二話 晴朗


 アリスは正装に身を包み珍しく険しい表情で港へと向かっていた。

 ここに来るまでに調べ上げた。薄々気付いてはいたが、この子爵の人身売買の件は思っていたより遥かに厄介だ。恐らく多くの上層部や貴族が関わっている。だからこそ今まで摘発もされず野放しにされてきたのである。

 貴族たちのその下劣で猥雑な道楽には改めて呆れ果てるしかない。

「だから嫌なのよ、貴族なんて……」

 呟きは風に流れる。

 今まで黙認されてきたものを覆したいならば、それよりも上の権力を使うしかない。軍の幹部であり公爵の地位である自分を持ってしても、この件に関しては力が及ばない。

 ピエール商会はこの数年、その貿易力と築き上げた豊潤な資金で国に大きく貢献してきた。あの帆船も商会の寄付が多大にある。地位こそ子爵で留まってはいるが、彼のこの国での実質的な権力は金銭的な面で残念ながら強大だ。真っ向勝負で捻りつぶされるのは恐らく、こちらの方であろう。

 奴を潰すには、皇帝ないしその双璧を成す教皇や神の子の権力を持ち出すのが一番手っ取り早い方法だ。そうでないやり方でも何とか出来なくは無いが、悲しいかなエルピース達の事を思えば時間が無い。

 全く気が進まなかったが、そういう訳でアリスは仕方無くブリュンヒルデの下へ向かっていた。

 竣工式も終わり件の帆船は荘厳と港に停泊している。

 見るからに頑強な作りにこの国の持てる技術と資材を惜しみなく投じた華美な外観、そしてその外観に押し隠された軍艦としての機能。限られた者しか知らぬ事実だが、これは自国の力を見せつけ、武力の実を持って中から外から他国を侵略する為の船だ。

 アリスが皇帝の紋章の刻まれたコンタクトを掲げれば、兵は恭しく頭を下げ道を開ける。そうして出来た帆船への道を堂々と歩きタラップを登れば、潮風が髪を悪戯に舞い上がらせるデッキへと辿り着く。

「アルセーヌ公爵、こちらへ」

 アリスが来るのを待ち構えていたらしい、近衛兵の軍服を着た青年がそう言って歩き出す。その後をついて行きながらアリスは深く息を吸い込んだ。

 額に汗が滲む。

 デッキから階段を降り、通路を抜けた先の部屋の前で青年は止まり、頭を下げた。

 アリスは扉の前に立つ。青年がそれと同時に扉を開いた。

「失礼致します、ブリュンヒルデ様」

 二人の近衛兵を左右に携え、豪華とまではいかないが清潔感のある部屋の奥、窓際で心地の良さそうな椅子に座りその人は海を見ていた。

「どうしたの」

 見向きもせずに、アリスに問うた。

 扉が閉まり、アリスは一歩部屋に踏み込むと静かに頭を下げる。

「ひとつお願いしたい事があり参りました」

 ブリュンヒルデはふぅと一息吐くとその涼やかな視線をアリスに向けた。それだけで、アリスの額にはさらに汗が浮かぶ。

「ワルキューレは手に入ったの?」

「それは……まだ」

「君は今、皇帝令で特命の任に着いているのは分かってるよね」

 その言葉だけで緊張感が部屋に飽和してアリスは閉口する。ブリュンヒルデはもう一度深く溜息を吐く。それだけで、取り付く島もなくこの話は終わりだ。

 甘かった、アリスは内心自分の失態に舌打ちをしたが、すぐに頭を切り替え再度背筋を伸ばし、しっかりと視線を上げる。

「では、ジークルーネ、及びシュヴェルトライテのことを教えて頂きたいのですが」

「あぁ、あの鳥と……猿だね」

 ブリュンヒルデはその話には興味があったのか、今度は体ごとこちらを向いた。

「ジークはここに回収してしまったからね、ルーネが出来ることなんて……少し人より幸運になるくらいだろうね」

 ブリュンヒルデはそう言いながら部屋の隅に置かれた翼を指差した。

「だけど本当の力なんて僕にも分からないよ。あれはさぁ……そういう物なんだよ」

 ぞくり、アリスの背に悪寒が走る。ブリュンヒルデはただ目を伏せただけだというのに、緊張感がピリリと空気を伝って来るようだ。その言葉からは感情など一切伺うことは出来ない、ただ淡々とした口調だというのに。

「忌々しいね、本当に」

 やはりなんの感情も伺えないままブリュンヒルデは呟くと、また海の方に視線を戻してしまった。

「シュヴェルトライテは……」

「あぁ、あれはもっと厄介だよ? 呪われているから使おうなんて思わない方が良い、人間にはとても扱いきれない最も忌々しい兵器さ」

 沈黙が降りる。

 分かってはいたが、やはりどこか煙に巻かれた感がある。ワルキューレに関して恐らくブリュンヒルデはかなりの知識を持っている、けれども回収を命じたアリスにすら、詳細な情報を教えようとはしない。アリスは心の中で嘆息すると、ブリュンヒルデの気怠げな横顔を見つめる。

 何度見ても恐ろしいのだ。男とも女とも取れる美しさ、常に気怠げにしているのに一分の隙もない……いや、隙という概念では説明が付かない恐怖を感じるのだ。それはアリスだからこそ感じる本能なのだろう。

 この人には、絶対に勝てないという本能。

「とにかく、君は早くワルキューレを集めておいで」

 ブリュンヒルデはたったそれだけ、見向きもせずに言った。

 アリスは逡巡する。

 どうすればブリュンヒルデに一筆書かせられるかと。その一筆と印章だけでいい、それさえあれば勝てるのだ。

 ふいにアリスは思い至る。

「もうひとつ、お伺いしたいことが」

 ブリュンヒルデからの返事はなかったが、アリスは続ける。

「エルピース」

 ピクリと、ブリュンヒルデの瞼が動いた。

「貴方を探しているという少女です。彼女は今、ピエール子爵に捕らえられています」

 少し色素の薄めな珍しい外見ではあったが、どう見ても普通の少女であるエルピース。彼女はブリュンヒルデを知っているようであり、異様な執着を持っているようだった。今は全く無関係のお節介な案件に首を突っ込んで、馬鹿としか思えない心底のお人好し。だがそうかと思えばS級遺物であるワルキューレの内の一つ、ジークルーネに異常な愛護を受け、古代文字も容易く読み明かしてしまう常人ならざる部分も併せ持っている。

 対して目の前のこのお方は、神の子と呼ばれ教皇と共に皇帝の補佐として今や国の象徴として並び立つ存在。そして紛れもなく、この国を救うと共に技術革新に至らしめた天才である。誰も知り得なかった知識を用い誰も成し得なかった古代遺物の利用でこの国を永く苦しい暗黒時代からいとも容易く救ってみせた。それはまさに神の御業、神の子と呼ばれるに相応しい功績である。その奇跡のような逸話は数知れない。中性的だが見るものすべてを魅了するであろうその美しい外見が神聖さを増している。

 この全く相いれないようで何処か共通点もあるような二人にどんな関わりがあったというのか。

 単純な好奇心と、最後の賭けであった。

 もしブリュンヒルデがエルピースに特別な愛慕を抱いているのなら、この不動の神を動かすことが出来るかもしれない。

「アリス、あまり僕の期待を裏切らないで欲しいな」

 全身が粟立った。アリスが顔を上げブリュンヒルデと目が合った瞬間に、心臓を鷲掴まれたような感覚に襲われ思わず呼吸が詰まる。

 ブリュンヒルデは相変わらず無表情でその感情はいかようにも読み取ることが出来なかった。

「早く全てのワルキューレを回収しておいで。僕は君だけを信じてるんだ、君が回収して来るんだよ」

 そしてやはり、それだけ言い終えるとブリュンヒルデはまた海に視線を戻し沈黙が舞い降りる。これ以上はもう無理だ、そう悟ったアリスは無言で頭を下げるといつの間にか背後で開いていた扉からブリュンヒルデに背を向けることなく外へ出る。

 扉が閉まる。途端、溜まっていた息をいっきに吐き出すようにして膝に手を置き屈みこんだ。

 それから少しして再びしゃんと背筋を伸ばすと、険しい表情で歩き出す。

 やはり一筋縄ではいかない、恐ろしい人だった。アリスはしかし落ち込んではいられないと再度何か方法は無いか思考を巡らす。

「運が良い、か」

 ジークルーネの力、思い当たる節はある。街への旧街道で野党に襲われた際、アリスは本当にエルピースの事を忘れていた。あのまま行けば確実にエルピースに凶刃が降りかかっていた事だろう。けれども彼女は偶然にも転びそれを避けた。

 そもそも運が良いなら野党に襲われる事を避けて欲しかったが、つまりそれがホークの限界なのだろう。

 生死など著しい危険にさらされた際に幸運を呼び寄せる。

 極めて使い勝手が悪い、まさに運任せな力である。残念ながらあまり頼れそうもない。

 下船し、再び街を歩く。世は事も無く相変わらず港町は賑やかで平和そのものだ。

 これは徒労だ。

 アリスは目を眇め丘の上のピエール子爵の屋敷を仰ぐ。

 綺麗事だけで生きていける世界ではない、たくさんのものに蓋をして、見て見ぬ振りをして、自分の置かれた場所に忠実に生きることが、最も効率的で無駄の無い生き方だとアリスは思う。

 結論、ワルキューレが手に入ればエルピースやレイブンとてどうでもいいのだ。それならばピエール子爵と手を組んで奴らを見捨て、陥れ、ワルキューレを回収する方がよほど簡単だ。

 アリスはあくまで帝国側の人間、皇帝の犬である。その事を忘れてはいけない。

 いや、忘れた事など無い。

 アリスはうんと背筋を伸ばした。そして屋敷へと歩き出す。

 無論、ピエール子爵の屋敷へと。

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