第13話 ごはんへ届いた


 リリアーナの食事は三食とも私室として与えられた部屋の中央部、丸いテーブルへと用意される。

 椅子さえ用意すれば四人は座れそうな大きさだが、ここで食事をとるのはリリアーナひとりだけで、他の家人を招いたこともない。

 静かすぎる食卓にやや物足りなさを感じることはあるものの、四年も続けていれば慣れもするし、この屋敷での常識ならば受け入れるより他ない。

 いつも時間になると刺繍の入ったテーブルクロスが敷かれ、カトラリーなどの準備がされる間に当番の侍女がワゴンで食事を運んでくる。

 クロッシュを外し軽い毒味をしたあと、皿の盛り付けや種類を確認しながら配膳されるのが常だった。


 ここ数日は、その際に少しだけ確認の手が止まる。


「今日も飾り付けが綺麗ですねぇ」


「あら本当、根菜を切ってお花を象っているのかしら」


 小声でそう交わした後、侍女たちは笑顔のままリリアーナの目の前へ皿を並べていく。

 その言葉通り、主菜の皿には赤と白の根菜の輪切りを花に見立てた飾りが施してあった。

 スープの中にも、香りつけの葉を何らかの動物と思しき形に切り抜いたものが浮いている。

 デザートの果実は皮の縁がレースのようにカットされていた。


 ここ最近リリアーナの食事へ施されるようになったこうした飾りが、侍女たちにはずい分と好評なようである。

 可愛らしい、見目に華やかだとニコニコしながら配膳するため、そこにばかり気を取られて三人とも全く気づかない。


 主菜の肉も、スープもパンもデザートも、明らかに量が増えていることに。


 その期待以上の仕事振りにリリアーナは歓びを隠しきれない。喜色満面とまで行かずとも、嬉しさに目を細めて薔薇色の唇が綻ぶ。

 普段は無表情でいることの多い少女が、可愛らしい料理を前にふわりと微笑を浮かべることは殊更侍女たちを喜ばせた。

 本当は飾りなどではなく増量にご満悦なのだということにも、彼女たちは気づけなかった。


 肉は少し前より厚切りのものを、食べやすいように細かくカットしてから再び組み合わされている。

 丸いパンは一見すると変わらないように見えるが、少しくり抜いた中にチーズとベーコンが詰めてあり、抜いた部分は押しつぶして小花の形に散らされていた。もちろんこれも食べられる。

 スープは野菜の切り方が以前より大きくなって、しっかり煮込んだ茎の部分も入れられるようになった。

 おやつもデザートもこの数日は水気の多い果実が続けて出されている。甘いクッキーやパウンドケーキよりもこちらの方が好ましい。


 アマダは見事リリアーナの要望通りに食材を選別、調理してくれた上、傍目には増量がばれないようにする工夫まで凝らしてくれたのだ。


 ――手紙作戦、大成功である。

 腹は満ちる、好物が食べられる、侍女たちはご機嫌と良いこと尽くし。

 厨房の者たちには余計な手間をかけさせることになったが感謝しきりだ。そのうちきちんと礼をした上で、何か気持ちばかりの品でも用意できたらとリリアーナは考えていた。



 食事の量が増えたお陰で、夕方や就寝前の耐え難い空腹も収まった。

 これで、あとは苦手な聖句の授業さえなくなればイバニェス家での生活において不満点は何もなくなるのだが、その点だけは改善が思うように進んでいない。

 どうやら精霊教についての語り聞かせは、本来なら五歳の誕生日を迎えた後、六歳辺りから始まる授業らしいのだが、読み書きの教授に熱心な夫人からの強い勧めによりそれが早まったようだ。

 早くても遅くてもどのみち苦手なことに変わりはない。どうにかして短く切り上げるか、授業を修了までもっていくかしないと気鬱が溜まる一方である。


 レオカディオから話を聞いた後、さっそく書斎へ行きたい旨をフェリバとカミロへ伝えてみたのだが、そちらは五歳を過ぎたらと保留にされてしまっている。

 どうも、五歳を祝う誕生日は節目という以外に、何か大きな意味のあるものとして扱われているらしい。

 リリアーナの知り得ないヒトの文化の何某かだ。それについては詳しく聞かされないまま、あと二週間もすれば誕生日の当日を迎えることになる。


 何が待ち受けているのかは知らないが、ひとまずそれさえ終われば書斎への入室権が手に入るらしいし、晩餐のご馳走も楽しみだ。

 もう生まれ直して五年も経つのかと感慨に浸りながら、リリアーナは教えられる前から得ていた綺麗なマナーで黙々と目の前の食事を平らげていった。



 夕食を終えて温かい香茶をちびちびと飲みながら、翌日の予定について考える。

 午前に読み書きと歴史、午後には社交についての基礎を教わることになっていた。

 先に大人への対応を学習しているが、次は同年代の子ども同士の関係について教授することがあるとか。今後役に立つ知識だろうから、しっかり聞いておいて損はない。

 読み書きはこの年齢で修める内容に関してもう十分と言えるし、その時間を使い約束した手紙を書かせてもらえないか交渉してみよう。

 特に問題視する授業もなく、明日はのんびり過ごせそうだ。


 ただし、明後日にはまた精霊教の講義が入っていたはず。それを思うとやや気が重い。

 すでに聖句の暗唱など問題なくこなしているというのに、聖堂の官吏とやらは毎回同じ話を延々と繰り返し、リリアーナに聖句を唱えさせ、更にひとしきり語ると満足したように帰って行く。

 それが仕事だというならそういうものかと思うより他ないが、こちらはもう十分だから、その分他の子どもへ講義をしてやれば良いのではないだろうか。

 誕生日を過ぎて書斎への出入りが叶ったら、改めてカミロへもう聖句の授業は不要である旨を伝えてみよう。

 ぬるくなった香茶を飲み干し、視界の端にちらつく金色を無視しながら湿ったため息をついた。


「リリアーナお嬢様、お代わりはいかがなさいますか?」


「うむ、もう満足だ」


 夕食でしっかりと腹が満ちるようになったお陰で、香茶のお代わりをして空腹を紛らわす必要もなくなった。

 いつもは二杯から三杯ほど飲んでいたが、これからは一杯でも十分だろう。あまり飲みすぎると夜中に排泄へ起きたりと面倒もあったから、それも解消されるのは有難い。

 何だか早い時間から眠たくなってきたのも満腹になったお陰だろうか。滞りなく消化に励めと、腹の辺りをさすってみる。


「お腹が痛いのですか?」


「いや、たくさん食べたから満腹だと思っただけだ」


「左様ですね、リリアーナお嬢様は好き嫌いせずに、何でもお召し上がりになって下さいますから。私たちは無論、厨房の者たちも喜んでおりますよ」


「喜んでいる?」


 それはこちらの台詞なのだが、と首をかしげれば、背の高い侍女のトマサは茶器を片付けながら微笑んだ。


「幼い時分は、食べ物の好き嫌いが多くて手を焼くことが多いのですよ。ですがリリアーナお嬢様はいつも残さず食べて頂けるので」


「そうそう、野菜も魚も平気じゃないですか、うちの弟たちなんて全然野菜を食べなくて手を焼いたんですよー」


 横からフェリバが口と一緒に身を乗り出せば、「はしたない」とトマサが叱りつける。

 細い長身で前髪も全て後ろへまとめたトマサは、ぴんと伸びた棒のような硬質な印象がある。作法にも厳しく、廊下で良く年若い侍女たちを叱っているようだが、規律に沿い常に規範たろうとする姿勢は好ましい。

 フェリバがやや緩く、カリナがおおらかな分、三人で程よくバランスが取れているのだろう。


 それにしても、とリリアーナは反対側へ首をかしげた。


「食材に対する好悪は、味の好みという意味か?」


「そうですね、野菜の苦味だとか、魚は臭みや骨が嫌だとか色々ありますが。リリアーナお嬢様は苦手な食べ物があまりないのでしょうか?」


「うーん、パサパサした食感のものはあまり好まないな。出されれば大抵は何でも食べると思うが」


 そもそも、この屋敷で出される食事はいずれも美味しい。味覚を覚えたばかりのリリアーナでも上等な料理だと分かる。

 厨房長の心配りを見るに、幼い子どもの食事だろうと手を抜かず毎日きちんと作られているのだろう。

 食感の好みはあっても、せっかくの食事を残すなんてことはしない。


「美味しいのは無論のこと、体の生育に必要な栄養素は無駄にはできない。きちんと摂取して成長しないことにはな」

 

 短い手足では階段の行き来がつらいし、本を持つ手も疲れる。アルトバンデゥスを引き出すのにも苦労させられた通り、今の状態では力の行使にも体が追いつかない。

 成長を気長に待つつもりはあるが、あと十年も経てば不自由なく動けるようになるだろうか。


「毎日たくさん食べていればイヤでも大きくなりますよ。っていうか、その割に太る気配ないですよねリリアーナ様」


「こら、無礼ですよフェリバ!」


 きりっと眉をつり上げたカリナが叱咤する。

 首をすくめながらも懲りないフェリバは、「脂肪つかないの、まだ小さいからかなぁ」なんてあごに手をやりながら呟く。さすがのリリアーナもその言葉は聞き捨てならない。


「脂肪は栄養素の余剰を溜め込む働きだろう、思考と運動できちんと消費していれば溜める余裕など生まれない」


「……」


 食物からエネルギーを得る体の基本構造は、魔王領の住人とてヒトと変わりはない。

 以前の自分には備わっていなかった機能でも、その働きくらいは知識として備えている。


「穀物、肉類、野菜をきちんと摂取して、歩行などで体全体を毎日動かす。腹や足などの大きな筋肉へ多少の負荷を与える。消化器官への負担を減らすため必要外の間食をしない」


「……」


「そういった当たり前の食生活と運動を続けていれば、年齢に関わらず育つ部分は育ち、不必要なものはつかない」


「……」


 そうして知っていること、実践していることをいくつか並べてみれば、どうも侍女三人の様子がおかしい。


「年齢に関わらず……」


「育つ部分は育ち……」


「不必要なものはつかない……」


 焦点のぼやけた目でリリアーナの言葉を繰り返す。

 その虚ろながらも妙に鬼気迫る様子に、しばし言葉を失って身をすくめ、テーブルへ置いていたアルトを手に取った。



 ……二の腕やお腹の贅肉が気になりだすお年頃のフェリバ、十八歳。

 ……長身の割に肉がつかず骨ばった体躯を気にするトマサ、二十四歳。

 ……二児の産後太り以降どんどん丸みを帯びたカリナ、三十五歳。


 それぞれが持つ体型への悩みに、リリアーナの言葉は深く深く突き刺さった。


「リリアーナ様、あの、食べ物と運動の仕方について、もう少し詳しくお聞きしたいんですけど」


「え、あぁ、別に構わないが……少し長くなってもいいのか、そろそろ下がる時間だろう?」


「「「よろしくお願いします」」」


「おう……」


 かくして、眠気の限界を訴えるリリアーナの就寝時間まで、四歳児による侍女たちへの食事指導と健康指南は続けられた。


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