第12話 百合咲く中庭②


「それで、聖句の授業の話だが。レオ兄のときはどう感じた?」


「あぁ、その呼び方いいよね、うん、可愛い。下の兄弟ができたらそう呼んでほしいなって思ってたんだ、嬉しいなぁ」


「それで、聖句の授業の話だが。レオ兄のときはどう感じた?」


「……そういうとこは可愛くないよね、アダル兄にそっくりだ」


 不意に飛び出した長兄の名に、もっと詳しく話を聞いてみたくなるが今は先に聖句の件だ。

 快活でありながらスープへ浸しすぎたパンみたいな態度を取る兄は、放っておけばいくらでも話題がそれていく。

 そういう個性もあるだろうと理解はすれど、逐一軌道修正をしなければ肝心の話が進まない。


「僕もアダル兄も聞いた内容は同じだと思うよ。あの官吏は聖堂以外の、集会所って言うのかな、そういうとこでも領民の子どもへ同じ話をするらしいし」


「なるほど、そういう受け持ちなのか」


「精霊教についての本を読めば同じようなこと書いてあるのに。耳障りな声を聞いて時間の無駄をするより、そっち読むだけで十分だよね」


 どうやら下の兄はあの官吏のことがずい分とお気に召さないらしい。

 少しばかり話を聞いただけではどんな人物なのか把握には至らないものの、リリアーナとしても正直あまり好感は抱けなかった。

 他の教師たちにはそんな風に感じたことがないため、てっきり精霊教への悪感情が影響しているのかと思ったが、どうもそれだけではないらしい。

 目の端にちらちらと映る金色の光から焦点をずらしつつ、話を続ける。


「レオ兄はあの官吏が嫌いか?」


「うん、嫌い」


 断言が返ってくる。よほど気に食わないのか、普段は笑顔ばかり浮かべている幼い顔が珍しく嫌悪に歪んでいた。


「リリアーナも、あの授業がイヤだったらカミロか父上に言うといいよ。書斎にもっと詳しく書いてある本も置いてるし、勉強ならそっちでできるだろ」


「それは良いことを聞いた。次回があることを思うと少しばかり気鬱だったのだ、感謝する」


「……本当に何もされてない?」


「向かいの机で熱弁をふるっているのを聞いていただけだが?」


 こちらの目をのぞき込むように顔を寄せるレオカディオへ、何かあるのかと疑問を返す。

 少年は逡巡するような間を置いてひとつ息を吐くと、また普段通りのわかりやすい笑顔を浮かべた。


「普段の授業については僕が先輩だからね、何かわからないとこがあったらいつでも聞きに来てよ」


「そうだな。そうさせてもらう」


 兄であり、ヒトの子としては五年の先達だ。やや捉えどころのない子どもではあるが、何か困ることがあれば頼らせてもらおう。


 木立ちが揺れ、一拍の間を置いて吹いた風が互いの髪を巻き上げる。

 自分の髪より少しだけ色の濃い一束が風になびくのを目で追った。


 レオカディオは薄紫の髪に、藍色の瞳をしている。

 宵と朝焼けの間隙、瞬きの空を映す色が揺れるのを見て、かつての臣下にも似たような髪色の者がいたことをふと思い出した。

 父ファラムンドと長兄のアダルベルトはふたりとも黒髪だから、次兄だけがリリアーナ寄りの容姿ということになる。

 顔立ちもどちらかと言えば長兄より自分に似ているようだ。


「何? 僕の髪さわりたい?」


「いや、全く興味はない」


「えー、侍女たちはいつも、レオカディオ様の髪はサラサラで綺麗ですねーって言いながら結ってくれるのに。リリアーナは短い方が好き?」


「いや、全く興味はない」


「……リリアーナってさ、なんかさ、僕にばっかりちょっと冷たくない?」


 そうさせる原因は当人の方にあると思う。リリアーナがそれを指摘する前に恰幅の良い侍女、カリナが小さく手招きしているのが目に映った。

 気晴らしに少しだけ歩くつもりが、意外と話し込んでしまったようだ。予定外の同行者はついてきたけれど、そのお陰で気分がいくらか上昇したことは素直に有難い。


「次の予定が入っているから、そろそろ部屋に戻ろうと思う。レオ兄はまだここにいるのか?」


「あ、僕は馬術の先生に呼ばれてたんだった。仕方ないよね、怒られそうになったらリリアーナから精霊教の授業について質問受けてたって答えておくよ!」


 何やら調子の良いことを言いながら、レオカディオはさっさと踵を返す。

 時間帯から考えても、何か用事の途中だったことは間違いないだろう。

 階段で俯きがちに歩いている妹を見かけ、自分の予定を置いて声をかけてくれたのだとしたら、もう少し兄としての敬い方を見直さなくてはいけないかもしれない。

 あの性格的に、ただの興味本位でついてきたという可能性も濃厚ではあるが、ひとまず礼を込めて見送りに手を振るリリアーナだった。



「あ、書斎の場所を聞き忘れたな……」


<書斎でしたら、他の者に案内をさせても問題ないのでは?>


「それもそうか。精霊教の本とやら以外にも興味はあるし、空いた時間に訪ねてみよう」


 レオカディオが離れた途端、ポケットのアルトから念話の声が届く。

 厨房と違って、訪ねる理由を問われたところで困りはしない。そろそろ部屋に与えられた童話や子ども向けの図鑑を繰り返し読むのにも飽きてきたからちょうど良かった。

 一度訪れた部屋ならばアルトに案内させることが可能なため、最近は屋敷を歩いても迷うことがなくなって重宝している。

 折を見て誰かに書斎の場所を訊いておくとしよう。




 侍女のカリナに先導させて中庭から戻る途中、扉の開く音に足を止める。

 噂の直後というこのタイミングで廊下の向こうへ姿を見せたのは、長兄のアダルベルトと侍従長のカミロだった。

 最近何かと接することの増えたカミロと違い、上の兄の顔を見たのはいつ振りだろうか。

 リリアーナに気づいた侍従長は腰を折って一礼を向ける。

 だがアダルベルトはこちらへ一瞥を寄越したのみで、足を止めることなく階段へと歩み去ってしまった。


「……せっかく作法を習ったのに、ごきげんよう兄上と挨拶する間もなかったな」


「アダルベルト様は、最近は特に忙しく勉学へ励んでいらっしゃいますから」


 もちろんリリアーナ様もがんばっておられますよ、と二児の母でもあるカリナは慮って続ける。

 領主の嫡子ともなれば、やはり幼い頃から何かと大変なのだろう。覚えるべき事項も身につけなくてはならない事柄も膨大であることは想像に難くない。

 のんびり好きにさせてもらっている自分とは責任も立場も大きく異なる。兄への理解を示すようにリリアーナはひとつうなずき返した。


「将来この領を背負って立つことが決定付けられている身だ、幼いうちからその双肩にかかる重みは幾許か」


「もっと幼いリリアーナ様にそんな風に心配されてしまうのも、その、何と申しますか。でも、わたくしはアダルベルト様を応援しておりますよ」


 両の指を組み、アダルベルトの未来を祈るようにそんなことを言う侍女にわずかばかりの引っかかりを覚える。

 まるで自分以外の誰かは、別の人物を応援しているとも聞こえるが気のせいだろうか。



 黒髪をすっきりと短くしている長兄は、リリアーナと面立ちの似たレオカディオとはだいぶ印象が異なる。

 手足が伸び始めて幼さが抜けてゆく年頃、たしかこの前の冬で十一歳になったはずだ。

 誕生日におめでとうと声をかけ合う以外に言葉を交わした記憶もない長兄は、見かける度にいつも難しい顔をしている。

 子どものうちから眉間にそんなしわを寄せていたら、癖になって取れなくなるのではないかと心配に思うが、気難しい性格をしているのだろうか。

 そういった神経質そうな面も含めて、三人の子どもの中では一番父のファラムンドに似ていた。


 ……つまり、レオカディオとリリアーナは母親似、ということになるのだろう。

 ヒトの遺伝についてあまり詳しくないけれど、容姿の類似点からそう推測しても間違いではないはず。


 『魔王』として在った頃は、親というものが存在しなかった。覚えていないだけで、もしかしたら生みの親はどこかにいたのかもしれない。

 それでも、その役割のために生み出され、両の足で大地を踏んだときから『魔王』は『魔王』だ。自分はかつてデスタリオラとして世界に創り出されたモノ。

 役目を全うして生を終えるその瞬間まで、その点に関しては不満など抱きもしなかったし、己の生に充足を得て死を迎えたのだ。望まれて生まれ、望まれて死んだ自分は、きっと幸せだったはず。


 ――顔も見たことのない実の母。

 未だ会いたいと思ったことはないが、『リリアーナ』を生み出した母親という存在に瞬きの間、想いを馳せた。


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