第63話 始まり

 ジョルバーナは紐解いていた厚い本をテーブルの上に置いた。皮の装丁がされたその本は古いものだとされている。この世界に初めて魔女が降り立った頃から存在しているとされていた。本当か嘘かはジョルバーナにも判断はつかない。しかし、その本を構成する紙はなめらかで長い年月が経ったというのにその表面の文字ははっきりとしている。


 現代において最高の技を誇る偉大なる魔女の一人であるジョルバーナをもってしても、その紙を再現することはできない。また、書いてある内容も半分以上は理解できなかった。ジョルバーナは本の上に覆いかぶさって凝った首を回してほぐす。もうあまり時間がないというのに解読が進んでいないことにいら立ちを感じていた。


 読み解けた内容のうちの一つがロムルスにも魔力線があることであり、この星に降り立った魔女はロムルスからやってきたということだった。ジョルバーナが知りたいのは、なぜ魔女はロムルスを去ったのかということである。已むに已まれぬ理由があったとするならば、ジョルバーナの計画は困難に直面することになる。


 ジョルバーナはかなり前からファハールとドミニータの長きにわたる戦争の趨勢が読めていた。ドミニータが有利になること、そしてそれに伴いファハールがドミニータと手を組むことはほぼ確実だとの結論に達している。所与の条件から推論を積み重ねていきいくつもの選択肢から確実なものを予測するのはジョルバーナの得意とするところだった。


 問題は両国による魔女の粛清の嵐が自分に及ぶかどうかなのだが、その可能性は高いと判断する。一度血の臭いに酔ったら最後まで狂乱は収まることはないだろう。人間は数がもともと多いうえにその力はこの数年で飛躍的に向上しており、もはや魔女は絶対的な強者ではなくなっていた。


 もちろん、ジョルバーナが本気を出せば甚大な被害をもたらすことはできる。各地の力ある魔女を糾合すれば圧倒することも可能だろう。ただ、有力な魔女同士は基本的に没交渉であり個人主義の権化のようなものなので共闘は現実的ではない。それに、人間を滅ぼしてしまっては魔女も困るのだった。


 多くのことに長けている魔女も生あるものを育むのは苦手である。植物の栽培や畜産は不得手であった。さらに料理の腕も壊滅的で自分の手料理で体調を崩して死んだ魔女もいたと伝えられている。そういった部分を請け負ってくれる人間を魔女は必要としていた。


 その反面、人間の方では魔女は必ずしも必要な存在ではない。魔女が編み出した手法を模倣するだけならそれなりにうまくできるのだ。威力や効果が落ちるにしても数で補えばいい。それに魔法の力によらずにそれに代わる方法がドミニータやベールラントで実用化されつつあった。


 結局のところ、時代の流れは魔女の凋落をはっきりと示している。それが分かるジョルバーナは無駄な足掻きはしないつもりだった。しかし、一方でジョルバーナは目の前にある古代の書物を手に入れてからというもの、ある妄執にとらわれていた。ロムルスの大地にあるものをこの目で見、自分の手で触れてみたいという好奇心である。


 苦労の末、ロムルスまで飛翔可能な乗り物を作るところまではこぎつけたがそこで障害にぶつかってしまう。自分では操縦できないということが分かり、ジョルバーナは計画の変更を余儀なくされた。そのタイミングで飛行隊にイカれた箒乗りがいるという話を聞きつける。


 何より飛ぶのが大好きで、操縦技術が抜群だった。ファハールの空軍の歴史の中で打ち立てられてきた記録を次々と塗り替えている。そのパイロットが第3飛行隊のハンナ・ルーという大尉だった。折よくドミニータに寝返っていないかのテストを行うグランマムを求めているという話を聞きつけ自ら手を挙げて面接をする。


 結果は完ぺきだった。何より本人の中により高いところを飛びたいという気持ちとロムルスへの憧れがある。技量もさることながら、この2つがないことにはジョルバーナの計画に使うことはできない。依頼してきた相手にハンナの保証をして原隊復帰をさせてから、自分の元に呼び寄せた。


 実際に自分の作り上げたロムルスへの船ヘリオーンを見せた時のハンナの態度は頼もしいものだった。基本的なところを理解したうえで的確な質問をしてくる。何よりもこの計画に興奮して目をキラキラと輝かせていた。何度も練習用の装置で経験を積ませる。すぐにハンナは扱い方のコツを習得していった。


 ヘリオーンのプロトタイプでの試験飛行も成功裏に終わる。ハンナは見事にこの星の魔力による推進から、ロムルスの魔力による推進に切り替えることに成功したのだ。ほんの5本ずつの箒の切り替えに過ぎなかったが、あとは同時に取り扱う本数の問題で時間が解決すると思われた。


 しかし、買収して手なずけていたファハールの高官からの手紙が届き、状況はジョルバーナの予想していたよりも相当早く進行していることが判明する。手紙には3日後にファハールとドミニータが停戦することが書かれていた。

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