四話 月光


「お連れしました」

 エルピースは終始抵抗し続けていたが、気が付けば兵士にアリスと子爵が談笑する応接室に連れて来られていた。

「アリス!!」

 アリスを見た途端、エルピースは彼に駆け寄ろうとした。しかし兵士に抑えられ、更にアリスがとても冷たい目でエルピースを見やったので、驚いてその場に立ち尽くす。するとその隙を突くように手に嵌めていたホークを兵士に無理矢理に抜き取られ、それは子爵へと渡された。

「ホーク!」

『エルピース!』

 子爵の手の中で輝き、ホークは鳥の姿に戻る。けれどすぐに用意されていた鳥籠の中に入れられてしまい、籠の中でバタバタと騒ぐが逃げ出せない。

「こちらをお探しで?」

「えぇ、それはS級遺物。皇帝令にて回収が義務付けられたものです」

「これがそうなのですか、アルセーヌ殿が言うのだからそうなのでしょう」

 しかし、子爵は中々それをアリスに渡そうとはしない。会話はそこで途切れお互い笑顔のまま見つめ合っている。

 その光景をエルピースは不安そうに見つめた。

 アリスを信じている、けれど今現状、アリスと子爵は自分たちなど関係無い話をしている。アリスの目的は確かに最初からホークを、ワルキューレを回収するということだった。自分たちを守るのも助けるのも、アリスの仕事では無いのだ。優先すべきはホークを回収するということ、エルピースは今、それを思い出す。

「此度の件、貴殿の貢献は私の方から王にお伝え致しましょう」

「おぉ、それほどの事はしておりませんが……お役に立てたのなら何よりでございます」

「えぇ、ではそちらを頂きましょう」

 アリスは寒気がするほどの笑顔だった。

 しかし子爵もまたその笑顔に恐れ慄く事もなくアリスを見つめ返し、何故だか鳥籠を差し出さない。まだ何か要求でもあるのだろう。

「それから………エルピース、一時でも私の監視下から逃れワルキューレを奪ったことは王への反逆罪にも問われかねません」

 アリスはそこでようやくエルピースに視線を向けた。しかしその瞳の褪めざめとした様にエルピースは恐怖でぞくりと体が震える。

 それは今まで見て来たどんなアリスとも違う、底の見えぬガラス玉のような瞳だった。

「どんな理由があろうと個人での所有は許されない。たった一時でも私物化するのなら極刑に値する、これはそれだけの価値があるもの………」

 そしてそう言ってから、子爵に手を伸ばす。

「回収致しましょう」

 笑顔を崩さず見つめられ、子爵は目を細くするとにっこりと微笑んで鳥籠を渡した。

 エルピースはその様子を縋るような瞳で見つめている。

 けれどもやはり、アリスはとても冷たい目でエルピースを一瞥するだけだ。

「それでは、私はこれで」

 立ち上がったアリスは、不意にエルピースの目の前へと歩き出す。その様子に子爵と警備兵は一瞬だけざわめき、エルピースも目を見開いて、思わず笑顔を浮かべそうになった。しかし。

「これもA級遺物ですから、回収させて頂きます」

 言いながら、アリスはエルピースの首に手を伸ばし、彼女自身には一瞥もくれることなく首輪だけを鮮やかな手つきで外してみせた。

 それは従属の首輪、アリスの飼い犬である証だと、彼が言った。

 あんなに疎ましかった首輪だが、今それを外される行為は、どんな言葉よりも態度よりも、より確かに彼に見捨てられた事実をエルピースに突き付ける。

 アリスはそのまま丁寧にお辞儀をし、振り返りもせずに部屋を出て行ってしまった。

「お送りしろ!」

 子爵の言葉に兵が一人慌てて出て行ったが、残されたエルピースはその扉をただ見つめる事しか出来なかった。

「まさかお前、従順な王の犬如きに何か期待していたのか? あははは! これは愉快!」

 子爵の言葉に、エルピースの肩が揺れる。それは、言葉にせずとも今一瞬頭に浮かんだことだった。考えたくはなかったが、今起こったこと全てがエルピースにそう告げていた。

「さて、オークションの準備をしようか」

「ピエール様!」

 と、部屋に兵士が慌ただしくやって来て、何事かを耳打ちする。すると子爵は一瞬目を瞠ったかと思うと、少しだけ忌々しげに舌打ちをした。

「まぁいい、準備だ」

 兵士がエルピースの腕を引き、部屋から出てどこかへ向かう。その途中、廊下で担架を持った兵とすれ違う。担架の上には布が掛けられ、その布には血が滲んでいた。しかし何事かと凝視しようにも無理矢理に前へ引かれて担架はすぐに背後へ過ぎ去ってしまった。連れていかれるままに、エルピースは歩む。

 シエルを助けなくては、シーザーは上手くやっているだろうか。逃げた子供たちはどうなっただろう、レイブンはちゃんと彼らを助けてくれただろうか。

 どこかでアリスを頼っていたのかもしれない。だから自分はここまで強気にやって来られたのだ。遺跡の時だってそうだ、レイブンが居たから堂々としていられた。けれども今、エルピースには何もない。


 たった一人、旅立つ事を恐れ帰らぬ人の帰郷を待ち続けた孤独な日々があった。

 あの頃から何も変わっていない。誰かがいないと何も出来ない無力な少女。シエルやシーザー、奴隷にされた子ども達と自分に差があるのだとしたら、自分は祖父とブリュンヒルデに守られていたということだけだ。

 それに今頃気が付いた。自分には何も無いのだと。

 不安で堪らない、これから自分はどうなるのだろう。自分はただ、ブリュンヒルデに会いたかっただけなのに。会って、伝えたかっただけなのに。「ごめんなさい」と「ありがとう」を、自分と過ごすのがもう嫌になったなら、戻って来なくても構わないから。


「ブリュンヒルデ……」

 誰にも聞こえない小声で呟いた。こんな事に巻き込まれていなければ、あの竣工式で会えたかもしれない。今頃二人で笑いあえていたかもしれない。

 兵士たちは茫然自失のエルピースに戸惑いながらも、ちょうど良いとメイドにその身柄を預ける。メイド達はまるで人形でも扱うように彼女を風呂に入れ、髪の染料を流し、身支度を整え、真っ白なドレスを着せた。

 メイド達が騒ぐ。

 真っ白な髪、真っ赤な瞳、少し日に焼けてはいるが透けるように白い肌。

 汚れを落とし飾られた姿は、まるで妖精か魔物か、この世の者とは思えない幻想的な容姿をしていた。

 エルピースはけれども終始、感情もなく人形のようにされるがままだ。

「これは素晴らしい! 想像以上ではないか!」

 椅子に座らされ髪を梳かれているところに子爵が現れた。何事かをベラベラと話していたがエルピースはそれをぼんやりと聞いていた。これは高い値がつく、キルナの娘にも劣らない、あれはもう助からないだろうがこれならあれがいなくとも元が取れる。

「助からない……?」

 ハっとした。エルピースは子爵を見つめる。その様子に子爵はにやりと厭らしく笑った。反応すると分かっていたのだろう。

「女装をして私を欺こうとしていたあの小賢しい小僧だよ。屋根から落ちて頭を打ったらしい。全く煩わしいことだ」

 目を見開いた。子爵の胸倉を鷲掴むが、エルピースの力など大した事もなく簡単に振り払われてしまった。

「今日のオークションはお前ひとりだ。だがこれならお集まり頂いたお客様にもご納得頂けるだろう」

 髪の毛に触れられそうになり、避けようとすると思い切り髪を掴まれた。そのまま強く引っ張られ痛みに耐えながら子爵を睨み付ける。

「《白雪の乙女》というのはどうかな? 身に余る商品名だろう」

 子爵は笑った、高らかに。

「あぁ、安心しなさい。あの少年は一応治療しておいたよ。瞳は綺麗な空色だったからねぇ、あれはあれで良い商品になる」

 頭に血が昇った。けれどもどうすることも出来ない。ただただ、子爵を嫌悪の眼差しで睨む他に、出来る事が何もない。

 五年前の、あの時感じた絶望と似ている。目の前の全てから色が消え、真っ暗闇に落とされたような、絶望。

「さぁ、来い」

「待って!」

 それでも、エルピースの瞳は子爵を睨みつけた。その瞳の輝きは失われてはいなかった。

 絶望を振り払い旅に出た時から心は決めている。そうだ、何があっても、どれだけ無力でも、自分に嘘を吐いて生きていくことだけはしないと。最後まで、諦めたりはしないと。例えそのせいで死んでしまったとしても、ブリュンヒルデに、祖父に、自分に、恥じるような生き方はしないと。

 そう誓って、旅に出たのではなかったか。

「シーザーに会わせて! シエルにも!」

「はは、何を言って」

「舌を噛むわ」

 言うとエルピースは舌を業とらしく口から出して思い切りそれを噛んだ。僅かに血が滲んだところで子爵は「やめろ!」と叫ぶ。

「商品に傷が……!」

「最後のお願いを聞いてくれるなら私は大人しくオークションに出る。でなければどんなことをしても私は私を傷つけて、死ぬわ」

 エルピースの言葉を最後に沈黙が下りる。暫くの間睨み合っていたが、やがて子爵は溜息と共に「いいだろう」と発した。

「ついて来い」

 そして子爵自ら歩き出し辿り着いたのは、シエルの部屋だった。

「下手なことは考えても無駄だぞ」

 言って部屋を警備していた衛兵に何か言付けると、子爵は去って行った。

 その後ろ姿が見えなくなってから、エルピースは部屋の扉を開ける。

 ベッドには目を閉じて眠るシーザーと、その体に顔を埋めたシエルがぴくりとも動かずそこに居た。

「シエル」

 呼びかけて、歩み寄る。けれども返事は無く、エルピースはシエルの小さな肩に伸ばしかけた手を引っ込める。それから静かに眠るシーザーを見つめた。

 頭には包帯が巻かれ、他にも体中傷だらけで痛々しい。

 けれども腹が上下に動いている、呼吸はしているのだ。

「屋根から落ちて……でもね、運が良かったの。落ちた先に偶然木があって直接地面に激突しなくて済んだから……」

 伏したままシエルのくぐもった声が響いた。

「でもね、それでも頭を打ったみたいで血がいっぱい出たの。お兄ちゃん、何度呼んでも全然動かなくて……」

 声は震えていた、泣き腫らしたのだろう、声も掠れている。エルピースは立ち尽くすしか出来ない。そんなつもりは無かった、必ず生きて二人を逃がしてやろうと思っていた。なんて陳腐な言い訳だろうとエルピースは自嘲する。

「どうしようエルピース……ねぇ、お兄ちゃん、助かるよね……?」

 顔を上げたシエルの目は赤く腫れていた。涙の跡が幾筋も付いた頬にそれでもさらに涙が伝う。

「エルピース、助けるって言ったよね? 絶対に、助けてくれるって……ねぇ、エルピース!!」

 シエルは立ち上がりエルピースに縋りついた。そんなシエルにエルピースは一言も返せず、体に触れることすら出来なかった。

「エルピース……何とか言ってよ……」

 エルピースは何も言えなかった。何も言わず、目を閉じる。

 その表情にシエルは珍しく眉を吊り上げエルピースに詰め寄った。そして乱暴にその胸元を両手で掴むと縋るように顔を寄せる。

「嘘吐き………嘘吐き!!」

 シエルはそのまま泣き崩れた。

 エルピースは両手を握り締め、無言のままシエルを見ていた。

 それからゆっくりと、前を向いた。ただ真っすぐに、前を。

 自分から手を離し力なくへたり込んだシエルを置いてエルピースは部屋を出た。するとすぐに衛兵に手枷を付けられ、また引かれるままに歩き出した。

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