおねーさんは……いや、おにーさんか?」


 ふらつきながらも何とか立ち上がったリリアーナの周囲を、燐光をまき散らすパストディーアーがぐるぐると回っている。ようやく落ち着いてきたばかりのにまた目が回りそうだ。大きな蛾でも払うような仕草の手をかわし、金色の美丈夫は上半身を起こしたキンケードのすぐそばで停止した。


「……あまり、ヒトの前で実体化するのは推奨しない」


〘そっんなコトより! 何してんのリリィちゃん、ワタシついこの前言ったばかりじゃない、せっかくまた生まれたんだから、すぐ死んじゃわないでねって! 気をつけてねって言ったのに……っ!〙


<さ、さようでございますー! あぶっ、危ないところでしたっ、どうかお体もお命も大事になさってくださいリリアーナ様ーっ!>


 恐ろしい形相で濃い顔を近づけてくる大精霊と、ぱたぱたとツノを上下に振りながらポシェットの中で騒ぎ立てるアルト。

 落馬の衝撃によって幾分冷静さを取り戻したリリアーナは、呆けた顔でこちらを見ている髭面と、少し離れた場所で鼻息荒く足踏みしている馬へ目を向けた。頭に血が上っていたとはいえ、確かにあんな場所で行うことではなかった。余計な怪我を負ったキンケードと怯えさせてしまった馬には申し訳なく思う。


「キンケード、悪かった。打ち身は大丈夫か?」


「あ、お、おう。これくらいはどってことねぇけど……」


「パストディーアー、アルト、心配をかけた。精神状態に流されて我を忘れていたようだ」


〘んもう~慎重に生きてよねー〙


<ご無事で、何よりです。動揺のあまり思念が以前のものに戻ってしまいましてお恥ずかしい>


 そこは以前のままの方が無駄のない口調で良いと思うリリアーナだったが、青灰色の頭をひと撫でだけして、岩場の縁から父たちの埋まる土塊を見下ろす。

 未だ内臓を締め付ける苦しさは残っているものの、身の内を焼き焦がすような憤怒はいくらか沈静化していた。熱を伴う激情は、その温度で理性や思考をも燃やし尽くしてしまう。なまじ身の丈に合わない力を持ち合わせている以上、早く感情のコントロールを覚えなければ今後も危なそうだ。冷静に、安全に、ちゃんと考えて行動しなくては。


 そこで大きく深呼吸をして、リリアーナは再び両手を掲げた。


〘ちょーっ!? 何してんの、言ったそばから何しようとしてんのこの子ー!?〙


<リリアーナ様、はやまらないでください、おち、お、落ち着いて、深呼吸ー!>


「騒ぐな、今度は大丈夫だ。体が破裂しない程度に加減をした全力で犯人を殺す」


 視界へ集中を高めながら、基本の円を思い描く。

 何万回だって繰り返したことだ、ヒトの身として容量は萎んだとしても、簡易な構成を回すことくらいはできるはず。小さな体から絞り出すように縒り集め、かぼそい糸のような力を収束させていく。


 まずはこの地点より離れようと移動している者、もしくは付近へ潜伏している者を割り出す。自警団員とキンケードを除外した肉体を持つ知性生命体のピックアップとマーキング。それだけならば索敵範囲を領外へ広げても何とか保つだろう。処断は絞り込みのあとで構わない。頭を割るか、首を落とすか、体を裂くか、それともファラムンドたちと同じように土中へ埋め込んで圧殺してやるか。

 その前に馬車への襲撃を命じた者がいるのか、共犯がいるのかもきちんと吐かせなければ。冷静さを欠いているとこんなことも忘れるから困る。誰だろうと関係した者は許しはしない、残らず、全員、必ずこの手で殺してやる。



〘……あー、もう! しょうがないなぁ、ホントはポリシーに反するんだけど、……特別に教えてあげる。あの土の中ね、まだ生きてる人間がいるわよぅ〙


 虚空へ浮かびかけたおぼろな円が霧散する。


 耳に届いた言葉は、果たして現実だっただろうか。また熱に霞がかった思考が、自身に都合の良い言葉を思い浮かべただけではないのか。

 願望が、そうであったらという想いが、有り得もしない希望をちらつかせているのでは。早鐘を打つ鼓動、急激に上昇した血圧によって耳鳴りがする。頭が痛い。下ろした手で片方の耳を押さえながら、疑いをはらんだ目でリリアーナは背後を振り返った。


「パストディーアー、今の言葉、本当だろうな?」


〘はぁ……、大サービスなんだからね。あの埋まってる中にまだ生きてる人間がいるってのはホントよ。ただ、そばに死んだばかりのがいくつもあってごちゃっとしてるから、今生きてるのが何人分かは良くわからないわ〙


「おいおい……マジかよ、あんなのに潰されて、まだ生きてるって? それまさか犯人の野郎なんじゃねぇか?」


〘そこまでは何とも。でも、ひとりは確実に生きてるわよ、あとどれだけ保つかは知らないケド〙


「――……!」


 キンケードと視線がぶつかった。互いに、信じ難い思いに目を見開いている。突如もたらされた希望に、常闇の中へ灯った光に、白んでいた顔へ血色が戻る。吸い込んだ空気が肺を膨らませ、淀んでいたものを追い払い途端に視界がクリアになった。

 あれだけの大質量に押し潰されてなぜ生きているのか、窒息はしていないのか、何人が生きているのか、誰が無事なのか。今は何もわからない。


 ――それでも、『精霊は嘘をつかない』。



「アルト、キンケード、我に力を貸してくれるか?」


<勿論でございます、何なりと命じてくださいー!>


「もう訳がわかんねぇけど、何でもするさ! あと嬢ちゃんのソレな、我って言うのやめて『私』とか『わたくし』にした方が、頼まれた方のヤル気が出るぜ?」


 不敵な笑みを浮かべながら立ち上がったキンケードは、すぐそばに浮かぶパストディーアーを横目に警戒しながらそんなことを言う。片手を腰に置く姿勢は筋肉をたわめているようでいて、全く油断をしていない。大精霊は実体化したとはいえ、視界に姿が映るのみでおかしな気配など全くないはずなのに、鋭い目だけが笑っていなかった。

 街の中心に聖堂を建て、祈り崇めるほどヒトの間では敬われているらしいが、キンケードからはそういった畏敬の念のようなものが感じられない。レオカディオがそうであったように、精霊教に懐疑的な者もいるということだろうか。

 そんな威嚇とも取れる視線など気にした素振りもなく、パストディーアーは宙を滑ってリリアーナのそばへ浮かんだ。場にそぐわず、その顔はどこか楽しげだ。


「……本当に、その別嬪さんの言うことは信じていいんだな?」


「ああ。とてつもなく胡散臭いだろうがな。こいつを信じられないなら、我を……わたしを、信じろ」


「嬢ちゃんがそう言うなら」


〘ひどーい、せっかくイイコト教えてあげたのに疑うなんて!〙


 頬へ手をあて体をくねらせながら不服を漏らすパストディーアーへ、男は髭の生えた口元を歪めて皮肉げな笑みを浮かべた。


「悪ィな、オレは美人の言うことは素直に信じねーことにしてるんだ」


〘……! びっくり、めちゃくちゃストレートに褒められたわ、やだ、惚れそう〙


 リリアーナは岩場の縁から数歩下がり、下にいる自警団員たちから自分の姿が見えない場所まで後退した。怒りはまだ完全には鎮火したわけではない。それでも、今震えが止まらないこの手は殺意によるものではなく、一条の光に湧く心の昂ぶりだ。

 父たちを害した者は絶対に許しはしない。精霊を動かした事実がこの地に刻まれた以上、その痕跡をたどって必ず報復をくれてやる。

 だが、現状でまず優先すべきは未だ失われていないという命。誰のものかはまだわからなくとも、その灯火が消えてしまう前に今度こそ。


「キンケード、あそこにいる自警団の者たちを一旦この場から離したい」


「全員、街まで戻せばいいのか?」


「あとで生存者を……それと遺体を搬送する必要がある。一度全員を街まで戻して、馬車と二人乗り可能な馬を連れてこさせろ」


「わかった! ……って、生きてるヤツを掘り返すための道具や人手を連れてくるって話じゃねぇのか?」


 訝しげに眉根を寄せる男へ、片頬を上げて笑みの形を作って見せる。


「それはわたしへ任せろ。自警団と搬送のことはお前に託す」


「……ああ、信じるぜ!」


 力強くうなずきを返したキンケードは、切り立った岩へ駆け上がって眼下の団員たちへ声を張り上げた。背後にいても鼓膜がびりびりとする、とてつもない声量だ。他者を率いることに慣れた声音は、異常事態を前に怯んでいる彼らの心へ強く響くことだろう。

 一度街へ戻る旨を説明しているその後ろで、ポシェットに収まったアルトのやわらかいツノを握る。


「宝玉だけ呼び出して不自由をさせているが、ぬいぐるみの操作をするような余裕があるんだ。お前にも働いてもらうぞ?」


<お任せをー! 何なりとー!>


 まともな思考を取り戻しさえすれば、今の体ではあの土砂を自力で何とかするほどの構成を編めないことくらい理解できる。つい先ほど踏み外しかけた全力、それこそ肉体と眼球が破裂するほどの無理をすれば何とかなるかもしれないが、もうそんな手段は選ばない。

 生きて、できる限り生き長らえて、おいしいものをたくさん食べて、役割を謳歌しながら楽しい人生を送ると決めたのだ。せっかく手に入れた新しい夢を、こんなところで諦めるわけにはいかない。叶うことなら、父と同じ夢も追い続けていきたい。

 ……果たして誰が生き残っているのか、目の当たりにするまでは期待も願いもするまい。それが誰であろうと恨まないために。


「なにぶん、力が足りないにも程がある。アルトには出力を補ってもらうとして、あとは……」


 周囲の岩を、山を見渡す。

 初めて訪れた場所、初めて眼で映した風景。そもそも生前はキヴィランタから出ることのなかったリリアーナにとって、ヒトの領域自体に馴染みがない。土着の汎精霊はもちろんのこと、大気中へ漂うものたちだって『魔王デスタリオラ』の眼を知らないだろう。いくら強力な精霊眼を有していても、ただ命じたところで自在に言うことを聞いてくれるとは思えない。

 ヒトとして生まれ直したリリアーナ自身につきまとっている物好きな精霊など、パストディーアーくらいなものだ。


「ここの精霊たちを動かしたいが、どうするかな。何か新しいものや歓ぶものを見せるにしたって、今からでは」


<キヴィランタから呼び寄せるのは難しいでしょうか?>


「今の体では、それをした時点で力尽きるな」


 自分とアルトの出力だけでは構成を回しきるのに力不足だ。自前の魔法でできることと言えば、せいぜい一抱えの土を吹き飛ばす程度。

 鼓動の早い胸を、服の内側へ収められたペンダントを押さえる。以前カミロから渡された精白石の護符とやらは、どうやら一方的に危機を伝えるだけの構成しか刻まれていないらしく、馬上で揺られながら探ってみてもカミロ側の安否を確かめることはできなかった。中に詰められた石も小さすぎて、力の補助にもなり得ない。

 本来の機能が役に立たないそれは、正しくただのお守りだ。固い感触を服の上から握りしめ、リリアーナにとって大切なふたりの大人を想う。


 ……力を。

 助けとなる力が要る。自前で絞り出すものに限りがある以上、周囲の精霊たちに助力してもらうより他ない。力が足りない、なんて生前では考えられなかった状況に頭を回転させる。

 手持ちの道具にいくつか心当たりはあれど、今はそれらをインベントリから引き出すにも力不足が否めない。キヴィランタへ助勢を頼む、その手段も全く不可能というわけではないが、相手の座標もわからない以上は無駄な力は使えない。すぐそばに大精霊もいるが、これに頼るなどもっての外だ。未だ生存者がいると教えてくれただけでも十分有り難いと思うべきだろう。

 頬を撫でる風、乾いた空気を吸い込む。土の匂い。大規模な魔法を行使された直後で、未だあたりには土着の汎精霊たちが舞っている。ちらちらと瞬く光の粒子。見慣れない光景に、精霊眼越しにもたらされた光に、期待をされている。新しいものを見たい、楽しいことをしたいと意志なき声がさざめく。

 働きの対価として支払うのは、彼らの望む通り「楽しいこと」だ。眼前の膨大な土砂や倒木を丸ごと何とかするには、この汎精霊たちを集め、喜ばせ、自主的に協力してもらう必要がある。


 その方策に考えを巡らせるうち、汎精霊たちの喜んでいる様子であれば、つい最近も目にしたことをリリアーナはふと思い出した。


「そうか、……聖句だ」


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