第19話 すごい焼き菓子


 リリアーナが退室した後、部屋に残った従者の若者は額に汗を滲ませながら、すぐに侍従長への報告を始めた。

 令嬢との対話を邪魔してしまったことは痛恨だが、事が事だけに一刻も早く伝えなければならない。


「お屋敷へ通われている官吏の方が、先程、街の聖堂前に立ち、大声で告解を始めたそうでして」


「告解……?」


 聖堂内でならともかく、前に立ってとは一体どういうことか。カミロは顔色の悪い若者を前に腕を組み、先を促す。


「その内容なのですが、上層部の後ろ盾と、これまで各地で語り聞かせを担当してきた立場を傘に、その、集会所などで、気に入った子どもへ、あの……えっと……、」


「まさか、とは思いますが。聞き手である子どもへ虐待行為を?」


 面を貼り付けたような顔で見下ろす侍従長の言葉に、従者は喉の奥で「ヒー!」と叫びながらこくこく頭を縦に振る。


「いや、触った程度だと本人は言ってましたが。聖堂前は今、大騒ぎです。集会所へ子どもを通わせていた親も大勢おりますし。泣きながら改悛の念を語る官吏へ石を投げる者や、聖堂へ押し入って真偽を確かめようとする者たちでごった返して……」


「自警団は?」


「はい、もう出ております。騒ぎを鎮静化させ次第、こちらへも問い合わせが来るのは時間の問題かと」


「この忙しい時期に余計な手間を増やしてくれますね。わかりました、対応の準備はしておきましょう。あなたは引き続き街の情報を」


「はい!」


 従者の若者が駆け出ていった扉を内側から閉めて、カミロは自身を落ち着かせるために今一度、眼鏡のブリッジを押さえて深く息を吐いた。そして使用した茶器を手早く片付ける。

 何てことだ。聖堂内でも位の高い官吏が、よりにもよってそんな許し難い不逞を働いていたなど。

 間を置かず理解させられる形となったが、先程リリアーナが語った用件とはこのことを指していたのか。


『授業は何事もなかった。だが、これまで後ろ暗いことを色々やってきたらしいな。悔い改めるそうだから、もう講師はできないだろう』


 ――何事もなかったとは言うが、官吏の突然の行動に今日の講義が関係しているのはまず間違いない。

 リリアーナが何かを告げたのか、それとも何かしたのか。本人があの流れで語らなかったことから、先程の話以上を聞き出すのは難しいだろうと判断する。

 それでも、自身が直接カミロへ報告に来ることで少女は道理を通したのだ。自分もその行動と思いに対し、誠意で返さねばならない。


「まずは事実関係の確認と、官吏本人からの聞き取りですね」


 洗いざらい白状してもらう必要がある。何せ、こちらは聖堂と中央からの強い要請で講師として受け入れ、何よりも大事な子どもたちを預けていたのだから。

 信用という無形の橋を粉微塵にしてくれたツケは大きい。官吏本人と、そんな者を放し飼いにしていた聖堂へ思い知らせねばならない。

 リリアーナがレオカディオの話を持ち出したことも気掛かりだ。

 今頃は自警団が官吏の身柄を預かり事情を訊いている頃だろうから、こちらへの問い合わせが入り次第、自分が立ち会いに向かう必要がある。

 夕方までには使者が来るはずであり、それまでに書類仕事だけでもけりをつけて時間を捻出しなければ。

 目下、一番の問題であるファラムンドへの説明をどう穏便に済ませるか、侍従長は気の重さに眉間を揉みながら隣の執務室へと向かった。





 自分の報告により父親たちがひと悶着起こしているとも知らないリリアーナは、部屋に準備されているであろう午後のおやつを想い心踊らせていた。

 手紙でのリクエストを受けたアマダは、食事の増量だけでなくきちんとおやつも増やしてくれている。見た目では大して変わっていないよう、偽装を施すのも忘れてはいない。

 装飾にこだわらないリリアーナから見ても、繊細に飾られたお菓子は目にも楽しい。

 作るごとに経験を積んでいるためか、日を経る内に飾りがどんどん精緻なものになっている辺り、元々アマダはそういった手先の器用さを活かした細工物が向いていたのかもしれない。


「リリアーナ様、お帰りなさいませ。侍従長は捕まりましたか?」


「ああ、時間を割いて話を聞いてくれた。あれは優秀な男だな」


「むう、リリアーナ様からそう素直に褒められているのを聞くと何だか悔しいですね……」


 空のトレイを手にしたままフェリバが口を尖らせた。「でも、私にはリリアーナ様のお手紙があるもーん」とその場でくるりと回り、トマサに叱られる。

 カミロへも同様の手紙を書いて渡してきたことは、今は黙っていた方が良さそうだ。


「リリアーナお嬢様、お疲れ様でございました。こちらにお茶の準備が整っております」


「うん、さっそく頂くとしよう」


 つい今しがた控室で飲んできたばかりでも、気心の知れた侍女が淹れた香茶は別腹だ。

 ……従者用とでは茶葉の品質も段違いなのだが、香茶の味を覚えたてのリリアーナはまだそこまで気にしない。


 席につくと、ふわりと甘い匂いが鼻を掠めた。焼き菓子特有の空腹をくすぐる優しい香ばしさに、春先の花のような淡い香りも混じる。

 トマサが銀のクロッシュを外すと、白い皿には厚みのある四角い焼き菓子がちょんと載っていた。

 所々に花を模した無機質な飾りが添えてある。ナイフの先でつついてみると、少し硬いが端からパラパラと崩れるのを見るに、もしかしたら砂糖で出来ているのかもしれない。


「こちらのハニーシロップをかけて頂くそうですよ」


「ほう、なるほど」


 ガラス製の小さな容器から、琥珀色をした液体が焼き菓子の上に注がれる。とろりとした蜜は焼き色のついた上面に溜まるが、側面からは吸い込まれているようだ。

 ナイフを入れてみると多少の手応えがあり、その断面はこれまでの焼き菓子と違って何重もの層になっている。

 一口分を切り分け、白い小花を乗せ、シロップをたっぷりとつけてから口へ運ぶ。


「――…………!!!!?!」


 なんだ これは。

 驚愕に目を見開きながらも口はもぐもぐと咀嚼を続け味覚嗅覚触覚フル稼働である。

 未だかつてない驚嘆と歓喜に体の芯から震えた。鼓動が大きくなり、白い頬が花の色に紅潮する。


 ……これは! すごく! うまい!!!


 ヒトに生まれて約五年、日々が感動と感心の連続ではあったが、その中でも上位三指に入るほどの衝撃だった。

 舌の上でほろほろと崩れる薄い層に甘い蜜が程よく絡まり、砂糖で作られた花の硬い食感が面白いアクセントになっている。

 とろりとしたシロップをよく吸い込んだ焼き菓子は濃厚で、全くぱさつきを感じない。層になっているためサクサクとした歯ごたえもあるが、蜜を吸った部分はしっとりまったり。

 一口噛むごとに濃厚なシロップが染み出して、焼いた香ばしさとほろほろ崩れる薄い層が絡まり口の中いっぱいに溶けてゆく。

 飲み込めば余韻とともに鼻腔を通り抜ける、甘やか花の香り。

 ――……これは、すごい。アマダすごい。


「こ、この焼き菓子は、何という名前なんだ?」


「うーん、シロップをかけるようにとしか聞いていないんですよねぇ。確認してきましょうか?」


「いや、これから夕餉の支度などで忙しくなる頃だろう。また後日でも構わない」


「わかりました、夕飯を運ぶ時にでも聞いておきますね」


 皿の上の小じんまりとした菓子は、リリアーナの小さな口でもあっという間になくなってしまった。

 お代わりを望むような真似はしないが惜しくは思う。もっと成長したら大きなものを提供してもらえるのだろうか。

 口元を拭い程よく冷めたお茶を飲みながら、興奮の余韻を味わうように満足の息を吐く。

 これが特別なご馳走という訳でもなく、普段のおやつとして出てくるのだからアマダの腕前は末恐ろしい。さらに研鑽を積んだら一体どうなってしまうのだろう。

 どうか他所へ引き抜かれたりしないよう、雇用条件などは実力に見合った待遇で持て成し、長くイバニェス家に仕えてもらいたいものだ。

 もうずっと一生アマダの作るごはんを食べていたい。

 ……他の人間が聞いたら目を剥きそうなことをリリアーナは本気で思った。



「はぁ、……とてもおいしかった。アマダはすごいな」


「ふふふふ、そうでしょう〜……っあ、いえ、何でもありませんよ、何でも」


 慌てて取り繕うフェリバの不審さには見て見ぬ振りをする。

 これだけの腕前ならば、厨房を預かる父親を自慢に思うのも当然だろう。なぜ親子であることを隠そうとするのかは分からないが、本人に言うつもりがないのなら触れずにいるべきか。

 頬を染め得意げな様子を隠しきれていない侍女を微笑ましく思いながら、代わりに動くたび『たふん、たふん』と揺れる胸元を横目に見ていた。

 フェリバは他の侍女たちと背丈はさほど変わらず、手足も普通にすらりと伸びているのに、どうも生育が部分的に偏っている。特に胸や尻が大きくて見るからに重そうだ。

 ずっとこんなおいしいものを食べて育ったのなら、体のあちこち肉付きが良いのも頷ける。やはり熱量の高いものを多く摂取すればこうなるのか。

 侍女としての仕事をこなすのも大変だろうから、以前教えた運動と食事のとり方が功を奏せば良いのだが。


 それを口に出さない程度のデリカシーは備えつつ、自分は成長してもこのまま胸が出なければいいなと、思考は生前のまま全く成長していないリリアーナだった。


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