第31話 コンティエラの街


 無事にコンティエラの街へ到着し、まずはどこかその辺の厩で馬を預けるものとばかり思っていたリリアーナだが、キンケードの先導で二頭の馬が到着したのは一軒の邸宅の門前だった。

 高い柵で囲まれた庭はよく手入れされており、青々とした木立の隙間には黄色い果実が覗く。その向こうに見える赤錆色の屋根が邸宅なのだろう。領主邸ほどではないが、街中に並ぶ他の家々と比べれば敷地面積も家屋の大きさもかなりのものだ。

 門の前には身なりの良い男と侍女らしき少女が立っており、キンケードが片手を挙げて挨拶をすると揃って恭しく頭を下げた。


「ようこそおいで下さいました。リリアーナお嬢様、お初にお目にかかります。私はこのイバニェス家別邸の管理を任されておりますベルナルディノと申します、どうぞお見知り置きを」


「うむ、出迎えご苦労。別邸か……では父上もここに滞在することがあるのか?」


「最近はあまりご利用になられませんが、ええ、旦那様は街の商工会との会談などに使われたり、他領からのお客人が宿泊されることもございます」


 焦茶の髪を撫でつけた痩身の男はそう答えると、侍女と共に門扉を開けて馬上の三人を促した。

 街の中にイバニェス家の別邸があることも、そこで馬を降りることも聞いてはいなかったが、キンケードの態度や出迎えを見る限り最初からそういう予定だったようだ。


「どうぞ中へ。すぐにお茶の支度も整いますが、お出かけの前に休んでいかれますか?」


「いんや、時間が限られているんでな。悪ぃが馬だけ預かってくれ」


「承知いたしました。では、二頭はこちらで責任を持ってお預かりいたします」


 休息への誘いを断ったキンケードはその場で颯爽と馬を降り、リリアーナの方へ両手を伸ばした。「つかまりな」というぶっきらぼうな言葉に従いその手を取ると、軽い荷物のようにひょいと馬から降ろされる。

 何か文句を言うかと思ったトマサは、その扱いに対して特に叱責を飛ばすこともなく、静かに馬を降りてエプロン姿の少女へ手綱を預けた。いつも通り礼儀正しい所作で挨拶を交わしてはいるが、やや浮かない表情に見えるのは気のせいだろうか。

 そのまま別邸を辞して広い通りへ出るまで、トマサが口を開くことはなかった。




「さーて、そんじゃまずはどこから見ていくかねぇ。中央通りから北には行かねぇようにするんだろ?」


「ええ。風車通りの先にある商店を一通り見て頂いて、それで不足があれば赤煉瓦の通りへ行けば良いでしょう」


「りょーかい。じゃあ嬢ちゃん、こっちだぜ」


「歩幅と速度には注意なさい。先行しすぎてはぐれても放置しますからね」


 トマサとキンケードのふたり、そうして小気味よく会話する様子からは特に仲が悪いようには見受けられない。どちらかというと気が合っているのではないだろうか。

 護衛なのになぁとぼやく男は言葉通り放置し、トマサはリリアーナへ向かって片手を差し出した。


「リリアーナ様、お手を。通りは人の多い時間帯ですので、どうかはぐれませんようご注意くださいませ」


「うん、今日はよろしく頼む」


「お任せください。ではまず、服飾小物や置物などを扱っている商店が多く並ぶ通りへ向かいます。何かお目当ての品などは定まっておりますか?」


「それが全くだ。店で色々と眺めて、物を見ながら選びたいと思う」


 トマサの細い手を取り、現状では全く見当がついていないことを打ち明ける。

 掴んだ指先は自分のものよりだいぶ冷たい。手綱を握っている間は厚手の手袋をしていても、長く風に当たったせいで体が冷えてしまったのだろう。買い物が早めに済んだら、何か温まるものでも食べに寄れたら良いのだが。


 トマサの言う通り、立ち寄った商店の並びは人がとても多く、値切りの交渉や威勢の良い呼び込みなどで想像以上の賑わいを見せていた。

 性別も年齢も背格好も様々なヒトが、これだけたくさんいる様子を目の当たりにするのは生前を合わせても初めてだ。思わず空いた手で自分の顔をさわり、どこもおかしな部分がないことを確かめてしまう。この中へ紛れれば、自分も通行人の一部。今では単なるヒトの幼子でしかないのだから、何も心配することなどない。下ろした手でそっとアルトの頭にふれる。

 そんなリリアーナの様子は、たくさんの人間を目の当たりにした驚きと怯えにも見えたのだろう。トマサは安心させるように繋ぐ手へ少しだけ力を込めた。


「質のイイもんはもうちょっと奥の店だな、しっかりついてこいよ」


 キンケードは歯を見せて笑うと、肩をいからせながらのんびり歩き始める。大きな体が先導するすぐ後ろは、道が開けて思ったよりも歩きやすい。なるほど、巨躯はこうした面でも便利なものだ。

 広い背中を見上げながらしばらく歩くうち、よそ見をする余裕も出てきた。

 ちらちらと左右へ視線を巡らせて、人々が売り買いしている様子を観察する。服飾と言っていた通り、高く積まれた生地や色とりどりの古着、装飾品などが多く目につく。簡易な台や地面に広げた敷物の上に商品を積み、対面販売をしているらしい。


「店というか、屋台のようだな」


「はい。この辺りは自身で店舗を構えていない者や、他の村から出稼ぎに来たものが場所代を支払って商品の販売をしているのです」


「場所代……ほう、そういう仕組みもあるのか」


 呼び込みや値切りの声がよく聞こえていたのは、露天の店が多く並んでいるためだったらしい。確かに店を出している者たちが陣取る背後には建物がなく、日除けに張った布の向こうは街路樹や石造りの壁が並んでいる。店の出ていない時間帯はそれなりに広い通路となるのだろう。

 物珍しさからあちこち見ているうちに、次第に通りの雰囲気が変わってきた。喧騒から抜けて少し呼吸がしやすくなる。

 この辺からは建屋を構えた商店の並びになるらしい。次第に人通りが減っていき、見通しが良くなると店の看板が目に付くようになった。


「よーし、この辺で物色してみるか。嬢ちゃん、まだ歩くが足は痛くねぇか?」


「問題ない。毎朝散歩をして鍛えているからな」


「ッハ、そいつぁいい!」


 日課としている中庭の散歩は、かつての歩行練習の延長であり、今では体力作りも兼ねている。まだ成人がするような鍛錬はできなくとも、軽く汗をかくくらいの歩行を続けることは決して無意味ではない。

 ヒトの体は脆く弱いものだ。動作に不便のないよう、常日頃から骨も筋肉も鍛えておかなければ長生きどころか護身もままならない。

 小さな手を握って、開く。かつての魔王の肉体とは比べるのも馬鹿らしいほど脆弱な体。ヒトは、ちょっとしたことですぐに死んでしまう。



「んで、まずはどの店から覗いてみるよ?」


「うむ……。衣服はわからないから無しだな。他に身につけるものというと装飾品や鞄などになるか?」


「あとは置物だとか壁に飾るモンとかも扱ってるみてーだけど、まぁ、ぼちぼち見てけばいいか」


「そうだな、どうせ次兄の好みなど分からないから、何かピンとくるものがあればそれにする」


 何を贈るべきか散々思案していたわりに、行き着いた答えは適当極まりないものだった。

 そもそも相手の好みを知らず、何が似合うのか見繕うのも不得手な自分が選ぶのだ、最初から相手に喜ばれるものを探し当てるなんて無理に決まっている。

 であれば、よほどおかしな物でない限りは直感で選んでも同じことだろう。あのカミロだって心で選ぶべきだと言っていた。

 するとリリアーナの宣言が何かのツボに入ったらしく、キンケードは腹を押さえて盛大に笑い出した。


「あっはっは、はっは! いーじゃねぇか、そうそう、ピンときた物でいいんだよ贈り物なんざ、渡した時点で役割は終わっちまうんだし」


「……『贈り物』だから、贈ったらただの物になる、という意味か?」


「何も難しい話じゃねぇよ、どうせ贈る側の自己満足なんだし、自分が贈りたいと思った物なら何だっていいだろってことさ」


「ふむ、一理あるな」


 プレゼントを贈ることで満足感を得る、という一面も確かにあるだろう。自分の五歳記の誕生日では、贈られた品がどれも嬉しいものばかりだった。だから同じように、プレゼントをするなら贈られる側が喜ぶものでなければいけない、という思い込みがあったのかもしれない。

 キンケードの言葉に感銘を受けてうなずいていると、トマサがぴんと眉をつり上げた。


「リリアーナ様が心を砕いてプレゼントをお考えになっているというのに、自己満足とは何ですかその言いぐさは!」


「本人だって納得してたろ、今」


「おだまりなさい。言葉を改める気がないのなら、もうあなたは護衛だけに徹して口をつぐんでいれば良いのです」


「おーおー、悪かったね。そんじゃ黙ってますよー、このガミガミ陰険女」


 まぁまぁ、と仲裁に持ち上げた手が宙を泳ぐ。こちらの心情を慮ってくれるトマサの気持ちは有り難いし、キンケードの言葉に一理あるとうなずいたのも確かなのだ。どちらにも落ち度はない。

 こういう時は何と言って諫めるのが効果的なのだろう、手をさまよわせたままどうにか穏便に収める言葉を探した。


<リリアーナ様、この種類の言い合いは放っておかれた方がよろしいかと>


「……だが、大元の原因は我にあろう」


 アルトからの念話に、ポシェットを持ち上げて小声で返す。


<いえいえ、決してそのようなことはございません。彼らの口喧嘩はその名の通り、まさに口だけのもの、コミュニケーションの一環なのです。じゃれ合いに過ぎませんからどうせまたすぐに収まりま、>


  ゴッ


 ……という爽快なヒット音と共に、振り抜いたトマサの拳によってキンケードの巨体がやや宙に浮き、やがて崩れ落ちた。


「……」


<……>


 ――あぁ、そうだった。侍女たちへは食事指導と共に、多少の筋力トレーニングやストレッチなどを教えていたのだ。必要な栄養素を補い、無駄な熱量を省き、弱っていた骨や筋肉を無理なく効率的に鍛えるすべを、それぞれに伝授した。

 特にトマサは勉強熱心で、腕や腹回りの筋肉を鍛えるために闘拳の型なども鍛錬のメニューに加えていた。実戦はなくとも、呼吸を整え、集中しながら空気を打ち続けるだけで体の中の主要な筋肉を鍛えることができる。

 この四ヶ月弱の間、たゆまぬ努力と持ち前の勤勉さで教えた鍛錬を続けてきたのだろう。トマサの痩せすぎだった体には程良く筋肉がつきはじめ、骨ばっていた箇所も目立たなくなってきた。体幹の意識、両足の踏ん張り、重心移動に伴う効果、呼吸法についても教えた。握力、背筋力、総合的な膂力もだいぶ上がったはず。


「うん、伝授したことがきちんと身についているようで、何よりだ」


<目指したものは、本当にこれだったのでしょうか……>


「何よりだ」


<……はい>


 事情も分からぬ通行人たちが、立ち止まって拍手を送っている。

 リリアーナは呆然と立ったままいるトマサの右手を取り、日頃の努力を称えるべくそれを持ち上げてやった。……だが身長差があるため、あまり上がらない。ついでに自分の右手も上げてバンザイをすると、なぜか拍手が大きくなる。謎の盛り上がりを見せる観衆、甲高い口笛まで飛んでくる。収拾がつかない。


 いつの間にか輪になっていた通行人たちの拍手に見送られながら、そのままトマサの手を引いて手近な商店へと逃げ込んだ。


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