第18話 デキる男


 執務室に隣接している控えの部屋は、普段侍従たちが忙しなく出入りをしている場所、ということくらいしかリリアーナは知らなかった。

 未だ立ち入り可能な範囲を制限されている年齢であり、大人たちが仕事をしている部屋に足を踏み入れるのはこれが初めてのことだ。

 わくわくと周囲を見渡してみれば、窓と暖炉のある壁以外はほとんど書物の棚で埋められている。背表紙のあるもの、ないもの様々に見えるが、さすがに手に取って中を確かめることまではできない。


「こちらへおかけ下さい」


「そう時間は取らせないぞ?」


「私もちょうど一息つきたいと思っていた所なのですよ。もしよろしければお付き合い下さい」


「そういうことならば……」


 隙を見て話しかけようと、以前のように執務室の前でカミロが出てくるのを待っていたわけだが、多忙な侍従長に隙なんてものはなかった。

 出直そうかと考えていた所を、こうして忙しいはずの相手に気を遣われる始末。精進が足りない。

 多少気まずい思いを抱えながらリリアーナが引かれた椅子にかけると、カミロは従者が自分たちで使うための茶器やポットを取り出し、保温具合を確かめてお茶の準備を始めた。

 その手際に滞りはなく、カップとソーサーを重ねても音がしない熟練の手技はフェリバよりも余程なめらかだ。

 白い手袋をはめた手がまるで手品のようにお茶を淹れる様子を、テーブルからぼんやりと眺めていた。

 蒸らしを終えてカップへ注ぎ入れ、短い距離をわざわざトレイに載せてこちらへ運んで来る。


「そちらは、また厨房長へのお手紙でしょうか?」


「ん?」


 テーブルへカップを置いた手が差し示す先には、リリアーナが持ち込んだ薄紫色の封筒があった。

 元々カミロ経由で私用として与えられたものだ、もちろん見覚えはあっただろう。だがこれはアマダへ宛てたものではない。


「この手紙は、お前宛てに書いたものだ」


「私に?」


 それは予想していなかったと、眼鏡の奥の目がほんのわずかばかり見開かれた。堅物と言われる侍従長は、そうして鉄面皮を崩せば普段よりもいくらか若く見える。

 無骨な眼鏡をかけているため正面から相対しないと気づけないけれど、左目には上下の瞼に古い傷跡があった。もしかしたら縁の厚い眼鏡はこれを隠すためのものなのかもしれない。

 ……眼鏡の有無に関わらず人相が悪いことに変わりはないが。

 リリアーナはカップの位置を少しだけずらしてから、改めて持参した手紙を正面に着席したカミロへと差し出す。


「侍女と、レオカディオ兄上と、カミロ。普段世話になっている者へ書いたのだ。拙い内容ではあるが受け取ってくれ」


「世話だなんて……、いえ、有り難く頂戴いたします」


 まだ驚いているらしいカミロは、恭しく両手で封筒を受け取る。

 ここへ来る前にお付きの侍女三人へも、それぞれに書いた手紙を渡してきた。

 諸手を上げて喜ぶフェリバ以外のふたりは口元を隠して震えていたが、そこまで慄くほどの内容ではない。各々へ、普段の感謝を短く綴っただけの簡素な手紙だ。挨拶相当にさらっと受け止めてもらえれば嬉しいと思う。


「それで、用件なのだが」


「あ、あぁ。ええ、お伺いしましょう」


 出されたお茶を一口飲んで、居住まいを正したカミロを見上げる。


「単刀直入に言うと、聖句の授業を受け持っていた官吏がもう来られないから、精霊教については読書による自習とさせてもらいたい」


「官吏殿が?」


 眉根を寄せ、「何かあったのですか?」と声をひそめる侍従長へ、わずかに悩んだがもう少しだけ事情を話すことにする。


「授業は何事もなかった。だが、これまで後ろ暗いことを色々やってきたらしいな。悔い改めるそうだから、もう講師はできないだろう」


 その言葉に、眉根どころか額にまでぎゅっとしわが寄る。釣り目がちな人相の悪さは、かつて魔王の右腕と自称していた豪鉄将軍にそっくりだ。

 リリアーナがほのぼのと懐かしんでいる対面で、カミロは俯きがちにブリッジへ中指をあてて眼鏡の位置を直した。


「実は、リリアーナ様の習得がお早いので、聖句の授業は次回の講義で終了とする旨、聖堂へ通達を行ったばかりだったのです」


「何? そうだったのか」


 ならばわざわざ報告に来る必要も、忙しい侍従長の時間を取らせることもなかったということになる。手紙を渡すという目的もあったから、こうして話すための時間を割いてもらえたことは正直に有り難いが、申し訳ないことをした。

 そんな思いが顔に出ていたのだろうか、表情を立て直したカミロは制するように手のひらを前に出し、続ける。


「お伝えするよう指示を出していなかったのはこちらの落ち度、リリアーナ様がお気にされることはありません」


「……ひとつ、確認したかったことがあるのだが」


「はい、何でしょう?」


 柔和な声とともに、促すよう上品な手が差し向けられる。

 会話中に身振り手振りの多い男だが、その仕草の全てはさり気ないもので、話の流れやペースを上手い具合に誘導している。

 おそらくは交渉事も得手としているだろう、とリリアーナは口を開きながら内心で当たりをつけた。


「レオカディオ兄上も講義を途中で切り上げて、読書での自習となったろう?」


「そうですね、お兄様からお聞きになられたのでしょうか? 最近は特に仲がよろしい様だと聞き及んでおりますよ」


 何やら嬉しげなカミロに対し、返答に困り香茶の表面に映る自分の顔を覗き込んだ。

 別に否定したいわけではないが、素直な肯定も難しい。


「仲が良い、と周囲には見えているのだろうか。……あれは、何だかよく分からない子どもだ」


「分からない?」


 自分の年齢を差し置いて、兄を子どもだなんて言うのもおかしかったかもしれない。

 それでも、正直誰かに聞いてほしかったという思いもあるため、カミロへ少しだけ吐露することにした。


「表情を取り繕うのが上手いのだということは、何となく理解できる。だが、本音と建前が混濁しすぎていて妙な感じだな。どちらか一方を取り繕っているならまだ分かりやすいのだが」


「……まぁ、彼も難しいお年頃ですから」


「お年頃?」


 ヒトの子どもは、十歳前後にあんな性格になる時期が訪れるものなのか。

 首をかしげていると、カミロは「妹君にそこまで看破されていては彼も立場がない」などと呟き、口の端へ苦笑めいたものを浮かべた。


「尊敬する兄と優秀な妹に挟まれていますからね、色々あるのでしょう。今後の、精神面の成長も見守って差し上げてください」


「そういうものか……」


 よく分からないことに変わりはないが、ヒトとしての年長者からそう言われたからには、しばらく様子を見てみることにしよう。互いに成長を経れば、そのうち理解できるようになるかもしれない。

 やはり先達の言葉はためになる。あの官吏のようなロクでもない者もいるが、ヒトの大人との対話は中々有意義だ。


「助言感謝する。ひとまず話を戻すが」


「はい、聖句の講義を切り上げた件ですね」


「兄上自身から申し出があったのか?」


「……はい。聖句の暗唱もすでに問題ないようでしたので、私が許可いたしました」


 ほんのわずかだが、何かを回顧するように眼鏡の向こうで目が細められたのを見逃しはしない。

 普通のヒトの肉眼では捉えられない程度の微細な変化。それでも、この男が表情に出すほど何を思ったのかまでは推測の材料が足りない。


「元々、お父上のファラムンド様は、幼い子へ精霊教の講義を受けさせることをお望みではなかったのです」


「そう、なのか? 精霊信仰は聖王国でも主だった宗教だと聞いているが」


 つい魔王時代に聞き及んだことを口にしていまうが、一般の認識だとカミロは受け取ったらしく、返答にさして気を留めた様子もなく話を続けた。


「信仰は各々の自由ですから、幼いうちに思想を染め上げるようなことを良しとしなかったのです。それでも中央と聖堂からの強い要請がありまして、子ども相手の講義を得意とする官吏が推されて来たのです」


「なるほどな……、立場上断るのが難しい事柄もあるだろう。染まるほどの内容でもないし、気にしてはいない」


 むしろ、幼い自分にそこまで打ち明けてくれたことに驚く。

 カミロは終始、仕える相手の娘だからというだけではなく、きちんと『ひとり』としての扱いをしてくれる。そこに年齢も性別も挟まない、徹底したその振る舞いには貫通する理念と、従者としての意識の強固さを感じる。

 中々、尊敬をもって接することのできる大人ヒトだ。


「ご理解を頂けると助かります。聖句とは別途、そのうち魔法の講義も始まりますし。こちらはきちんと私たちが選定した教師についてもらいます」


「そうか、そうだな。うん、そちらも頑張るぞ」


「はい。精霊教については、もし自習をされるのでしたら書斎の蔵書がお役に立つでしょう。ちょうど五歳記を控えておられますから、それが過ぎましたら私がご案内いたします」


「あぁ、それは助かるな。書斎にある本を読んでみたかったのだ」


 魔法についてはひとまず置くとして。書斎への案内を頼む前に、侍従長の方からそれを申し出てくれるとはついている。

 常に忙しくしており手隙の時間が掴みにくいため、カミロ側の都合をみて声をかけてくれた方がどちらかというと助かるのだ。


 ……と、そこで。リリアーナが内心ほくほくでいると、叩扉なしに突然ドアが開かれた。

 揃ってそちらを振り向けば、ドアノブを手にしたままの従者が「あっ」と声を漏らし、ばつの悪そうな顔をする。

 まさか自分たちが使う控室で、侍従長と令嬢がお茶をしているとは思わなかっただろう。無精を責めることはできない。


「お邪魔をしまして大変申し訳ありません、あの、侍従長、少しだけよろしいでしょうか?」


「急用らしいな。こちらの用件はもう済んだから大丈夫だ、そろそろ失礼しよう」


 カミロが何かを答える前にそう言い置いて、リリアーナは足のつかない椅子からひょいと飛び降りた。

 元々仕事の邪魔をするつもりはなかったのだ。手紙を渡し、さらには有益な約束も取り付けられたのだから、この辺で切り上げて自室へ戻ろう。


「慌ただしくて申し訳ありません」


「いや、こちらこそ押しかけて邪魔をしたな。またそのうち、時間があれば話を聞かせてくれ」


「はい、是非とも」


 立ち上がったカミロは扉を大きく開けてリリアーナをエスコートする。廊下まで送り、胸の下へ手をあてて優雅に一礼をした。

 何か言おうかと思ったけれど、今の身に相応しい言葉が出てこなかったためとりあえず黙ってうなずき返す。

 侍従長はそこにいた侍女へ部屋まで送るよう申し付け、控室へと戻っていく。足音もドアが閉まる音もさせないのはさすがの一言だ。


 あれだけ有能な男が父の側近をしているというのは心強い。短い会話だけでも得るものは多く、今後も良い勉強になるだろう。

 特に生前は周囲が脳筋ばかりだったため、頭のキレる者はそれだけで重宝する思いが強い。

 領主の執務の補佐をして、更に使用人たちの取りまとめまで兼任し日々多忙な様子だが、折を見てまた対話の機会を設けられれば幸いだ。


 機嫌を上向きにしながら、リリアーナは侍女の後について自分の部屋へと向かった。


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